肩書を複数持つことの目的は?方法はみんな違ってみんないい
遅まきながら、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。昨年末に書いた初noteの反響が大きく、多くの方から感想やフィードバックをいただき大変感謝しております。今年は日経COMEMOのKOL(キーオピニオンリーダー)として、講演やインタビューなどパブリックな場で言えないような話やユニークな視点を提供できるコンテンツを発信していきます。様々なテーマについて書きつつ、皆さんの意見も取り入れながら自分自身を磨いていこうと考えています。
早速ですが、2021年私の初noteは日経COMEMOからいただいた「#肩書を複数持つ必要がありますか?」というお題についてです。(だいぶ遅くなりましたが)結論から言いますと、個人的には「肩書を複数持つこと自体の必要性」は全く感じません。肩書を複数持つことを否定するつもりはありません。けれども副業が最先端、複数の肩書を持つことがカッコいいみたいな風潮にはやや違和感を感じています。ここから私の見解をお話します。
肩書きより実力を重視する米国での経験
少し話がそれますが私の経験をまず共有させてください。私のキャリアの変遷についてはこちらがわかりやすいかもしれません。大学卒業後、新卒で入社したのは100人ほどの社員を抱えたソフトウェア会社でした。人材総合会社最大手のR社から内定をもらっていたものの辞退し、最終的に無名の小さな会社に決めました。その理由は、特筆すべき技能や知識もない平均的学生の私では大企業では恐らくチャンスはもらえないはず、でも組織の規模が小さければ平凡な私でも面白い仕事をやらせてもらえるかもしれないという極めて邪な理由です。(このあたりの決断に至った価値観の形成過程については本テーマからそれるので別の機会に書きます)
入社した会社は、当時米国最大の電話会社から包括的に顧客サービスを管理する基幹システムを購入し、日本市場向けに開発・カスタマイズする仕事を請け負っていました。日米共同プロジェクトチームをつくり、米国で常時100人を超えるメンバーが稼働していました。
予想通り、新卒研修後に現地赴任のチャンスが舞い込んできました。当時、好奇心が取り柄だった私はまっさきに手を挙げました。渡米した翌日から現場に放り込まれました。専門性の高いプロのエンジニアやスタッフがプロジェクトの成果を握っており、複数のチームを率いるリーダーの能力も卓越していました。日本人のエンジニアが名刺を見せても誰も気にとめません。年齢や国籍や性別ではなく、まさに発揮する成果と実力だけが頼りの世界でした。新卒の私は、少年野球から大リーグチームに来たような感覚を覚えました。「プロフェッショナル」として周囲から評価され、やりがいのある仕事を手に入れるには、自分の武器を磨き努力するしかない。そして今の私には能力もスキルもリーダーシップも何もない。そのことを痛感し続けた3年間でした。(力が不足しているという意識は今でも学び続ける原動力です)帰国後、市場で通用するプロになりたいと感じ、キャリアアップのため転職しました。それからいくつかの企業で働き、昇進して大きな役割を担うようになって多少の変化はありましたが、基本的なキャリア観に変化はありません。一つの組織にしがみついて上に上がることを目指す生き方よりも、成果を通じて顧客に価値を生み出すこと、そのために自身の能力とスキルを磨き成長し続けること。だからこそプロフェッショナル性を求める外資の世界で25年近く働けたのだと思います。
そもそも肩書きって重要なんですか?
