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なぜ自らが生み出したKPIに追われるのか?古くて新しいマーケティングの話

次に紹介するのは、自分が経営幹部試験に合格した後に会社の上層部から「読んでおくように」と言われた『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎著/中公文庫)です。
こちらはミッドウェー海戦をはじめとした旧日本軍の敗戦を、「組織としての失敗」と捉え直した内容です。私はこの本を読んでから、「目の前の仕事の目的は何なのか」と自問自答するのが習慣になりました。例えば、仕事ではKPI(重要業績評価指標)を設定しますよね。でも、ふと気づくと数字ばかりを追って、「そもそも何のためにこの仕事をしているのか」を忘れているときがあります。そして、それが集団で起きているとなると悲劇です。

改善と指標

マーケティング施策を効率化し続けるために「改善サイクル」をブンブンぶん回すことは、ビジネスに不可欠な活動だと筆者は考えています。もちろんイノベーションを起こすことは重要だけど、それは効率化自体を否定しません。両方やるべきです。

いろんな会社でいろんな改善方法があると思うのですが、筆者は「改善サイクル」を以下のように「実施→計測→比較→改善→実施…」というステップで定義しています。

改善サイクル

1. 実施: 施策の実行

施策を企画し、着実に「実施」することから改善は始まります。例えば、ウェビナーを実施する場合、何をテーマにするか、何を話すかだけでなく、集客ページは誰が作る、クリエイティブは誰が作る、どうやって集客する…考えること、やることいっぱいです。良い会社なら文化祭の前日のような盛り上がりを見せますが、そうじゃない会社なら地獄の黙示録です。

2. 計測: 効果の確認

施策を実行したら、結果を正確に「計測」し、指標としてデータ化します。指標が無ければ、どの程度効果があったのか、施策が成功したのかを判断できません。例えば、ウェビナーの結果であれば、申込ページのセッション数、フォーム入力者数、申込者数、うち新規リード件数、当日の視聴者数、アンケート回答数、商談件数は指標としてデータ化しておきたいです。

3. 比較: ベンチマーキングと評価

施策に紐づく指標を、過去実施した施策の指標と「比較」します。例えば、ウェビナーの結果であれば、セッション数は今回が多いけど、当日の視聴者数は前回が良かった…など優劣を明らかにします。もっとも「苦行」と呼ばれるステップであり、すべての指標が前回と比較して「劣」だった時、突然として「そんなウェビナーやりましたっけ?」と神隠しに遭うことも

4. 改善: 次へのステップ

最後のステップは、比較した結果から「改善」する箇所を見つけます。比較して悪かった指標は「このやり方を次回は変えよう」と反省し、良かった指標は「これはやって良かったよね」と称賛します。特に、比較して悪かった(良かった)指標は「何が指標の数値を悪く(良く)させたのか?」と因果関係でいう原因の特定に時間を割きます。意外と、良かった点を次回も実行することが出来ていない人が多い印象です。

理想かもしれませんが「実施→計測→比較→改善」のサイクルは日次または週次で回したいです。ウェビナーであれば週次、広告運用であれば日次、実施のターム(期間)に依るでしょうが、それくらいの速度感で改善を回さないと、筆者は「デジタルを使いこなせてない」と反省します。

改善サイクルで最も重要なのは「指標」の選定と計測だと考えます。指標は施策の成果を具体的にデータとして示します。改善するのは施策ですが、何をどう改善するか教えてくれるのが指標です。

例えば、広告運用の場合、指標としてクリック率やコンバージョン率が浮かびます。これらの指標が期待値を下回っていたら、広告文やクリエイティブの改善、LPの改善、または配信チャネルの変更を検討するでしょう。

繰り返しますが、何かが間違っているから改善するのですが、何を間違えているか当たりをつけるために指標が欠かせません。この指標が「KPI(主要業績評価指標)」と呼ばれたり、呼ばれなかったり、ラジバンダリします。


「実施」だけの組織は弱い

今回のnoteのテーマはマーケティングとKPIです。ただ、その話をする前に、施策を「実施」することに重点を置き、その後の「計測」「比較」「改善」ステップを疎かにしがちな組織の話をします。

