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「ゴッドファーザー」のパート3が印象深いわけ。

「自然体で!」とよく言われますよね。それは分かってはいるけど、自然体が一番難しい。これじゃあいけないとか、ああしないといけないとか、人には意志や思惑というのがありますから。

そんなことを、『新・ラグジュアリー 文化を生み出す経済 10の講義』を共に書いた服飾史研究家の中野香織さんの以下の文章を読みながらつらつら考えました。

ちょっと思いついたままに綴ります。

アル・カポネやジョン・ゴッティは「タイム」の表紙にもなった。闇の仕事を隠し、表社会では成功したビジネスマンのように振る舞う必要があったので、ともすると装いが完璧以上に洗練されるのだ。影や緊張感、暴力性を隠したスーツやコートの迫力や色気は、清潔感あふれる正しいビジネススタイルではなかなか漂わせることはできない。

今年は映画「ゴッドファーザー」の一作目が公開されて50年なので、この作品について語られることが多いです。この夏、イタリア人の歴史研究者によるポドキャストを聴いていたら、次のようなエピソードを話していました。

この作品が公開される前、マフィアは猛反対。しかし、公開され大ヒットするとマフィアの家族愛にプライドをもつようになり、彼らのモデルと見做すのです。そして、映画にある結婚式とまったく同じ結婚式をやったり、と一生懸命に真似るわけです。

人って愚かというか、かわいいというか、愛すべき存在なんですね。マフィアの滑稽なエピソードながら、これこそが人の自然な姿です。

だから、中野さんが書いている「ともすると、装いが完璧以上に洗練される」という表現は、迫力や色気の源泉を指しながら、人のもつ滑稽さと裏腹であることを示唆しています。

いやあ、面白い!

それから、ぼくはあることを思い出すのです。実は「ゴッドファーザー」のパート3を観たのは、イタリアで生活を始めたばかりの頃で、当時のボスと一緒にトリノの映画館でみました。

パート3はシチリアが舞台になっていて、もろもろの怖いシーンが続きます。1990年はまだそれらと似たような事件が現実にニュースとして伝わっていた時代です。みかじめ料を払っていないと店が焼かれる。それを想像させられる跡をトリノの街中でもそれなりに見かけました。

ぼくの背筋がブルっとします。

そして、映画館を出てレストランで食事をしながら、ボスの知人が経済事件に巻き込まれ刑務所に入る羽目になり、収容中に謎の死を遂げたと聞きます。

とんでもない国に住むことになったと、ぼくは当然思う。その頃に感じた不安と「ゴッドファーザー」のパート3が重なってぼくの記憶のなかにあります。

この記憶がよみがえると、マフィアがかわいいとか、愛すべき存在などと思った自分を後悔します。

およそ、マフィアは自分でそうであると名乗らない。だが、「あの人はマフィアに違いない」「彼はマフィアだと言われている」と耳にすることはあります。それこそ、レストランで距離のあるテーブルに座っている人を同席の人に目で示された経験は何度かあります。

どの人もとても地味でした。

日本のヤクザの派手さは一切なく、逆に、地味なスーツやジャケットを着ている人に会うと、「この人、ただものじゃないかも」と注意するようになります。

フェラーリは平日ガレージで眠っている。週末、こっそりと持ち出してドライブする。決して目立たないようにするのがイタリアのお金持ちの行動様式だ。こう聞かされていたので、マフィアと普通のお金持ちの区別もわかりにくいのだと思い知りました。 

また、ミラノにおいてはスーツに着るシャツはブルーか白に限ると言われ、黄色やピンクは南イタリアの田舎じみた人が着るものと散々悪口を言うのです。ますます、誰が何者なのかわからない。

だからこそ、主に南イタリアからアメリカに移民した人たちの辛さや思い、そこでマフィアにはまらざるを得ない事情の複雑さを想像することになります。「ゴッドファーザー」パート1や2のシーンやストーリーが、ぼくのなかでは逆回転のカタチでよみがえるのです。

パート1も横浜の映画館で観たのを覚えています。が、まさか、この映画がこんなにも伝説的な作品になるとは想像もせず、いわんや、自分自身がそのイタリア人移民と側面で接する生活を将来するとは考えていなかった。しかし、パート3があることで、パート1もぼくの「人生のなかに後で組み込まれた」わけです。

自分が今やっていることが将来どう生きるか分からないのは当たり前。後になって、あれもこれも今のネタだったと気づくのですね。ただ、そうとわかっていても、「自然体であるとは?」を理解するのは容易ではないです。

天国にいるのか地獄にいるのかわかりませんが、アル・カポネ本人にも聞いてみたいものです。

写真©Ken ANZAI

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