このようなキャリア初期の経験から、名刺とか肩書に(他者も自分自身も)私はあまり関心がありません。実をいうと、名刺交換は憂鬱な時間です。なぜでしょう?肩書は所属している組織と地位・身分という断片的な情報は与えてくれますが、時に誤った印象を与えてしまうからです。相手の解釈で「本物の自分」が歪められていく怖さがあります。「〇〇で働いていていたとはすごいですね」「女性で役員とは素晴らしいですね」などと言われると辟易します。所属先や肩書でない、リアルな私を見てほしいと思うわけです。事業会社で人事をやっているとき、私は面接前に候補者の履歴書を見ないようにしていました。自分の経験から生じるバイアスで相手をプロファイリングしてしまい、「本当のその人」を見誤ってしまう可能性があるからです。(面接の後にはしっかり見ますけど)
「肩書とは不必要に人間同士を分離する」とダビッド・シュワルツが書いてますが、これは本質をついていると思います。肩書によってつながるどころか、距離感ができてしまう。そんな光景を幾度となく見てきました。どちらかが優位にたったり、劣位に感じてしまったりする場合、特に分離が起こりやすいと思います。本来、肩書とは地位や称号、役割を表すもの。ならば誰もが社会のなかで何らかの役割を担っているので複数の肩書があるはず。お父さん、お母さん、子供、妻、夫・・いろんな役割を担っており、これらもある意味、肩書です。(子供が小学校の時、〇〇のお母さんと呼ばれていました。私にとっては名誉な肩書きでした。子供達は会社や地位でなく、ありのままを見てくれます)「所属先」「地位」を示す肩書が、自分のアイデンティティだと思いこんでいると意識や行動に影響がでてきますよね。
肩書=あなたがやっている仕事ではありません。所属している組織とそこでの役割を示している「記号」にすぎません。あなたそのものではないのです。大事なことは「自分が何者であり、何を大切にしているのか。何をやりたいのか」を自身の言葉で語り、行動することです。名刺社会の日本では、肩書に近づいてくる人、肩書で人を判断する人、複数の肩書をマウントしてくる人がいます。肩書に囚われることなく「所属する組織」「地位」がなくなったとしても、自分を見失わずに生きていきたいものです。
複数の肩書を持つ本当の目的とは?
ここ数年、ジェームス・アベグレンが60年ほど前に唱えた日本的経営の三種の神器の一つ「終身雇用」という社会通念がかなり薄まってきました。価値観の多様化に伴い、雇用形態や働き方の選択肢が増えました。一つの会社に正社員として一生を捧げるのではなく、社外に複数の仕事をもつ働き方は、副収入を得る手段としても注目されています。「企業・本人・副業先の三方良し」という認識と共に、先進的な企業では、過重労働や情報漏洩などの阻害要因を取り除き、社員の副業を積極的に後押しする取り組みも進んでいます。
では、複数の肩書を持つ目的は何でしょうか?複数の肩書を持つこと=社外で副業することでしょうか。私は、副業は単なる手段にすぎないと思っています。複数の肩書を持つ目的とは、『一つの企業に縛り付けられるのではなく、別の場所で働く・学ぶを主体的に選択すること』ではないかと考えています。このあたりは越境学習(パラレルキャリア)の第一人者である法政大学大学院政策創造研究科 石山恒貴先生の本をご覧ください。石山先生はオルデンバーグが定義したサードプレイスの概念を以下のように紹介されています。
サードプレイスとは家庭(第1の場)でも職場(第2の場)でもない第3のとびきり居心地が良い場所であり、以下のような特徴がある。
①中立性がある
②社会的平等性の担保
③会話が中心に存在する
④利便性がある
⓹常連の存在
⑥目立たない
⑦遊び心がある
⑧もうひとつのわが家のような場所