実際に経験があるのですが、「やったらやりっ放し」の組織は意外と多いです。若かりし頃、筆者は「この会社、行き当たりばったりすぎるわ。改善のサイクルが回ってないから、なぜ悪いのか、どう直すべきか分からん!」と悪口を言っていたら、真後ろに偉い人が立っていて「松本君、行き当たりバッチリって場合もあるんだよ」と諭された経験があります。いかりや長介じゃないけど「ダメだこりゃ」と思いました。

忙しいのは分かります。リソース不足も分かります。だからといって、「実施」ばかりにリソースを使うと、何が成功をもたらしたのか、なぜ失敗したのか、原因が掴めません。例えば、ECサイトの売上が増加した場合、季節要因なのか、市場の一時的な動向なのか、施策の効果なのかを区別できないため、「(さらに)売上を増加させる」という再現が出来ません。

つまり、「実施」ばかりしている組織は、因果関係への理解が絶望的に欠如しているのです。原因を突き止めて「あ、この指標は次からちゃんと計測しよ」と発見し、次に生かすことが改善だと筆者は考えます。

「計測」「比較」「改善」ステップは単なるデータの追跡では無いのです。戦略・戦術を立案し意思決定を行うために、洞察を得ることが目的です。もっと言えば、ステップを踏む体験を通じて、洞察を得る知見を社内に蓄積することが目的です。

「実施」ばかりの組織は、そのうちKPIを改善する体力が無くなり、かといってKPI自体が無くなることもなく、KPIに紐づく施策ばかり追い続けることになります。

だから、「実施」だけの組織は弱いのです。


本当にあった怖いKPI

というわけで、主題の「KPI」の話をします。と言っても、今回皆さんにお伝えしたいのは、改善に欠かせないKPI(指標)に私たちがいかに振り回されているか…です。そこで、ちょっとした「むかし話」をさせて下さい。

むかしむかし、時期はボカして、むかしの話。筆者が勤めている会社で、事業部門の各部署が施策を遂行しKPIを全て達成したのに、KGIが未達成…という事件が起きました。

マーケティング課はリード数を達成。インサイドセールス課は商談件数を達成。営業課は新規受注金額を達成。カスタマーサクセス課はアップセル・クロスセル金額を達成。カスタマーサポート課は質問未回答数を達成。それでKGI未達成ってどういういことやねん?って話です。

事件を可及的速やかに解決するように、筆者は役員から指示を受けました。

最初はエクセルを眺めていたのですが、まったく解決の糸口が見つからなかったので、筆者は現場に赴き、各部署と会話し、1か月ほど調査しました。

その結果、「既存顧客の売上維持がKPIとして無い」ことが分かりました。

【補足説明】
料金形態が従量課金の場合、どれだけ使っても一律の「固定」と、ここまでは何円だけどさらに使うと何円という「階段」がメジャーでしょう。この場合は、後者の「階段」における話です。
「売上維持」とは、例えばA社が先月は5万円分使っていて、今月は1万円分しか使っていない場合、契約は続いているが4万円売上が下がります。維持出来てないわけです。

言われてみればそうなんですけど、気付くまで気付きませんでした。気付いた瞬間、「あーっ!」と声が出ました。さっそく事業部長に報告し、「KPIとして見なきゃね」と決まりました。

ところが、事業部長が「このKPIを見れる部署は?」と聞いても、誰も目を合わせようとしなかったのです。

それは当然で、顧客に使って貰う量を、自社でコントロール出来ないサービスだったからです。コントロールできないKPIを達成しようとしても、それに紐づく原因は無いのだから、事実上何も出来ない。それなのに下手に「私の部署で見ます」と言って、達成出来なかったら、評価が下がるだけです。


データの限界と現場の重要性

事件を経験して、筆者は3つの教訓を得ました。1つ目は「データの限界」です。

データは、3次元の現実を1次元のデータとして計測したに過ぎません。必ず何かは欠けます。1次元のデータを3項目揃えても、3次元は再現できないでしょう。

現実からデータへ

筆者はエクセルばかり眺めて、データの沼にハマっていました。データの問題は、データが解決してくれると思っていたのです。データへの過度な依存が、問題解決や意思決定を妨げていました。

