世界は通貨高競争の様相に
世界は通貨高競争の様相
6月23日、パウエルFRB議長による金融政策に関する議会証言は米国経済の景気後退リスクを認めたことが話題となりました:
この点は重要ながらも今の米国経済は大量の失業者を出すことでしかサービス物価の抑制が望めない状況にあります。結果、GDP成長率の仕上がりが低成長なのか後退なのかというのは本質的な問題ではないようにも思えます。むしろ、為替市場の観点からは米国の利上げを背景とした為替市場におけるドル高に関し「インフレを緩和する効果がある」と明言されたことの意味を重く捉えたいところです。もちろん、質問に対して事実を言ったまでという印象もありますが、「インフレと戦う姿勢は無条件」とまで述べるパウエル議長の発言は「インフレ抑制のためにはどのような手も使う」という意気込みも感じられ、ドル高も当然その手段の1つに入ってきそうです。
世界を見渡せば、程度の差こそあれ、ECB高官(ビルロワドガロー仏中銀総裁)からも実効ベースでのユーロ高がインフレ抑制に寄与する旨が語られており、周知の通り、かつて通貨安の必要性を主張し無制限通貨売り介入までしていたスイス国立銀行(SNB)も利上げと「必要ならば為替市場へ積極的に介入する」と意思表示し、今度は通貨買い介入の構えを隠していません。パウエル議長が明言したことで世界が通貨高競争の様相を呈してくる可能性もあるでしょう:
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB175DH0X10C22A6000000/
約10年前までは通貨安競争
こうした動きには10年前と比べると隔世の感を覚えます。リーマンショック後、世界はこぞって非伝統的金融政策の下、通貨の低め誘導に尽くし、世界は他国の需要を奪い合う近隣窮乏化策、いわゆる通貨安競争の様相を強めました。象徴的には2010年9月、オバマ米政権が公表した輸出倍増計画で、名目輸出額に関し、2009年を起点として2015年までに倍増させるという方針が堂々と打ち上げられました。実際は5年で倍にはならず、1.5倍超にとどまりましたが、この計画が暗にドル安計画だと言われたことは言うまでもありません。図は当該5年間(2009~2014年)の名目実効ドル相場と米国の輸出額を見たものです:
2009~2013年にドルの低位安定が図られ、その間に輸出が急増した印象は否めません。もちろん、相関関係であって因果関係ではないという部分もあるでしょうが、米国大統領が輸出倍増を謳えば為替市場がそれに倣って動こうとするのは全く不思議ではありませんでした。
こうした通貨安競争の雰囲気はFRBが正常化に舵を切り始めた2013年以降、少しずつ変わってきました。言い換えれば、約10年前までは、FRBを筆頭に世界の通貨・金融政策は通貨安・緩和方向が定着していました。これに対し現状はFRB議長がインフレ抑制を至上命題とし、ドル高を有効な抑制手段として掲げています。秋に中間選挙を控え、インフレ率と支持率が反比例していると言われるバイデン政権もこの主張を支持するでしょう。図に見るように、名目実効ドル相場自体は過去20年余りにおけるピークとは言え、際立って高い水準にあるわけではありません(これは今回の円安がドル買いではなく円売りである、という示唆も含みます)。現状、実体経済が未曾有のインフレと利上げに見舞われていることを踏まえれば、ドル相場の一段高は政治・経済的に正当性があるでしょう。
白川体制の教訓
なお、リーマンショック後の通貨安競争において最も大きなダメージを被ったのが日本でした。巨大な経常・貿易黒字を誇るデフレ通貨として世界の通貨高の按分を引き受けたことで円は史上最高値(対ドルで75.25円)まで急騰を強いられました。当時の白川体制の政策運営を批判する向きもあるものの、理論的に見ても円が買われやすい土壌は確かにありました。批判があるとすれば、「どの程度の円高が適切だったのか」が争点になりそうですが、この点は趣旨が逸れるので今回の本欄では割愛します。当時の世論における白川体制への批判をラフに総括すれば「世界に逆行して緩和を渋っている」というものだったと記憶する。実際、やっている政策は黒田体制と本質的に同じでしたが「見せ方」は確かに上手くありませんでした。円高で気が立っている世論に理論的な説明をしても火に油を注ぐだけでした。
現状は真逆のことが起きています。黒田体制は主張の正当性はさておき「世界に逆行して引き締めを渋っている」という構図にあり、世論は円安に苛立ち始めています。ECBやSNBの主張が仮に実現するならば、今年10~12月期は高確率で「円だけマイナス金利」という構図に陥るでしょう:
しかも日本の貿易赤字は巨額のままだ。原発再稼働など電源構成に切り込む議論があれば、そうした需給に関する円売り圧力も和らぎそうですが、「発電より節電」に熱心な現政権の様子を見る限り、大きな期待はできそうにありません。かかる状況下、リーマンショック後に「世界の通貨高の按分を引き受けた」ように「世界の通貨安の按分を引き受ける」というのが今次円安局面を語る上での大局観として浮上してきます。
なお、為替介入の可能性を問われることが非常に多いのですが、自国の金融政策が緩和されている状態で通貨政策の議論をするのは筋違いです。どのような国であれ通貨政策と金融政策は同じ方向を向く必要があります。黒田総裁の姿勢が現状のまま、通貨政策の転換(円安→円高)を検討するのは理論的にも実務的にも難しいでしょう。この基本的な視点を抜きにして財務省憎しで「何故通貨政策を議論しないのだ」という向きが半可通な人々に多い印象ですが、頭の整理のため論点を確認し直した方が宜しいかと思います。
今後は新興国混乱も争点に
経験則に倣えば、米金利とドルの相互連関的な上昇が定着した場合、真っ先に影響を被るのは対外経済部門に脆弱性を抱える新興国通貨市場です。2015年12月以降の利上げ局面では、そうして激しい資本流出に見舞われた新興国市場を念頭にFRBの正常化プロセスの手が止まるという時間帯もありましたが、今回は殆ど期待できそうにありません。
結果、新興国は自衛のための利上げに追い込まれる可能性が相応に高いと言えそうです。この意味で先進国のみならず新興国を含めても「動けない日銀」がクローズアップされやすいでしょう。もちろん、新興国の利上げも自傷行為であり、景気減速からそれらの通貨も相応に売られる可能性を孕みますが、名目の政策金利がマイナス圏にあるという日本特有の事実はこの上なく売りの口実に使われやすいと思います。
こうした中で円が唯一、強みの部分があるとすれば、利上げのカードを温存した格好になっているという事実でしょうか。相場の値動きは常に期待との乖離の大きさで決まります。「日銀は所詮動けない」という思惑と共に円売りが積み上げられている部分も現在は相当大きそうなことを踏まえれば、踏み込んだ引き締め対応は激しい円買いを促す可能性があります。物価高が支持率に影響を与え始めていることを踏まえると、参院選後の岸田政権にはそれを日銀の責任に転嫁し、何らかの施策を打った格好に仕立て上げる誘因があるように思えます。為替相場の抱える現実的な円高リスクとして構えたい点です。