アフター/ウィズ・コロナと言いたいだけの人々

アフター・コロナまたはウィズ・コロナというフレーズを見聞きしない日はありません。政府の専門家委員会による「新しい生活様式」という大仰なフレーズやその語呂の良さも相俟って多用されている印象です。単なる感染対策を「生活様式」と表現することの是非はさておき、浸透はしています。

確かに長い闘いになりそうです。経済・金融分析に向き合う上でもアフター・コロナまたはウィズ・コロナは1つのキーワードにならざるを得ないと筆者も感じています。過去のnoteでも述べたように、恐らくは企業や家計といった民間部門がマクロ経済全体で貯蓄過剰主体として張り付く世の中が到来するのではないかと思っています:

こうした世の中では金利も物価も低位安定し、経済均衡のために政府部門が消費・投資に勤しむことになりそうです。その際に積み上がった政府債務は中銀のBSが「身代わり地蔵」のように引き受け、膨らむことになっていくでしょう。こうした現象は、煎じ詰めれば「経済・金融の日本化」というものですから、日本経済ひいては日本人にとってはこれからマクロ的な変化はさほど違和感はないかもしれません。詳しくは上記のnoteをご参照下さい。

「東京で住む・働く」は時代遅れなのか?
これらの考え方は経済・金融面からの議論ですが、最近は社会一般についても「ウィズ・コロナで移住だ」とか、「アフター・コロナはオフィスが不要になる」とか、あげく「都市化はダサい」というストレートな主張も見かけたりもするようになりました。まるで東京都心に住んで働くのが時代遅れ化のような論調です。しかし、なんとなくふわっとした論調を感じるのも事実であり、「アフターコロナ、ウィズコロナと言いたいだけでは?」という印象も抱きます。

例えば上の記事ではヘッドラインに『増える「コロナ移住」』とあります。しかし、本当に増えているのでしょうか。記事を見る限り、「興味がある人が増えている」くらいの話に見えます。移住について「興味がある」と「本当にやる」の間の距離感は相当大きいと思います。興味程度なら私もあります。もちろん、移住(複住?という言葉もあるようです)は個人の嗜好の問題でしょうから、やりたい人はどんどんやれば良いと思います。しかし、そういった動きを一般化して広くあまねく「そうしなければならない」のようなムードが強くなっている風潮に少し居心地の悪さを覚えます。

関連する論点では、以下のような記事を読みました。こちらの方が首を傾げました。「『東京で働く』しか頭にない人が気づかない視点」と言われても、東京に雇用機会が集中している結果として東京で働く人も相当数いるというだけではないのでしょうか。「原因(東京に雇用がある)」と「結果(だから東京で働く)」を混同しているように思います。東京にしか働き口が見つからない人に「東京で働くしか頭にないのか」と言っても、「当たり前だろ」としか思わないでしょう。

なお、この記事中、「3大都市圏の20代では24.8%(約4分の1)の人が地方移住の推進に興味があると答えている」とあります。ですが、「3大都市圏の20代の25%」は日本の中では大した数ではないはずですし、しかもその割合が「本当に移住した」のならまだしも「興味があると答えている」だけでは何の参考にもならないでしょう。繰り返しになりますが、「興味がある」と「本当にやる」は全然違う話です。総論として大きな話を切り出していこうというのに、この程度の数字では弱過ぎると思います。この手の議論が最近、凄く多いように思います。

後述するように「都市である」ということには経済的メリットが明らかにあるわけですから、それが嫌なら嫌で構わないと思いつつ、一般化したいのであれば「地方化には都市化以上の社会厚生を引き上げるメリットがある」ことについて説得的な議論に示して貰う必要があります。漠然と「地方創生だから」ではなく、です。

現状のふわっとしたムードの中、「働く場所や住む場所をドラスティックに変えよう」というのは論調に乗る気は到底起きません。普段、抑圧されている部分が大きいせいなのか、日本では窮地に陥ると突然「一発逆転の妙手」が取り沙汰され、それに皆が飛びつく悪い傾向があるように感じます。その代表的なケースが最近では9月入学案だったと思います。もうすっかり目にしなくなりました。まだ1か月ちょっと前の話とは思えないくらいです。

移住や複住大いに結構ですが、大多数の勤め人がそれを実行するハードルの高さ、結果として得られるメリット/デメリットを考えると、現実的に流行るとは思えません。複住という言葉を私は知りませんでしたが、それは「富裕層が別荘を持つ」と何が違うのかよくわからないというのが正直なところです。そんなものが本当に流行るのでしょうか。

オフィス不要論にも謙虚さは必要
オフィス不要論も捗々しいものがあります。

確かに、これほどの大きな会社で面積半減というのは驚きです。物理的に面積を半分にしてしまえば、あとから裁量的に「やっぱりなし」という撤回が難しいからです。これは不退転の覚悟だなと思うと同時に、その分不要になる人員も出てきたりはしないのだろうか、という直感的な不安もあります(出勤率抑制も掲げられていますのでその類の話ではないと思いますが)。

