他人の成功事例ばかりを集めたがる人間は、結局何も行動しない
どういう形態の結婚のカタチがあっても別にいいと思う。だって、夫婦の問題だから外野がとやかくいう話ではない。
別居婚みたいなのがあってもいいし、ポリアモリー同士の複数合同婚みたいなのがあってもいい。以下の日経の記事にあるように、会社経営のパートナーのような形態の結婚があったって別にいい。後半の、恋愛感情があるわけではなくても、素のままの自分で心地よくいられる人とリモートで話しして、会ってすぐに結婚を決めたような非ドキドキ婚があってもいい。基本好きにすればいいだけだから。
但し、こういうのって注意が必要。たとえば、事業とかの成功事例を何百個聞いたところで、その人が自分の事業を成功させられないのと同じで、他人の成功事例は大体において役に立たない、ってことは理解しておいた方がいい。
よくいるじゃない?「なんか新しい企画を提案しろ」と言ったくせに、いざ新しい企画を提案すると「それって成功事例あるの?」っていうアホな上司。成功事例があるんなら新しい企画じゃねえわ、と。そもそも、他社の成功事例は、その施策単体の話で成立するものではく、その会社の置かれた環境や従業員の質やタイミングや運によって左右されるものであり、誰かがやっても成功する施策なんて存在しない。
それと一緒で、「こういう例もあるよ」って話は、以上それまでの話であって、そこに普遍性はない。
それこそ1000組の夫婦がいれば1000通りの結婚のカタチがある。同じ夫婦なんて存在しない。これは実際に1000組の夫婦を調査したからこその実感でもある。
それに、「こういうカタチの結婚もあるよ。どう?」なんて提示されて「それもいいですね~」なんて言えるのは一部の恵まれた上級国民だけの話なんだということ。銀行の資産運用担当が「5000万をこちらに、2000万をこう運用して…」なんて提案して、それに対して客が「どうしようかな~。こっちもあるよね~」なんて会話が成り立つのは、その客が1億円以上の金融資産を持っているからこそ成り立つ話。貯金ゼロの人間に資産運用の成功事例出して、選択肢を提示したところで無意味でしょ?
結婚に興味がない層は置いておくとして、結婚したいのに、結婚の資産(実際のお金ということではなく、結婚能力)がゼロの人間も実はたくさんいる。
問題は(ケアが必要なのは)、恋愛や結婚の能力がゼロなのに願望が強い人。彼ら・彼女たちのことを舐めちゃいけない。
基本的に、結婚願望は強いのに3M思考(無理・無駄・無駄・面倒くさいと行動しない)なのである。行動して失敗することを極端に恐れるから、前の仕事の例にたとえると、「成功事例をたくさん用意させた上で、リスクや言い訳ばっかり考えて何も実行しない上司」になる。
選択肢を提示されて、その中から自分で選択できる人間だけではない。選択肢を提示されるから何も決断できなくなる人間もいる。もっと悲惨なのは、選択肢すら提示されることなく社会的透明人間にされてしまう人たちもいる。婚活市場の中で一定の年収に達しない男たちはそれだ。
何度も言うように、要するに日本人は「受け身」である。7割はそうだ。受け身気質の人間にとっては数多い選択肢の提示は決断できなくするだけで意味ないし、成功事例も役に立たないのですよ。
日本の皆婚を実現したのは、そんな受け身が7割もいる国民性に、ある意味選択肢のない強制的なお見合いのような社会的お膳立てシステムがあったからです。恋愛の先に結婚があったわけでもない。もちろん、お見合いでも結婚してから愛情を育んだ夫婦もいたかもしれないが、それは恋愛感情というより夫婦愛であり、親子愛だったろう。
むしろ結婚に「恋」は邪魔だし、どんな恋愛を経て結婚したカップルでもそんなの5年もすれば冷めるし、妻の恋愛感情なんて子どもができたらかなりの確率で消滅する。
つまり「恋愛結婚」という形態の方が実は、本来の家族コミュニティを構築する上ではむしろ異端の形態だったのです。家族や出生ということだけを考えるならそもそも恋愛はなくてもいい。男女のマッチングとは個人の問題ではなく、共同体の問題だったからだ。
こちらのヤフー連載にそのことを書きましたが、爆発的に読まれています。
記事本文にも書いた通り、だからといって昔の伝統的なお見合い制度が復活できるとも思わない。
既に1960年代後半から、お見合いから職場縁に移行したように、社会的マッチングシステム自体も、強制ではなく自分で選択した(と錯覚させる)お膳立てシステムへ変化していた。しかし、職場縁がセクハラやらの問題で忌避されるようになった今、マッチングアプリがその代替えになるかというとそれもならない。
巷ではマッチングアプリが婚姻増への救世主みたいな書き方しているメディアもあるけど、大体がそれアプリ業者が広告出稿しているから無下にできないだけという大人の事情。マッチングアプリとは、所詮「街でのナンパ」のアプリ版でしかなく、恋愛強者の男しか得をしないシステムであり、アプリでマッチングすね人間はアプリがなくてもできる。よって婚姻の純増には全く寄与しない。恋愛や結婚の能力ゼロの男女は救ってくれないからだ(そもそも救う気持ちもない)。
ぶっちゃけ、お見合いなど社会的お膳立てによって一夫一婦制という結婚の形態それ自体が、男女ともに「非モテ救済制度」であり、かつ、共同体における「結婚保護制度」なのだ。よくできてた制度だったのですよ。
じゃあ、人間には恋愛感情なんて不要なのか?というとそうでもなくて、こんなニュースがあった。高校生が企画した学校での婚活企画。
これはとても良い企画である。学校という舞台設定がまず素晴らしくて、一緒にカレーを作ったり、運動したり、まさに学校回帰体験になっている。いいかえれば「青春回帰体験」だ。出会いの環境はとても大事で、職場結婚が激減している中では、こういう人工的にでも学校での出会いの場が演出されることはとても良い。
なんだかんだ環境で人間は無意識にそのころの自分に戻れる。年収だけで男を判断する前の女子高生に戻れるし、金を稼げなくて自信を喪失する前の男子高生に戻れる。ま、大体、結婚すれば否応なく金を稼ぐようになりますよ、一部を除いて。
ついでに言えば、結婚相談所系がやったらいいと思うのは、例えば高校時代までの部活(チームスポーツ部活がよい。バスケ、バレー、サッカー等)経験会員男女だけを集めたミニ運動会を実施する。
身体を動かす中であの頃の自分が蘇る。そんなちょっとした環境のお膳立てで頭でっかちな婚活から脱却できるし、恋愛が苦手な人達にも何かしらの感情を提供できるだろう。金とか条件とか、データとか、そんなもんいちいち考えれば考えるほど決断できなくなるだけ。決断できる人間ならとっくに結婚できてますよ。
頭でっかちな婚活↓
「成功は直感によってもたらされる」とはシュンペーターの名言だが、それに僕が付け加えるとすれば「失敗は直感を打ち消そうと理屈付けをすることによってもたらされる」ということだろう。