友人の誕生パーティーで出逢った人たち。
先週末、ミラノから東南に300キロほどいったファエンツアに出かけました。アイルランド人の友人の誕生日の前夜祭です(誕生日は丘の方にあるワイナリーのレストランでの昼食)。
ご存知の方も多いと思いますが、当地では誕生日パーティとは誕生日をむかえる本人がオーガナイズするものです。彼はファエンツァとダブリンの2拠点生活をしている活動的な人間なので、70人以上も欧州各地からやってきます。
その人たちのマックス2泊3日の宿泊予約、食事、ツアーなどをアレンジするので、「こりゃあ、そうとうにしんどいだろうなあ」と想像していたら、案の定、「もう、こんなのやりたくない!」と吐き捨てるように言ってました 笑。
会場となった美術館のスペースで「俺はあいつ(今日の主人公)を30年以上知っている」「私は20年くらいの付き合い」と英伊語を中心に自己紹介し合うのが、なかなかおかしいです。
ビジネス上知り合った人たちと、ビジネスの関係を超えて友人が長く付き合っている様子が窺えます。それぞれの時点で彼がどんな仕事をしているかをおよそ知っていても、具体的にどんな顔をしている顧客やパートナーと付き合っているかはぼくは知りませんでした。
今回、「20数年前に彼が話していたプロジェクトは、この人とやっていたんだ!」と初めてわかり、半ば謎解きのような時間でした。あるいは、他人の人生を覗き見る、というか。
彼はアイルランドの大学をエンジニアとして卒業した後、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで修士課程を修了。同地の大手デザイン会社を経て、当時飛ぶ鳥を落とす勢いがあったミラノデザインの渦のなかに入ってきたのです。
ぼくがイタリアにやってきたのと同じく、彼も1990年にイタリアで仕事をはじめます。ですから、親戚や学友を除くと、前夜祭で会った彼の古手の友人とは1990年代前半に彼が知り合った人たちです。
彼ら・彼女たちと話していて共通しているのは、アイルランド人、英国人、米国人と国籍は違えど、1990年代前半のイタリアに足を踏み入れた人たちの目に映ったイタリアとは2つのことに象徴されていたことです。
「マーニ・プリ―テ」と呼ばれる検察による構造汚職への凄まじい追及がおこなわれ、政治家が次々に失脚していき、キリスト教民主党や社会党などの与党が崩壊していくシーンです。
もう一つが大成功した実業家であったシルビオ・ベルルスコーニがあれよあれよという間に政治権力を握っていくさまです。
一つの政治浄化ともう一つの政治汚染のはじまり。
その後者の影がベルルスコーニのサルデーニャ島の別荘にあったのですが、昨年、86歳で本人はこの世を去り、5人の子どもたちはここを売却することに合意したようです。
「あの90年代前半の2つの動きが、結局はイタリアに何をもたらしたんだろうねぇ?」というのが、前述のパーティに参加していたイタリアを長く知る外国人たちに通じ合う思いでした。
これを、近くにいるイタリア人にはあえて聞かない!!
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ファエンツァはイタリアでも有数の陶器の街です。パーティが開催された美術館とは国際陶芸美術館です。
友人が手配してくれたホテルのインテリアも、下の写真のように「セラミックづくし」です。なかなかダイナミックです。