ルールを守るだけでなく、ルールを変え、そしてルールを創り出せる日本に
トヨタ自動車の豊田章男会長が「今の日本は頑張ろうという気になれない」という発言をしたというニュースを読んで少々驚いてしまった。
どうやら、ここしばらく報道されていた国交省の型式認定の認証に対する不正の問題に絡んでなされた発言のようであるが、果たしてこうした発言が企業のトップ、特に日本を代表する、どころか世界的な自動車メーカーのトップとしてふさわしいものなのかという疑問を持つ。
この自動車メーカーの不正の問題については私自身、これまでにも取り上げたが、その中でも国交省のルールに問題がある可能性について、”そもそもの国の認証の制度のあり方に問題があったのではないか”と指摘した。
一部の報道や自動車ジャーナリストによると、どうやら自動車メーカーは国交省の基準を上回る厳しさでのテストをしていたが、国交省としては、国の基準より厳格であるとしても、国の基準に則った認証手続きを守っていないことをもって、トヨタ自動車のみならず、日本の主要な自動車メーカー各社を不正として取り扱ったらしい。
これが本当だとするなら、国交省のこうした姿勢が果たして的を得たものなのかという問題はあるが、今回はそれを一旦脇に置くとして、問題は各自動車メーカーの対応、特にその筆頭とも言えるトヨタ自動車およびそのトップの対応である。
国の基準が緩く、自動車メーカー各社の基準の方が厳しい。それによって自動車メーカー各社は海外でも競争力を保つように心がける一方で、日本の国交省の基準に合わせたテストを行うことは二度手間となり、それを避けるために「不正」とされる行為に及んだとするのであれば、これはルールを守る点で自動車メーカーにも問題があると言わざるを得ない。
「悪法もまた法なり」と言われるように、国交省の定めた基準が仮に世界での競争力を保つために不十分なものであったとしても、それが国の基準として定められている以上、そのルールをまずは守るということが各社に求められることだろう。ただ、その上で国交省の基準作りに問題があるのだとすれば、一旦そのルールを守った上で、国交省に対して定められた基準の問題点を指摘し、このルールを変える努力を、トヨタ自動車を始め、日本の自動車メーカー各社およびその業界団体は行ってきたのだろうか。
こうした努力をしてきたという報道は見かけていないのだが、仮にそういった努力をしていないのだとすれば、それなしに、「国交省のイジメ的行為だ」と拗ねてしまい、言ってみれば国交省に対する愚痴を報道陣に漏らすことは、サラリーマンが居酒屋で上司や会社の愚痴を言っているのと何も変わらない。厳しいことを言えば、国交省と対峙することをせずに愚痴を言うことが、日本を代表する企業のトップ・経営者としてふさわしい行動なのか、疑問を持たれても仕方がないだろう。
トヨタ自動車を敵に回すことは、広告収入に頼る商業メディア各社や、メーカーから取材を許されることで成り立っている自動車評論家にとっては、言ってみれば死活問題である。こうしたことから、このようなトップの発言をメディアが報道したり、評論家がメーカーを批判することは期待しにくいことであり(これは自動車業界に限らない)、今回、朝日新聞がこれを取り上げたというのはやや異例のことのように思う。
そしてさらには、ルールを変えるだけでなく、ルールを作り出していけるようにならなければ、日本企業がその強みを世界で発揮して諸外国のライバルと戦っていくことはおぼつかないと言うべきだろう。いわゆるロビー活動の重要性ということにもつながるが、日本企業に限らず、日本人はこうした点についてのスキルが非常に足りていない。
最近の一例を挙げるなら、三菱航空機が開発していた新型の旅客機について、実際に飛行できる機体を作れていながら型式認定を取れずに開発が頓挫してしまい、民間企業としての損失はもちろん、そこに対してつぎ込まれた多額の税金が無駄になった事例がある。詳細についてはあずかり知らないことだが、これも言ってみれば、ルールに従う、そしてルールを変えるよう働きかけて、自らのビジネスの目的を果たすことができなかった一例と言えるのではないだろうか。ともすると日本人は「技術が素晴らしい」「ニッポンのモノづくり」という話に終始しがちだが、飛ばせる飛行機を作れる技術やモノづくりのチカラがあっても、型式認定を取り、ライバルに負けずに販売して、ビジネスにならないことには食えないことは言うまでもない。
これは一つには、「長いものには巻かれろ」ないしは「お上には逆らうな」という、江戸時代かさらにそれ以前からの日本人の特性・性格が反映されていることなのかもしれない。しかし、これは日本という島国の中での常識・慣行であって、世界から見た場合、こうした行動は不利になることはあっても有利に働くことはないだろう。
こうした日本人の傾向は、例えば「裁判沙汰」という言葉があるように、司法の判断を仰ぐことに対して消極的な姿勢にも現れている。しかし、自らに不利なルールを変えようと思えば、まずルールを決めている相手と交渉に臨み、その上で交渉がまとまらないのであれば裁判に持ち込んで司法の判断を仰ぐといった行動も、当然こうしたロビー活動の中に含まれることになる。
高度成長期に日本の経済が発展し、特にアメリカにとって日本企業の隆盛が脅威に映った頃から、日本の企業は様々な形で制約を課されるようになり、それがひいては現在のような日本経済全体の必要以上の凋落につながっているということもできるだろう。これも、ルールを変え、そして創る努力を怠ってきた結果ともいえ、その責任は、民間企業だけでなく国にもあり、つまりは私たち一人一人の問題だと思う。
今後もこの傾向が続くのであれば、人口も減っていくことも相まって、日本はさらに貧しい国に陥ってしまう恐れがないだろうか。
昨今、「リスキリング」「学びなおし」という掛け声が高まる中で、こうしたロビー活動や、ルールを変えそしてルールを創っていくといったプロセスに対するスキルを、一般社員のみならず、経営トップ、そして中央官庁の官僚なども含めて、国全体として学び直していくことが大切であるということが、今回の経緯の教訓だと思っている。