エクセルでは表現しきれなかった現場に足を運べば、データに表れない問題や改善点が明らかになることがあります。例えば、製造ラインでの小さな非効率や、顧客サービスの現場での接客態度など、実際に目を向けることで初めて気付くことがあります。

筆者は社会人大学院でデータサイエンス領域のMBAを取得したのですが、どちらかと言えば定性データの必要性・重要性に言及する機会が多いのは、この事件が影響しています。

見えない因果関係の重要性

2つ目は「因果関係の重要性」です。

先述の通り、現実からデータに落とし込む時に何かが欠けるなら、そもそも自分の目で現場を観測しても、観測漏れ・計測漏れする可能性があります。例えば、ちょくちょく因果関係の重要性について触れていますが、そもそも原因が見えないなんて事態がざらに起こりえます。

当時、「既存顧客の売上維持」なんて概念は「従量課金」で検索しても出てきませんでした(そういう時代の話です)。見えている範囲の指標、気付いている範囲の因果関係で「何が問題なのだろう?」と考えていたのです。

ただ、このこと自体はよくある話です。以前、あるBtoB企業のマーケターから「なんか上手くいってないんですよね」と相談を受けた際、「思いつくかぎりの理由を挙げてください」と聞いたら「SFA/MAがほとんど使われていない」「リード数が常に不足している」「CPAが相場より高い」「勝ちパターンが再現できない」という問題が真っ先に浮かびました。

ただ、その後にその企業の10人ほどにインタビューした結果、問題が出るわ出るわ…因果関係で整理すると、複雑に入り組んだ現代社会が浮かび上がってきました。

こんがらがった因果関係

結局、今わかっていることが全てじゃないし、測れていない指標(KPI)が無数にあるんだ、という前提でデータ分析に取り組んだほうが良いと気付くキッカケとなりました。

KPIと責任の所在

3つ目は「責任の所在」です。

KPIは、ビジネスの全体像を形成する一つのピースに過ぎません。それ自体が目的や最終目標にはなりません。例えば、顧客獲得コストは、それ単独でビジネスの成功を定義しません。基準値を下回りたいですが、仮に上回ったからといってビジネス自体の失敗を意味しません。

しかし、そのKPIを達成するために事業部のある一部署が施策を推進するとなると、途端に「達成しなければならない指標」になるのです。KPIの達成に責任が生まれるのです。手段が目的化すると言っても良いでしょう。

そうすると、やがて「達成し易いKPIのみ掲げる」「達成し難いKPIは無理と言う」ような状況に陥ります。組織内で心理的安全性を確保しようとするとそうせざるを得ないのです。

したがって、そのKPIはどうすれば達成できるのか、原因の発見とセットで一部署に管理と推進を依頼しなければなりません。山本五十六じゃないけれど「やって見せる」必要があるのです。

今回の話で言えば、「既存顧客の売上維持」はコントロールが出来るKPIとしてビジネスモデルを改修した上で、どこかの部署が見るべきでした。すなわち階段型から固定型への料金プランの変更です。売上を季節要因と運に任せるべきでは無い、という強い意志が必要でした。そして、それができるのは事業部長や役員だけでしたが…。

責任とは何か。よく「責任を取って辞めます」と言いますが、筆者は責任を「最後まで連れ添って何とかする役割」だと考えています。その意味において、辞任は責任放棄だと考えます。

データ活用の神髄

3つの教訓は、KPIを活かした「改善サイクル」の落とし穴です。穴に落ちるが最後、ビジネスの成功が遠のきます。因果関係を見失った改善サイクルのピントは永遠に合わず、KPIに追われ続けます。

「これ、やる意味あるの?」
「分からないんですけど、前からやってるんです」

みたいな話は何度も聞いてきました。そうならないために、観察対象を観察し、比較しやすいように指標としてデータに置き換え、何が良くて何が悪いか考えます。

ちなみに、マーケティングの場合、成功を測るための標準的な指標として、訪問者数、リード獲得数、コンバージョン率など、KPIはほぼ自明です。鉄板なのです。つまり、観察対象は明らかで、ゼロベースで考える必要はありません。

