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#大切にしている教え:恩師から言われた「相手から建設的な意見を引き出せない発言はするな」

発言は何のためにあるのか?

日本経済新聞とnoteが共同のお題企画として「#大切にしている教え」を募集している。個人の成長過程には、人生の節目節目で師弟関係のような「大切な教え」を与えてくれる存在がいる。それは新卒で初めて配属された部署の上司であったり、部活動の監督やコーチだったりする。学校生活の中だと、大学のゼミの指導教員という人も多いのではないだろうか。

日経新聞の記事でもあるように、大学のゼミは研究活動を指導するだけではなく、コミュニケーションや思考法など、学生が社会に出る前に基礎力を鍛える場でもある。私自身も教える立場になって、ゼミ生の卒業後のキャリアを意識して、プログラムを組み、多様な機会を与え、フィードバックをするように心がけている。

今回は、この募集企画に応じて、学生時代に恩師から指摘され、今も大切に守るように心がけている言葉を紹介したい。それは「相手から建設的な意見を引き出せない発言はするな」という授業のディスカッション後に呼び出されて叱られたときの言葉だ。

若いころに尖っていて、今思い返すと悶絶するような経験は誰もがあるだろう。大学生の頃の私も、それはもうひねくれていたし、素直ではなく、尖っていた。特に、性格的に顕耀性(GeltungsbedUrftige:自己顕示欲が強く、自分を良く見せようとする傾向)が強く、人間関係が下手だった。(過去形にしているが、今でもその傾向はあるので反省している。)そのため、ディスカッションがあると積極的に発言するが、空気を読まないのですこぶる痛いやつだった。特に、留学生が多い大学なこともあって、大人数講義でも質疑応答が盛んな文化が、空気を読まない発言に拍車をかけて調子に乗らせていた。

ある授業で、受講生がグループ発表をして、その発表に対して受講生同士でディスカッションする講義があった。いつものように、発表者に対して、論理的に穴があったり、調査が不十分なところを指摘していたところ、その授業の担当だったゼミの指導教員に呼び出された。そこで言われたのが冒頭の「相手から建設的な意見を引き出せない発言はするな」だった。

当時、20歳の自分にとって、発言は何のためにあるのかを考えたことはなく、ただ自分が気持ちよくなるために非生産的な介入をしていたことに気づかされた。ディスカッションの発言とは、それによって発表者と質問者の双方の理解が深まり、新たな気付きを両方が得ることが目的であり、win-winでなくてはならない。自分の考えを一方的に主張し、知識を披露して、相手を論破することに価値がないどころか、建設的な場を壊す非生産的な行動をとっていた。

生産的な議論とするために気を付けている5つのこと

恩師から指摘を受けて以来、建設的な場とするために、自分がどう発言して生産性を高めるのかを考えるようにしている。元々、苦手なことだから叱られたのだから、今でも偉そうに言えた立場ではないだろう。そんな不器用なりに試行錯誤を繰り返しながら、今では頭の中に5つのチェックリストを作って、それをクリアした内容を発言するようにしている。

1つ目のチェック項目は、発言によって相手が答えを出せそうかどうかだ。どれだけ正しい指摘やフィードバックであっても、相手が受け入れることができたり、自分の中で答えを見つけることができなければ、その場はただの公開処刑の場のように居たたまれない空気だけが残ってしまう。貸しビルの屋上でバーベキューをして危うくビル火災事件を起こしかけたような、やってはいけない行動をした生徒や部下を叱るとき以外は、相手が応じることができない発言から生産的な成果を得ることは難しい。
2つ目のチェック項目は、発言の結果を予めイメージできているかだ。自分が発言した結果、着地点がイメージできていないと、ただ時間だけを浪費してしまうことがままある。例えば、もし相手が気が付いていない不備や見逃しているリスク(例えば、事業アイデアが法律規制に引っかかってくるなど)があるときは、発言によって抜けている観点に気づいてもらうことが目的になる。
3つ目のチェック項目は「自分だったらこうするだろう」という改善プランを常に持った状態で発言することだ。評論家の様に、ただ相手の不備を指摘することは簡単だ。しかし、往々にして当事者もその不備はわかったうえで、なんらかの事情があって不備に目をつむっていることも多い。そのため、批判的な発言をするときは、自分の頭の中に「こうしたら上手く行くだろう」という代替案を準備する。ただ、代替案は相手に求められるまで頭の中に留めるだけで発言しない。求められていないのに、勝手なことを言われて気持ちよく受け入れられる人はほとんどいない。
4つ目のチェック項目は「自分の正解を押し付けない」だ。発言をするということは、何かしら自分の中で納得できないことや理解が難しいことがあるから議論を通して解消するプロセスだ。それはすり合わせのプロセスであって、論破して相手の意見をくじいたり、却下するものではない。ましては、自分の正解を相手に押し付けて、相手の正解を否定するもので得られることは悪化した人間関係だけで生産的なやり取りとは言えない。相手が間違えているから教えてあげようなどとは間違っても思ってはいけない。ただ人間関係で事故を起こすだけだ。
5つ目のチェック項目は、どうやっても相性が悪い人がいるので、そういった人と協業するときは諦めるだ。私の場合だと、私自身が顕耀性の強い性格をしているので、同じタイプの顕耀性の強い人と当たると良い結果を生まないことが多い。また、こちらが大したことないと思ったことでも、イライラさせてしまう人がいる。こういうときはどうしようもないので、相性が悪かったと思って、割り切ろう。イライラしやすい人に付き合って、自分のパフォーマンスを落とすのは悪手だ。そういうときは、自分の中で何を思おうとも抑え込んで、コミュニケーションは最小限に留める。

ただ、こうやって偉そうに書いているが、冒頭にも書いた通り、そもそもが建設的な発言が苦手な人間が何度も失敗を繰り返しながら、こうやったら効果的かなと試行錯誤を繰り返した結果だ。なので、そもそもこの5つが正しいチェックリストなのかという妥当性も怪しかったりする。
そんな発言下手なりに、それでも自信をもって言えることがあるとすれば、発言は場を建設的なものとし、ポジティブな成果を得るためにあるということだ。間違えても、相手を論破して自分が気持ちよくなるためや、イライラを相手にぶつけて発散させるようなことはしないようにしよう。


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