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閉塞感なき世界 AIとの対話 人ならざるものとのコミュニケーションの時代


閉塞感が嫌い

閉塞感とは、「今日できないことは一生できない」「今日できることもいずれできなくなる」という状況だと思います。尻すぼみの未来。40歳の手前に、この閉塞感に陥り、人生をリセットしました。
家族も交友関係も仕事も趣味も、すべてリセットしました。

それ以降、閉塞感の真逆の状態に身を置くことを大切にしてきました。

閉塞感の真逆

それは、「今日できないことが、できる明日がくる」と感じられること。

そのためには、次の3つがあると考えています。

  1. 一人でできなければ、誰かと手を組む。

  2. 力が足りなければ、道具を使う。

  3. 新しい誰かや道具と出会うための環境に身を置く。

個人でも組織でも同じだと思います。
アライアンスとテクノロジーとマージナルな環境での学び。

これが、僕の価値基準となっています。

価値基準→世界観→世界設定

新事業や新サービスを考えるとき、価値基準に立脚した世界観を描き、その上に世界設定としてディテールを構築していく手法を使っています。

価値基準に基づく世界観を描き、具体的構成要素として世界設定をする手法

自分自身のキャリアを考えるとき、この閉塞感の真逆にある可能性を感じられることを価値基準に、それを実現する世界とはどのようなものかを描き、それを実現するための具体的活動を世界設定として置きます。

不得意領域での活動時にこそ価値基準を大切に

自分の得意ではない分野での活動が求められる場に身を置くことがあります。そこに長時間留まることで、自己効力感が失われ、無力感に打ちのめされそうになります。場所を変えるか、自分が変わるか。

そんなとき、上記の3つを思い出します。誰かと手を組んでいるか、道具を使っているか、出会いの場に身を置いて学んでいるか。

自分でも、家族でも、友人知人同僚でも、関わる人すべてが、未来に可能性を感じながら毎日を過ごすことができたらいいのに。そんな世界をつくりたいと心から思います。

原点に返り、その目線で見渡していこうと思います。

最新の道具を手にする

最近、新しく活用するようになった道具に、生成AIがあります。友人や知人らも、この世界について様々な活動をしており、目が離せません。

ここには「今日できないことが、できる明日がくる」可能性を、大いに感じます。

AIとの対話

最近、反応を返してくれることが楽しくて対話し続けています。
こういったらどう返事してくれるかな
ああそうくるのか そしたらこうかな
これってもう対話だと思います。

人同士でも、相手の心の中はわかりません。そこに踏み込み過ぎることで支配と服従の渦に巻き込まれる危険もあります。どうせわからないならば、同じこと。チューリングテストもそうですし、人以外の生物とのコミュニケーションでも同じだと思います。

無言や無反応は、こちらのアクションが消費された感じがあります。アクションにかけたエネルギーが単に消耗した感じです。

一方で、反応があると、それは消費されたのではなくて、活用された手応えが得られます。何らかのフィードバックが得られること、それ自体に意味と価値を感じます。反応そのものが、こちらが起こしたアクションへの対価のようなものです。

その意味で、この記事にあるような壁打ちは、とても価値があるのだと思います。

たとえ、相手が人でなかったとしても。むしろ、人でないからこその価値さえ作り出せると思います。

数年前に、ブリーフセラピー協会の理事の方々と共に、会議にロボットが入ることで様々なコミュニケーションシステムへの介入パターンを構築できる、という可能性について議論したことがあります。いよいよ、その時代が到来したのかもしれません。

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