したがって、より楽により速くデータ計測、処理、分析を効率的に行うテクノロジーの活用は必須です。マーケティングテクノロジーはどんどん進化していて、「改善サイクル」は半自動化しつつあります。

ただし、その分だけイレギュラーに弱い。他社ではKPIにならないような指標がKPIになると「テクノロジーで測れません…」「そもそも本当にこれがKPIで合ってます…?」「ツールでダッシュボードが作れません!」と急速に歩みが止まります。

「計測」し、指標としてデータ化することが目的では無く、得られた洞察を基に素早く戦略を調整することが本来の目的なのですが、こうなってしまうとダメです。KPIに追われます。

その意味で、事件と直接関係ないのですが、「テクノロジー活用の代償としてのイレギュラーの弱さ」は4つ目の教訓です。


テクノロジーを使った改善と指標

マーケティング施策を効率化し続けるためテクノロジーの力を使って「改善サイクル」をブンブンぶん回すことは、ビジネスに不可欠な活動だと筆者は考えています。

「実施→計測→比較→改善→実施…」というステップは、理想では日次または週次で回したいと冒頭に記載しました。テクノロジーの力を使えば、効率良く高速で回し、日次・週次も可能になると筆者は考えます。

「施策を考えて実施する」「テックを使って計測する」これらは一体不可分です。この2つが一体になってグルグル高速で回ることを「運用」または「Mops(Marketing Operations)」と呼びます。

例えば、MAツールやCRMシステムを利用して、施策の実施からデータの計測までは半自動化されます。これにより、時間の削減とエラーの削減が可能になるだけでなく、結果が直ぐに可視化されるので、ネクストアクションが実行しやすくなります。「実施→計測→比較→改善」がほぼシームレス。

ちなみに、マーケティングテクノロジーツールは2023年時点で1万を超えるらしいです。えぐい。

しかし、実際には、日次・週次で改善サイクルが回っている組織は稀です。その最大の理由が、テックによる計測のふん詰まりです。テクノロジーを上手く使えていないのです。

筆者の経験上ですが、「ふん詰まり」を起こす理由は「ITよく分かっていない」「情シスあるいはSIer任せになっている」の2つです。要は自分たちでやれば良いのに、分からないという理由でデジタルを避けた結果、自ら速度を落としてしまっているのです。

テクノロジーという馬力を手にしているのに、ずっとブレーキを踏んで運転している。小峠風に言えば「なんて日だ!」って感じです。

「テクノロジーなんて、マーケティングの本筋では無い」
「テクノロジーより大事なことがある」
「デジタルマーケティングはマーケティングの一部」

そう言われたこともあります。いや~もう本当、おっしゃる通りです(ゴマすり)。ただ、テクノロジーか、マーケティングか、じゃないんです。ビジネスにおいてテクノロジーを活用することは大前提なのです。水と酸素ぐらい。そういう話は、テクノロジーを使いこなしてから言って欲しい。

特に、デジタル領域のマーケティング(デジタル化されたOMO含む)は、テクノロジーとの親和性がめちゃくちゃ高く、「日次で改善できて当たり前」なんです。「LTV分かりません」じゃないんだよ。


なぜ自らが生み出したKPIに追われるのか?

皆さんも経験があるでしょうが、擬人的な表現として「KPIに追われる」ことは何度もあったはずです。

その指標を達成することが目的になってしまい、それ以外は思考停止してしまう。最初は「実施→計測→比較→改善→実施…」とサイクルが回っていたのに、いつの間にかKPIを達成すること自体がサイクルを回したと同義になってしまう。そのKPIを達成してもKGIが達成する再現性が低下しているのに、KPIを達成しないと不安になってしまう…。

どうすれば、KPIに追われずに済むんでしょうか?