自分がよりどころとしている環境(ホーム)と外部の環境(アウェイ)を往還することを越境といいます。平たくいえば、職場や家庭ではないサードプレイスを見つけ、「関心があることをやる」「達成感を感じる」「楽しい・癒しになる」ことです。ここでのポイントは、自分で主体的に選ぶ行動です。サードプレイスの活動は副業にとどまりません。大学院でも、地域のボランティアでも、PTAでも良いのです。たとえば子供が五年生の時、私は初めてPTAの役員をやりました。子供と先生が一緒に学ぶ研修の場を企画・実行する役割です。これなら私の経験が役に立つかもしれないと考え始めたものの、共通項のない専業主婦のお母さんたちとの場はかなりアウェイで、最初は居心地が良いものではありませんでした。ところが、学校の運営を細かく把握していた彼らは有益なアドバイスをくれたり、私が苦手な領域を支援してくれて、気づいたら同じ目標を達成する一つのチームのようでした。この経験は自分の前提やバイヤスを見直す機会となり、仕事にも持ち帰れる学び(異質な人々を巻き込みながら物事を進める)となりました。
このように、慣れ親しんだホームではなくアウェイと行き来する「越境」にはいくつか利点があります。まず、自分が所属する組織やコミュニティを超えて、サードプレイスで自分の役割を見出して活動することは、能力開発やキャリア形成に大きな効果があります。これを越境学習と呼びます。次に、自分の当たり前の前提を見直したり、多様な環境での実験、他者からのフィードバックなどにより「やりたいこと・価値観」を再発見できます。さらに越境して新しい複数の役割を持つことは(肩書そのものではなく)、今までとは異なる「人とのつながり」、新しい人間関係を築くことができます。
そして最大の効果は、①自己実現(やりたいことをやってみる)②他者承認(ありがとうと周囲から言われる)③他者貢献(自分が役立てている実感)という、人が幸せを感じる要素を体感できることです。したがって、複数の肩書を持つ究極の目的は、主体的な選択をすることで「より幸せにそしてより豊かな人生をおくる」ことではないかというのが私の結論です。
「人とのつながり」が人生を豊かにし、自分をアップデートする
昨年の非常事態宣言中、会いたい人とリアルで会えないもどかしさに、家族や職場の同僚など人とのつながりの重要性を私たちは再認識しました。2020年度にリクルートワークス研究所が行った国際調査によると、アメリカ・フランス・デンマーク・中国と比較した場合、日本は「人間関係が家庭と職場に閉じがちで社外の人間関係の幅が狭く、質を伴わない関係が多い(勤務先の上司や同僚とか、Facebookでつながっているだけの友達とか)」ことがわかっています。また2015年のOECDの調査によると、日本における社会的孤立を感じている人の比率が(友人、仲間、その他の集団と交流がない)先進国でもダントツで高いそうです。同様の調査が他にもあるのでかなり実態に近いのではないでしょうか。「より豊かな人生をおくるために、人間関係の質を高め、質の高いつながりを増やすことが不可欠」ということは多くの調査結果から明らかになっています。
前述したように、サードプレイスを見つけて越境するとことにより、私たちは新たな「人のつながり」を育むことができます。越境における「つながり」の特徴として、人間関係が対等(地位や年齢が関係ない)、職場や家庭で出会えない人と会える、忖度せずに言いたいことが言える、知識・価値が創造される・・などが挙げられます。しがらみや上下関係のない関係を保ちながら、共通のビジョンの実現、目的達成のためにアドバイスを求めあったり、協同したりすることで「新しい価値や知識の創造」が可能になるのです。
実は、私はこれを日々体感しています。仲間と運営するFunleashには、全員が副業もしくはプロボノとして参画しています。事業会社の会社員、経営者、個人事業主、主婦などバックグランドが異なる人たち。皆んなが自分の経験や技能を活かしてやりたいことに挑戦し、そこからの学びをシェアする学習共同体なのです。「ビジョンに共感した」「面白そうな人たちがいる」そんな理由で、Funleashには多様な人が集まってきます。いろんな化学反応が起きています。その結果がビジネスにつながるユニークな例なので紹介しました。このような組織体は今後増えていくのではないかと思います。
