隠れてない「隠れ円安」
「隠れ円安」の意味
ドル/円相場が再び160円を突破し、注目度が高まっております。この点、「隠れ円安」というフレーズを紙面上で目にしました。厳密には6月19日付の日本経済新聞における「『隠れ円安』進行、英ポンド200円突破 及ばぬ介入神通力」と題した記事がそれです:
調べて見ると、この「隠れ円安」という言葉は2023年11月および今年2月にも登場しており、周囲でも耳にすることが何回かありました。認知度は相応に高いようです。しかし、「隠れ円安」と表現すると仰々しく聞こえますが、これは要するに「実効円相場の下落」でしょう。過去2年間、本noteでは需給構造の分析を通じて「実効ベースで円が下落しているのが本質であり、円安を『ドル高の裏返し』と理解するのは危険」といった趣旨の主張を重ねて参りました。実際、今次円安局面が始まった22年3月、円の名目実効為替相場(NEER)は▲5%下落していましたが、ドルはほぼ横ばいだったという事実があります。今回の円安はそもそもドル高の裏返しで始まったものではありません。これは紛れもない事実です:
要するに、対ドル以外での円安は決して「隠れ」ていたわけではなく、単にメディアもアナリストも、ドル/円相場の議論に終始し、他通貨動向への関心が薄かったというだけの話です。毎月発表される実質実効為替相場(REER)と名目実効為替相場(NEER)で円は着実にその水準を切り下げてきました(NEERに関して言えば、国際決済銀行が日次データを公表しており、1週間に1度、5日分を更新しています)。
本稿執筆時点では今年5月時点までのREERおよびNEERが確認できます。水準で言えば、前者(64.45)は1967年1月以来、後者(71.48)は1990年9月以来の安値です:
物価調整後の前者が「半世紀(以上)ぶりの安値」であるため耳目を引きやすいですが、物価調整前でも概ね「34年ぶりの安値」であり、この状況は既に昨年から出現していました(過去のnoteでも取り上げたことがあります)。そして、その後者のNEER下落こそ新聞で報じられる「隠れ円安」の正体と言って差し支えないでしょう。NEERが下がり続けた象徴的な結果が対ドルで160円、対ユーロでは170円、そして対ポンドでは200円という節目到達なのであって、それ自体に大きな意味を見出すべきではない、と筆者は思います。
よりはっきり申し上げれば、特定通貨ペアに着目した議論が最初からミスリーディングなのです。実質にしろ、名目にしろ、実効相場の下落は「主要貿易相手国の通貨に対してすべからく下がっている状況」を意味します。対ドル相場だけに執着する向きからすれば、それ以外の通貨に対する下落が「隠れ」ているように見えるのかもしれませんが、今次円安局面では常に起きていた相場現象です(その意味で「隠れている」というよりも「見ていなかった」の方が正確な表現かもしれません)。
だからこそ筆者は当初より「他通貨の傾向から円相場の動向を語るのではなく、円相場の傾向から他通貨の動向を語るべき」と主張して参りました。その1つの解が今や為替論壇において花盛りとなっている国際収支の構造変化に関する議論でしょう。この点については過去1年余り、もうしつこいくらい議論して参りましたので、ここでは紹介は控えます。
問題は「隠れ円安」より相変わらずREER
今後、NEERの低位安定が解消するにあたってはFRBの利下げとこれに伴うドル全面安などが求められますが、これは相応に予想される展開ではあります。ドル安の一環としてある程度円高へ揺り戻しが起きることは変動為替相場制である以上、予想できるものです(恐らく「隠れ円安」というフレーズもその時には忘れられている可能性が高いと思います)。
しかし、問題は「半世紀ぶりの安値」で推移するREERでし。これはドルを基軸とする名目相場の動向だけで解消する話ではないからです。理論的に大きな意味は無いですが、今年5月時点におけるNEERに対するREERの比率(REER÷NEER)を取ると0.9017となる(前掲図)。これは1964年1月に始まった現行統計開始以来で最低です。REERの下落ペースがNEERのそれよりも大きい結果であり、言い換えれば日本の相対的なディスインフレ状況を浮き彫りにしています。とすれば、今後、名目ベースで(≒NEERの世界で)円高相場が到来しても、REERの低水準がある程度放置されることは十分考えられます。仮に、1ドル140円台まで円高が進んでも、対米国で見た日本のディスインフレ状況が変わらない限り、REERが円高方向へ動くことは難しいです。
とはいえ、筆者は今後、REERが円高に振れる可能性は高いと思っています。この点もこれまで再三論じてきましたが、日本のディスインフレ状況は外生的には円安・資源高で、内生的には人手不足で、明らかに解消へ向かっています。その上でインバウンド需要により財・サービスの値段が引き上げられている状況も加わっています。
結果、日本国内の実質所得環境は毀損し、実質消費のクラウディングアウトが起きてしまっているのは周知の通りです:
理論的に想定されるREER上昇という調整は日本のインフレによって実現する可能性が高く、今、まさにそれが進行しているというのが筆者の認識です。
実際、過去四半世紀程度の消費者物価指数(CPI)を見ても、日本が劣後していた状況が足許で解消に向かっているようにも見受けられ、これが一過性なのか、それとも持続性を持ち得る現象なのかが注目されます:
今の日本経済で起きている各種現象を踏まえれば、現状の物価情勢は相応に持続性を持ち得る傾向と考えた上でREERの趨勢を注視すべきというのが筆者の立場です。いずれにせよ、特定通貨ペアの動きだけにフォーカスして円安を騒ぎ立てるのではなく(その結果、今まで見ていなかったものを「隠れていた」と指差すのではなく)、大所高所に立った相場観を養う時期に来ているのは確か思えます。この辺りの本格的な議論はいつも通り、下記のメンバーシップ上で展開しております:
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