とはいえ、こうした論調が一般化していくには「労働者の大多数がリモートワークになる」ことが前提です。上述のように、それができる会社もこれから増えてくるのでしょうが、それを今後のしかるべきトレンドのように語ることにも慎重さは必要です。記事中(「忍び寄る~」)で言及があるように、空室率が反転上昇に向かう可能性は確かにありそうです。しかし、それだけをもって「不要」まで論じるのは随分勇気が要るとも感じます。

世の中には社会インフラを回すために現場(オフィス)で身体を張らなければならない労働者層も沢山います。「身体を張る」はブルーカラー/ホワイトカラーという意味ではなく、オフィスに出なければならない、という意味です。電気・水道・ガス・金融決済・医療etc 様々な事情からプロセス全てをリモートにするわけにはいかない(できない)分野はあります。私のようなリサーチ職はリモートワークと親和性が極めて高い(高過ぎるので余計に疲労する・・・とすら感じます)わけですが、それでも「エッセンシャルな仕事をしてくれる人々がいるからリモートワークできる人もいる」という謙虚さは持ち合わせたいと思っております。

「皆ができるわけではない」ということを念頭に「できる人はやっていこう。結果として広いオフィス需要も多少は減る」・・・くらいの認識で良いのではないでしょうか。いきなり不要論にベットするのは違うと思います。

また、上述の企業とは対照的に「リモートワークではダメだ」と割り切る企業も出てきています:

こうした企業にも相応の言い分があります。記事中の伊藤忠の場合、社長自らが「在宅勤務での生産性維持の難しさ」と「取引先との関わり」を挙げ、家庭での集中力維持の難しさや、取引先のニーズに対応するため、会社という環境が必要という考え方を披露していますが、これに真っ向から反対するのは難しいと思います。

筆者も講演会やセミナーなどは対面で実施するには未だ至っておらず、テレカンやオンラインでやらせて頂いておりますが、それはそれで良さ(最も大きなメリットは移動時間がゼロ)もあるものの、やはり同じ時間と空間を共有することの付加価値を感じておられるお客様の声が少なくないように感じております。

やや話が逸れますが、オフィス不要論を謳う人々は6月以降の大手町や丸の内の様子をご覧になった方が良いと思います。良くも悪くも日本経済の中心がこの局面でどう動いているのか、本件を論じる上では目にしておいて損はないと思います。とりわけ平日のランチ時に覗いてみたりするとよいかもしれません。まだまだオフィス不要論には程遠いと感じるはずです。

「都市化がダサい」というお話
以下のような記事も見ました。

「都市化がダサい」そうです。なので、この論者の方は世田谷から葉山に引っ越した、と。そもそも葉山はそこそこ都市であるし、お洒落で流行っている場所では・・・と思わないわけでもありませんが、それは脇に置きます。とりあえず、このような論調になびく人は相応に多いようです。それも嗜好の問題ゆえ、好きにすれば良いとは思います。リモートワークの普及度合いに合わせ、都市化の是非を説く論調は今後も流行るでしょう。

しかし、都市化には無視できないメリットがあるわけです。黒死病やペストなど、過去に酷い疫病があっても都市化の流れは止まりませんでした。何故でしょうか。もちろん、今ほど遠隔技術に優れていなかったという指摘は一理あるでしょう。しかし、経済学の一分野である空間経済学では色々な経済活動が1つのエリアに集積することで企業や産業の生産性が向上し、都市化が進んでいく様をダイナミックに分析します。いや、そうした理論的な話を持ち出さなくとも、多くの人が集まっているところに便利なサービスが集中するのは改めて説明するようなことではないでしょう。恐らく、上述の論者の方も「ダサい」と言いつつ、都市化のメリットは享受している可能性は高いと思います。

東京に賭けるしかない

とりとめのない文章になってしまいましたが、経済・金融情勢をウォッチしている端くれからすると、世界最速ペースで少子高齢化が進む日本が世界と伍していきたいのであれば、良くも悪くも東京に賭けるしかないと常々思っております。東京に一極集中させた上で国際競争力を維持するというのが常套手段ではないのでしょうか。現在、香港騒動に乗じて国際金融センターの地位をという声も聞こえて参りますが、その勝算はさておき、そのつもりがあるならば、東京の力を分散させるような策は悪手だと思います。

ムードに乗って移住やオフィス不要を軽々に口にしたところで東京一極集中の流れが変わるとは思いません。しかし、その流れが本当に変わった場合、それが日本経済にとってどんなに良いことなのかを感情論抜きで語れる人が出てくれば、この先、面白いことも起きるのかもしれません。そういう議論も見てみたい気はします。


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