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少子化問題の裏でパンクする若い夫婦

少子化は先進国の現代病

少子高齢化は、先進諸国にとっての現代病だ。人口維持に求められる出生率の2.07を超えている先進国はなく、どこも減少傾向にある。特に、超少子化に陥る分水嶺である1.5を下回る国も多い。

最も状態が悪いのは韓国で、次に日本が続く。欧州でも、スペインにイタリア、ポルトガルが厳しい状態にある。新興国の中でも、タイも出生率が低く、日本同様に人口減少期に入っている。今は人口ボーナスで圧倒的な影響力を持つ中国も出生率は低いとみられており、BBCによると2100年までに人口が半分以下に減少するとみられている。

出生率の低下の要因はいくつか考えられるが、最も大きなものは女性の負担が増えていることだ。女性の高学歴化と社会進出が進み、男性との差が減るとともに、社会活動に費やす時間と労力も増えている。それにもかかわらず、結婚をすると男性よりも家事の負担が増え、出産後の子育てでは更に負担が増加する。そもそも、女性は生物学的に男性よりも体力にハンディキャップを抱えており、月経のために毎月必ず体調が悪くなるという不利を抱えている。そのため、男性と同じように働くだけでも男性よりも負担が多いのに、更に家庭内での役割を期待されても無理がある。

お金もない、時間もない

それでは、家事や育児の負担を男性に増やして、女性の負担を減らせば良いかというと、話はそう単純ではない。福祉が充実しており、男性と女性の家事と育児の分担割合が均等に近いフィンランドであっても、出生率は高くはないのだ。そこで注目したいのが、若者の所得とライフステージでの役割だ。以下の表は、米国とドイツの年齢階級別の家計収入と消費支出についてまとめたものだ。

米独若者所得

上表をみると、結婚と出産の最も多い25歳~34歳は、30代後半以降の所得の伸び率の高さから、頑張り次第でキャリアが決まる大切な時期であること、消費支出の金額が20代前半と比べて飛躍的に高まって金銭的に余裕がなくなることがわかる。なお、米国とドイツ共に消費が大きく上昇しているが、20代前半と比べて上昇率が大きいのは住居費と個人年金・保険である。年金や保険のような社会保険関係費の支出が増えて、金銭面を圧迫させるという構図は日本も同じである。

つまり、先進国の20代後半から30代前半の若者世代は、金銭的な余裕がなく、この時期に仕事を頑張らないと所得が上がらない正念場にあると言える。このような状況で、腰を落ち着けて子供を産んで、子育てするというのは無理がある。

若い夫婦は期待され過ぎている

若い夫婦には、お金もなければ、時間もない。日本だけではなく、世界中の先進諸国が抱える問題だ。それにもかかわらず、20代後半から30代前半には勤め先の仕事以外にも、更なる役割が期待されている。

例えば、働き方改革で残業がなくなったものの、残業代がもらえなくなったので所得が減ってしまった。そこで、穴埋めとして副業する必要性に駆られるようになり、企業も奨励するようになってしまった。ただでさえ、ブラック企業などで労働者の搾取が問題視されている日本で、更に労働時間が増えることになってしまう。しかも、残業の場合には基本給よりも割の良い報酬が期待できるが、副業の相場は基本的にフルタイムの時よりも安価である。

また、ビジネスで求められるスキルの高度化によって、20代後半から30代前半で大学院進学や資格の取得など、自己研鑽と成長のための投資をすることが求められてきた。40代で高いポジションと高収入を望むのであれば、ただでさえ少ない収入を、自分の能力開発のために投資しなくてはならない。投資回収が期待できるのは、40代を超えた後である。

更なる追い打ちとして、祖父母の介護問題も出てくる。30代の両親から生まれた場合、30代前半で両親は60代から70代となる。当然、定年退職の年齢だ。しかし、人生100年時代のため、祖父母4名のうち何名かが100歳近い年齢まで生きている。夫婦だと、この人数も倍になる。両親は定年退職をしてしまっているために収入が安定していない状態であり、元気なうちは祖父母の介護ができるが、それが難しくなると両親と祖父母の介護問題が孫世代に集中する。両親が元気で介護のために直接手を動かす必要がなくても、それよりも先に金銭面での問題で孫世代が祖父母の介護費用を負担するというケースも増えてきている。

週5日8時間の就業時間内で残業が常態化していたときと同様以上の成果を出し、残業代が出ない分を副業の収入で賄い、できた余裕を大学院などの能力開発に投資し、同時にプライベートでは結婚をして、出産と育児をする。尚且つ、両親と祖父母の介護も行う。

現在の20代後半から30代前半の若い夫婦に課せられた役割をまとめると上記のようになる。明らかに役割が過剰な状態であり、スーパーマンではない一般人が抱えることができるキャパシティを超えている。尚、昭和の時代の男性に課せられた役割は以下の通りだ。

朝から晩まで会社のために粉骨砕身で働く。家のことは奥さんに全て任せる。介護は実家の母親の仕事。ストレスは会社の交際費で朝まで飲んで発散する。

令和の若い夫婦と比べたとき、昭和の既婚男性の役割はシンプルだ。このシンプルな世界で生きてきた人たちを上司に持ちながら、令和の若い夫婦は社会人として生きていかなくてはならない。このような状態で、落ち着いて出産と育児ができるかというと難しいだろう。しかも、現在の奨学金の受給率を考えると、大卒の半数以上が上記の役割に奨学金の返済義務まで付きまとってくる。

落ち着いた環境がなければ子供を産まないのは、人間だけではなく、生き物の基本だ。若い夫婦に出産と育児を期待するのであれば、まずは環境を整えなくてはならない。ほかの生き物とは異なって、人間だけが環境が整わなくても気合と根性だけでなんとかしろというのは非合理と言えるだろう。出生率を上げようというのであれば、まずは環境を整えること、それが第一歩である。それができない時点で何をやっても無駄なことは、これまでさんざん成果が出なかった人口対策の政策の歴史が教えてくれている。

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