「自分をバージョンアップする」「自分の中に変革を起こす」ことは自分自身の努力でできることです。けれども「多様で良質な人とのつながり」によって、その効果が加速度的に高まります。職場や家庭など閉じた環境に長くいると、基礎的な前提に疑問を投げかけることが少なくなり、当たり前の日常を過ごしてしまいがちです。いつの間にか深く考えずに、無意識に何かをこなすだけになるかもしれません。「自分自身に変革を起こしたい」「アップデートしたい」と考えている方には、新たな視点や学びをもたらすサードプレイスで「複数の役割」を見つけ、豊かな「人とのつながり」から自分自身の変化を楽しんでみるといいと思います。
自分らしい生き方を主体的に選ぶ
新型コロナウイルスの拡大によって余儀なくされた在宅勤務により、組織の外で仕事をするハードルが低くなりました。将来の雇用がなくなるかもしれないという不安から、キャリア形成や副収入のために社外での「新しい働き方」を積極的に模索している人が増えているのはご承知の通りです。
隙間時間を有効に使って外部からコンサル支援を行うサービスを展開しているビザスクCEO端羽英子氏は、個人の視点から新しい働き方で活躍するために大切な事として次のように語っています。
「働き手は価格競争に巻き込まれないような能力を高めていく必要がある。副業でも時間を切り売りするような仕事だけではもったいない。会社員ならまずは社内の役割を離れて働いてみることで、世の中で求められる技能や自分の市場価値に気づくことができる」
これからの時代、個人のスキル・技能向上はこれまで以上に重要です。組織の外での仕事や人とのつながりが未来にキャリア形成に最も有効であることも明らかです。けれども、新しい働き方を模索する中で「他の人と比較したり、流行りに流されたりせずに自分で主体的に選ぶ」ということが大事だと思います。同調圧力が強い日本社会では、皆んながやっていることをやっていないと自分だけ遅れているような感覚にとらわれてしまうことがあります。先に述べたように複数の肩書を持つこと=副業ではありません。今すぐ副業したり、ギグワーカーとして働ける人は社外に出てどんどん挑戦すればよいでしょう。一方で一つの組織で働いたことしかない人が副業をためらうのは当然です。所属している会社に仕組みが整備されていない場合もあるかもしれません。そういう場合には、組織の中で関わりの少ない他部署・他部門の人、あるいは部門をまたいでチームをつくって課題解決に取り組む方法などもあります。全社横断の社内研修や他社とのプロジェクトを人事部門に提案してもいいでしょう。組織の中でもサードプレイスを見つけ、複数の役割を担うことは可能なのです。身近でどんなことがやれるか考えて見ると意外にあるものです。
昨今、メディアやSNSから発信される働き方トレンド情報(このnoteもきっとそうですね)が急激に増えています。それらの情報は参考にしても、そのまま鵜呑みにする必要はないと思います。副業して複数の肩書を持つことはあくまで手段であり「より幸せにそしてより豊かな人生をおくる」ことが究極の目的であることを考えれば、自分に合うやり方を模索することのほうが意義があります。人の数だけ「人生を豊かにする」方法があるわけです。手法はみんな違ってみんないい。人とのつながりを通して①自己実現②他者承認③他者貢献を体験できるのであれば、趣味、サークル、同好会、勉強会、おやじの会、地域のプロボノ、PTA活動などなんでも良いのです。「面白そう」「興味ある」「できるかもしれない」から始めてみる。これが最も効果的で継続する秘訣です。今はオンライン活動が中心なのでより気軽に参加できるのではないでしょうか。
余談ですが、昨年行った弊社イベントでラグビー前日本代表キャプテンの廣瀬俊郎さんに登壇していただきました。現役時代からさまざまな活動をされていましたが、引退後は俳優業に大学院にNPO理事など、活動の幅をさらに広げています。複数の活動に積極的に取り組む理由は?という質問に対して、廣瀬さんは笑顔で一言。「面白そうだから」これなんです。参加者の皆さんも大いに納得されていました。
自分の感覚を信じ、自分に合った方法で「一歩踏み出す」ことが大事です。新しい年もスタートしたばかり。キャリアも働き方も暮らし方も自分で選択できる時代になってきました。肩書などにこだわらずに、より豊かな人生をおくるために「面白そうなこと」からまずは始めてみませんか?