まず、因果関係(相関関係でも良いです)を常に考慮すること。この施策を終えて、指標が計測出来たら、どの結果に影響を与えるのか。月に1回は見直したほうが良いです。

なぜなら、ビジネスは静的なものではなく、常に変化し、成長し続けているから。過去の成功体験や標準的な業界の指標が、常に有効とは限りません。ビジネスの成長や変化により、因果関係は変化します。

それでも、指標を計測することに慣れてしまった私たちは「一応、計測しとこか」という言葉に負け、不要になったKPIを測り続けるのです。筆者はこれをゾンビKPIと呼んでいます。

KPIの計画的な廃棄。これが欠かせません。ビジネスの成長と共に、必要な指標も変わります。子供が成長しているのに、同じ服を着せるでしょうか?

もう1つ、ビジネスが成長するほど、同時並行で行う施策の数は増えます。施策を積めば積むほど、何が影響を与えているか訳が分からんようになります。つまり再現性が薄くなり、「もう1回やって」とねだられても、同じような状況を作れなくなります。そのためにMMMなどの手段が進化しています。

実際には「計測して比較してもよう分からん」場面は増えます。ただ、そこで無数に増え続けるKPIの達成に追われるのは、ワニワニパニックの後半戦みたいなものです。イデッ!イデッ!!

そこで筆者は、施策が複雑化すると、「勝ちパターンの実践と計測」に分けて改善を回します。因果関係も明瞭で、この施策を積み重ねれば間違いなくKGIを達成すると分かっている範囲は「今回も上手くいっているか」を確認する、それ以外は因果関係の線を手繰り寄せて「こうすれば成功する」と言えるルートを発見する。

大きな象も手分けして千切って食べれば完食する、というインドの諺っぽい筆者が生み出したセリフがあります。まさに勝ちパターン別に千切れば、大きな施策も小さくなり、改善がし易くなります。

KPIの計画的な廃棄と、勝ちパターン別の計測。この2つが「KPIから追われなくなる」ための必殺技だと筆者は考えています。もし、お時間がございましたら試してみてください。

以上、お手数ですが、よろしくお願いいたします。


このnoteの30%はChatGPTが書きました

ChatGPTをもっと使いこなしたい、と考えて、今回のnoteの30%はChatGPTで製作しました。以前からウェビナーのタイトルやリード文、他にも文章の校閲はお願いしていたのですが、執筆活動にどこまでアジャストできるのかな、と考えて挑戦してみました。

どんなことをしたのか、書き残しておきます。

①あらすじを作成する

A4の紙に、今回のあらすじを書きます。これは全て手書きの時もやっている習慣みたいなものです。

手書きのあらすじ

②あらすじをGPTに喰わせる

次に、ChatGPTにあらすじの一部を食べてもらい、そこから文章を作ってもらうように要請します。

指示
結果

メモは、分量が多すぎると内容の自由度が下がります。メモの内容とGPTの出力結果があまり変わりません。ただし、文章が少なすぎると内容の自由度が上がりすぎます。あらゆる文章を起承転結で書こうとするので、「今はそんなんいらんねん!」と苛立つ明石家さんま師匠モードになります。

③出力結果を校閲する

今回、メモの分量は1,289字でした。それがChatGPTに食わせると16,000字以上に膨らみました。その中で、良いなと思った展開、構成、文章、フレーズを抜粋して7,500字程度のnoteに仕上がりました。2,000字程度はChatGPTが元になっています。

実際に使ってみると、「逆に大変やわ!」という結論に至りました。御覧の通り、ChatGPTはラジバンダリとか神隠しとか地獄の黙示録とか馬鹿なこと言いません。文章のリズム感も、あまりありません。文章を書く人間からすると、実に無味乾燥なのです。

サラダのようにドレッシングかけて、ちょっと野菜を足して、味の調整をしていると、思いのほか時間がかかりました。0から文章を書くほうが早く済んでいたと思います。

ただし、それは「書くのが苦じゃない人間」だからで、そうじゃない方からすると、かなり楽になるのではないか…と感じました。

AIに駆逐される前に、AIを使いこなす人間になって、少しでも生き延びたいと思います。以上、お手数ですがよろしくお願いいたします。

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松本健太郎
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