「捨てる」で「ぶち抜く」そして「生き抜く」 〜アートシンキングな事業のつくり方
お疲れさまです。uni'que若宮です。
コロナ禍による緊急事態宣言も延長され、まさにwithコロナの様相を呈して来ました。ここで大きく、企業のあり方も変わりそうです。
利益を追求するだけでなく、自然と共存する考え方に変えるべきだ。
「50年、自分の手法がすべて正しいと思って経営してきた。だが今回、それは間違っていた。テレワークも信用してなかった。収益が一時的に落ちても、社員が幸せを感じる働きやすい会社にする。
これまでの価値観もやり方も反省して見直し、大きく変える。永守さんの強い意思に感銘を受けた経営者も多いはずです。
事業をつくるときに大事にしていること
さて弊社ではこんな中でも積極的にあたらしい取り組みを続けています。弊社uni'queでは『Your』という女性に特化したインキュベーション事業をしているのですが、
毎週のように新しい事業アイディアの壁打ちのMTGをしています。自社で事業をつくる傍ら、外部ブレーンとして企業の新規事業つくりにメンタリングもしていて、これまでたくさんの事業をみてきました。
その中で「コアバリュー」や「アートシンキング」のような今のスタイルが生まれてきたわけですが、実は事業の壁打ちの時真っ先にすることは「捨てる」ということです。
これまで100以上の事業の壁打ちをしてきましたが、事業アイディアがあまりに「多い」ものになってしまっているケースがほとんどです。とくに大企業出身者やコンサル経験者など「賢い」人たちほど「あれもこれも」になっているケースがほんとうに多い。市場データや理屈がかなりの枚数で積み上げられているのですが、なんのプロダクトなのかがよくわからない。
それは資料をまとめる能力とかサービスを説明するうまい言い回しのようなレベルではなくて「あれもこれも」になっているから。「ECやデータビジネスも展開可能」とか「win-winのプラットフォームを構築」とか、サービスバリューがくっつきまくってとにかく「あれもこれも」になっています。「色んな可能性がある方がいいじゃないか!」と言われる方もいらっしゃるのですが、実はこれはバリューの弱さの現れにすぎません。
ひとつのバリューに自信がないので怖くなってあれこれ足しているケースがほとんどなのです。一つの価値だけでちゃんとお金をもらえるか怖いので、いくつか周辺のビジネスモデルをくっつける。典型的なのが、ツールアプリやコンテンツメディアとかで、「とりあえず無料で提供して、UUが増えたら広告とECでも稼げます」とかいうことになってる。
しかし本来、そのツールやコンテンツにしっかりしたバリューがあれば、他のビジネスモデルをくっつけずともちゃんとそれ自体で対価を受け取れるはずです。
キメラのようになったビジネスモデルはそういう自信のなさから生まれた「逃げ」であることがとても多いのです。
「ぶち抜く」ために捨てること。
なので、僕が壁打ちのときにする質問は以下のようなものです。
・いくつか価値が混在しているけどこの中で一番重要なものはどれですか?
・「捨てる」としたらどれからですか?どれが捨てられませんか?
・その価値は、お金をもらえるくらいの価値ですか?
そして毛糸玉のようにこんがらがったものをほどきながら捨てていき、最後に「たったひとつの価値」が残るまで続けます。
こんな風にいうと、いやいや成功しているサービスや企業は、大体いくつかのビジネスモデルの組み合わせでしょう、という方がいます。
しかし、それは誤解です。その場合でもコアなバリューというのはやはり明確に存在します。コアなバリューを体現する機能やビジネスからシンプルに始めて、段階的に周辺のビジネスモデルを追加していったのであって、強い企業ほど価値に明確なプライオリティをもっているのです。コアな価値で熱狂的なユーザーをつかみ、その後で初めて、次のビジネスを追加できる。
今や売ってない商品がないほどの総合百貨店で、Prime Videoまで提供しているAmazonですが、Amazonのバリューの届け方にもプライオリティと順番がありました。書籍、それも書店でも手に入りづらいニッチな本が買えるというインターネットの検索性を生かしたバリューをまず刺して、CD→DVDとおなじようなバリューが生きる趣味性の高いプロダクトを追加していったからこそ、その後ではじめて洗剤のようなコモディティや動画コンテンツビジネスができたのです。もしAmazonが初期から洗剤と動画配信も売るプラットフォームとして始まったら今のような成功はないでしょう。
あたらしい事業、それも価値自体があたらしい0→1型の事業であればあるほど、これは大事です。というのも既存の習慣や常識を打ち破る必要があるからです。
市場に「風穴」を開けるには、どうしたらいいでしょうか。紙に穴を開けるのを考えるとわかりやすいのですが、穴をあけるにはまず、ボールペンなど「尖った先端」が必要です。最初に開いた穴は小さいかもしれないけれど、穴さえ開けば、そこからぐりぐりと広げていくことができます。
これに対し、色々なビジネスモデルがくっついたアイディアは、「太い丸太」のようなものです。「あ、おれ小さい穴とかそういうちっさいことしないんで。デカイ風穴一気に開けたいんで、こっちの太いのでガツンといっちゃいますわ」という人も多いのですが、それ、無理ですよ。先端が太いと圧力が下がりますから、穴は空きませんよね。
『リーンスタートアップ』が教えることは「身軽さ」や「スピード」だけではなりません。なぜ社員数人のスタートアップがリソースが潤沢な大企業に勝ってゲームチェンジしてしまうのか?それはリソースがないから沢山「捨てる」をせざるを得ないからです。「捨てる」からこそ、仮説を一つに絞りきり、徹底して研いだコアな価値で市場に風穴を開けるのです。
