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ともに作り上げる未来 「亭主・正客」の構造

十年以上前に一身上の都合でやめてしまったのですが、茶道に足を踏み入れていた時期がありました。とある流派の家元直門の先生につき、重要文化財でもある家元亭での初釜のお手伝いをはじめ、様々な経験をさせていただきました。そうした中で、僕は亭主と正客とのコミュニケーションの構造に、興味を持ちました。

これについては、COMEMOの人気KOLであり友人でもある若宮和男さんが、とてもわかりやすく記事にまとめてくださっていますので、ぜひご一読ください。

亭主は、茶席で世界を表現します。そのテーマは、茶席ごとに異なりますが、様々なプロダクトを組み合わせながら世界を表現するところは共通しています。客は、設えられた茶席の意味を読み解くことで、そこに描き出される世界を味わうことができます。茶席は、濃密な意味空間であり、それを仕込んだ側と読み解く側との間に立ち現れる世界を味わう場なのだと思うのです。

ただし、それを読み解くためには、様々な知識や観察眼、センスが求められます。それは、犯行を読み解く探偵のような、ある種の推理ゲームのような要素も併せ持っているのかもしれません。たとえば、その流派では義士茶会というものが催されていました。赤穂浪士の討ち入りをテーマにした茶会です。そこには、山川という名前のお茶菓子(「やま」といえば「かわ」の合言葉ですね)や、大高源吾の削った茶杓(義士のひとりの手製のプロダクト)や、花かご(吉良の首に見立てて風呂敷につつんだと言われる花かご)などが、用意されていたりします。しかし、それらを目にしても、その由来を読み取ることができなければ、「和の空間ですねー、わびですか? さびですか?」みたいな表層的な楽しみ方しかできません。

そこで求められるのが、攻略本のような「正客」です。「ご亭主、これはなんですか?」「ご亭主、これはもしかして」など、重要なポイントごとに、正客が亭主に「問い」を投げかけます。そして、亭主が答えることによって、他の客たちは世界を読み解くことができるようになります。
この問いと答えが「問答(もんどう)」と呼ばれるものです。禅における問答と同じです。

こうした構造ゆえに、二種類のファンが生まれます。ひとつは、魅力ある世界を構築する亭主に対するファン。もうひとつが、秘められた世界を魅力的に解釈してくれる正客に対するファンです。亭主がどれほど魅力的な世界を構築したとしても、それを解釈してくれる正客がいなければ、他の客には価値が伝わりきらないのです。だからこそ、「あの人と一緒にお茶席にいくと、とても面白い世界を味わえる」というファンが生まれるのです。そういう意味で、正客は、意味の流通におけるラストワンマイルを担う存在と言えます。

東洋思想の大家である鈴木大拙が、相手の中でもなく、自分の中でもなく、間にこそ価値が生ずる、と書いていました。まさに、亭主の中だけでもなく、客の中だけでもなく、その間に世界が立ち現れてくるのだと思うのです。

これは、何も茶席に限ったことではなく、あらゆる物事に言えるのだと思うのです。より良い未来をつくろうとするベンチャーの営みも、世界のありようを見出そうとする研究も、COMEMOに投稿される様々な考えも。それ単体ではなく、読まれることによって、読者との間に解釈された世界が立ち現れるのだと思うのです。

世界は、亭主と客という双方の立場があって、初めて立ち現れてくるものです。作る側と使う側。その両輪が、未来に進むために必要です。僕たちは、時に作る側に立ち、時に使う側に立ち、様々な人とともに、未来に向かって進んでいるのだと思います。

今目の前にある、それを使うことで近づく未来があります。目の前にあるそれを食べることで近づく未来があります。作ることと、使うこと。それぞれ、未来につながる行為なのだと意識することで、よりよい未来に近づいていくことができる。未来を作り出すことは、何も難しいことばかりじゃなくて、きちんと選んで使うことだけでもよいのだと思うのです。未来は、すべての人がともに作り上げるものなのだと、改めて感じます。

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