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妻が背骨を骨折して考えたこと

 いつもは私が、ジャーマンシェパードの愛犬「アビー」を朝の散歩に連れて行っているのだが、その日は私をゆっくり寝かせようと、家内がアビーを連れて散歩に行ってくれたのである。
 その事故は近くのグランドで起きた。アビーからの突発的な力で引っ張られた妻は、朝露で濡れた草に足を滑らせ、お尻からかなりの衝撃で転倒してしまったのである。立ち上がれないほどの強い痛みの中で、携帯で私に連絡し、すぐに病院に連れて行くと、背骨を骨折しているという。しばらくは、ともかく安静にして、寝ているしかないという。
 ここから、寝たきりの家内に代わって、夏休みの間、主夫になった。
 実を言うと、自慢できることではないが、私は、家事はもっぱら妻に任せっきりで、料理も、皿洗いも、ゴミ出しもほとんどやったことがなかった。
 以前から家内は「もしも私がいなくなったら、あなたは一人でとても生きていけなそうで心配だ」と時々いっていた。それが現実になってしまった上に、妻の介護まで行わなくてはならないのである。
 最初は食事はコンビニなどで買ってくることでしのいだ。すぐに気づいたのは、コンビニで買ってくると、ものすごい量のプラスチックのゴミや汚れ物が発生することである。困ったのが、その処理の仕方がわからないことである。ゴミ捨て日やゴミ袋のサイズや結びからまで、事細かに家内に教えてもらいながら、要領は悪いものの、処理自体はできるようになった。
 食事に使った食器はちょっと油断すると、台所にもの凄い勢いで溜まっていく。これは使う端から、洗っていかないと衛生上も精神衛生上も悪いことに気がついた。できるだけすぐに洗うようにした。
 そのうちに洗濯物もたまってきた。家では洗濯機をそもそも使ったことがないが、フィルタ掃除や洗剤の入れ方などを一旦覚えれば、今の洗濯機は、自動でいろいろやってくれる。
 こんなことをやっていると、毎日やらなければいけないことが、次から次にやってくる。家事というものは、大変な仕事であることを体感した。
 
 こんな感じで1週間あまりの休みが慌ただしく過ぎていった。ここで、すこし冷静になって考えてみた。
 この事故自身は、もちろん家内にとっても私にとっても、予期しなかったことで、もちろんそれ自体は起きてほしくはなかったことである。
 ただ、落ちついて考えると、これがなければ経験できなかったことが沢山経験できたことは間違いない。こんなに家事をやることは、この事故がなければ決してなかったことである。やってみて日常の妻の苦労も体感できたし、加えて、自分でできることが格段に増えた。故郷でとれるおいしい枝豆「だだちゃ豆」を、美味しくゆでで妻とともに食べることもできた。燃えないゴミの収集日も4種類あるゴミ袋のサイズ感も頭にはいった。家内に対する日頃の恩返しになっただけでなく、老後に向け、同様なことがまたありうることを考えるといいシミュレーションの機会になった。
 妻とも、この事故について話しあったところ、意外な意見の一致をみた。
 私は、この事故によって、予期せず突然はじまった新たな生活は、妻との一種の「新たな冒険の旅」とも思うようになっていた。実は、妻も、痛みがあり、不自由な体ではあるが、同じように感じていたというのである。
 我々の結婚は丸30年になった。その間、いろいろなことを一緒に経験してきた。二人は、これを30年にわたる「冒険の旅」を共有してきたと思っている。事故という一見ネガティブなことも、それに新たな旅の一頁が加わったと思えるのである。一緒に旅をしていると、予期せぬことに対する捉え方も似てくるのである。
 今後もこの旅は続く。きっとまだまだ予期せぬことが起きるのだろう。むしろ、高齢になるにつれ、一見ネガティブなことの方が多くなるかもしれない。しかし、多少のトラブルがあった旅の方が印象深くなるのも事実だ。トラブルも「新たな冒険」として楽しめるのではないか、と考えた。そして、こんなことを考えることができたのが、今回の事故が与えてくれた「ご褒美」だと思う。

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