「生き抜く」ために捨てること。
出社できない、集まれない。いまコロナ禍では多くの「できない」が生まれ、企業も「生き抜く」ために価値の再定義が求められています。とりわけ飲食店などは影響が大きく、従来どおりの営業は当面無理かもしれません。
しかしこのコロナ禍は、強制的に「捨てる」機会もくれているのです。
食事、立地、リラックスできる空間、お客さん同士の出会い、店主との会話、「飲食店」と一口にいっても、実はその価値はさまざまで、多くの場合混在した状態にあります。そして長らく営業するうちにメニューが増えてなんだかわからなくなってしまった店もあるでしょう。
それが、一番当たり前にあるとおもっていた「店舗」というものを「捨てる」ことになった。飲食店は改めて価値の再定義を求められます。そして元となるコアな価値がしっかりしている店舗ほど、この難局を「生き抜く」ことができると、僕は考えています。
「美味しい食事」が価値であったお店ならケータリングや持ち帰りでもお客さんに価値を提供できます。全部のメニューは無理かもしれないが、一番の価値がはっきりしていれば、まずはそのメニューだけでいいかもしれない。看板メニューなら原価率を変えてこれまでより多少高くてもお金を払ってくれるひとはいるでしょう。あるいはお店での他のお客さんとの出会いや店主とのトークに魅力があるなら、オンラインスナックやオンラインバーなどでも価値が提供できます。「居場所」が必要ならサブスク型でいつでも寄れる場所をつくることもできる。ここで重要なのは、どこかの成功事例を真似ればいい、というのではなくてそれぞれの価値を見直し、それを起点に施策をかんがえるべきだ、ということです。
そしてこうして価値をつきつめた先に、これまで暗黙の前提だった「場所」の制約を離れることで、価値をもっと遠くまで、もっと多くのひとに届けることができるかもしれない。
実は弊社でつい先日、こんなプロジェクトを開始しました。
音楽家やパフォーマンスアーティストたちはコロナ禍で表現の機会を奪われ、収入的にも大きな打撃を受けています。しかし彼らに価値がなくなってしまったわけでは勿論なく、「おこもり生活」の中でそれを必要としている人たちはむしろたくさんいる。要は「物流」が目詰まりしているだけです。彼らの価値を必要とする人たちになんとか届けることができないだろうか?と考え「オンラインの出張ライブ」というアイディアに思いいたり、アーティストに声をかけて一週間でleap2liveが生まれました。
しかし、はじめからアーティストたちが二つ返事でOKしてくれたわけではありません。彼らにもプロだからこその不安がありました。なんと言ってもリアルなパフォーマンスを届けることにこだわってきた方たちです。オンラインの環境では、音響も画面の小ささも遅延や回線の安定性も不安、ちゃんとした価値が届けられるのか?
「おなじ場でパフォーマンスを体験する」というこれまで価値の根幹だとおもっていたものを捨てる。それは相当に怖いことです。何度か議論を重ねましたが、その中でそれぞれのアーティストは「捨てる」に向き合い、「自分の価値」にも向き合うことにになったはずです。そして「オンラインでも、いやむしろオンラインだからこそ、自分が提供できる価値」が見えてきました。
玉井夕海さんは『犬と歌う』というleapパフォーマンスを用意してくれました。ライブハウスではなく自宅からだからこそ届けられる愛犬ルーとの親密な空気。ライブハウスではこれまであまり出せていなかったけれども、これはとても「玉井夕海」というアーティストらしいleapだと僕は思います。
ダーウィンはかつてこう言っ・・・てなかった?
コロナ禍でよく引用されるダーウィンの言葉があります。
最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるのでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である。
変化しないと生存できない。生き残るのに大事なのは「変化する柔軟性」だ。
しかしこれは調べてみると、実はダーウィンパイセンは本当はそんなこと言っていないらしいんですね。ダーウィンパイセンの「適者生存」というのは、「環境が変化するんで、強いとかじゃなくてさ、たまたまその時環境に適していた動物が生き残るだけなんだよね」っていうどちらかというと結果論的なことしか言っていません。変化すべき、とはいってなくてたまたま。ダーウィンがいいたかったことは、「強さ」という軸だけが生存の要件ではないよ、という前半部分にあります。
では変化はいらないのか、というともちろん変化は大切です。僕自身もかなり変化志向です。環境はかならず変化しますし、外的要因はアンコントローラブルだからです。しかし、いたずらにメニューを増やして「何屋かわからなくなる」ような変化はあまり意味がないとおもうのです。環境に合わせて変化する、といっても「タピオカ流行ってるからタピオカメニューつくるか」というのはあまり本質的ではありません。
変化できることは重要でしょう。しかし、変化のためにこそ変わらないコアが必要なのです。コアがあるからこそ、外側を「捨てる」こともできるし変化できる。ぜひ劇場版の方の第六使徒ラミエルをご覧いただけたらと思います。
「ぶち抜く」「生き抜く」。くぐり「抜ける」ためにも贅肉が多くてはいけません。「捨る」ことで本質的な価値を研ぐことが大事です。こんな時だからこそ、あらためて事業や自分の価値を見直し、なにが本当の自分だけの価値=「自分価値」で、どれは捨ててもいい他の価値=「他分価値」なのか、改めて考えてみてはいかがでしょうか。
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