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新しい時代の対話の形

こんばんは。新城です。新しい対話の時代を迎えられるかどうか。僕たちは、新しい対話のツールを、使いこなしていけるのか。そもそも、どのような対話を求めているのか。その辺りを、数年間やってきたイベントが開催できない状況を迎えた中で、少し考えてみました。

コミュニティから未来が生まれる

コミュニティに未来への萌芽がある。価値観を共有する人々が集うコミュニティには、未来を変えていくプロジェクトが芽生える土壌があり、それを育む環境がある。ここ数年、そんな風に思っています。会社という組織ではなく、業務委託契約をベースにしたギルド的な職能集団でもなく、「AとBを選ぶとなったら、Aを選ぶよね。だって○○だもの」という選択基準が握り合える人によってつくられるコミュニティ。もちろん、そうした関係性の行き過ぎた場には、コミュニティの中枢に近い人たちによる思想統制のような強制力が働いて、コミュニティ参加者が思考停止に至る、という危険な空気が充満すると思います。自由闊達に想うところ、願うところ、考えるところをぶつけ合える。ときに、意見が割れることがあったとしても、根本の価値基準では握り合えているからこそ、抽象度をあげた議論をすることで、本質的価値を握り合うことができる。そういうコミュニティから、未来に向かう健全な活動が芽生えるのではないか、と思うのです。

カンブリアナイト 

カンブリアナイトは、センサーによる「みえる」、専門家・人工知能による「わかる」、介入サービスによる「できる」の連携で、様々な課題が解決する「かわる」を目指す、サービスの多様性爆発を目指す人々が集まる、超カジュアルなイベントです。日経BP総研とともに株式会社ホオバルが主催しています。

カンブリアサイクル

2016年秋のクローズド開催を経て、2017年から東京で2ヶ月ごと、2018年から大阪や京都で3ヶ月ごとに定期開催してきました。のべ1,000団体、1,800名以上の、様々な業種や職種の方が参加されています。規模もベンチャーから大企業まで。NPO団体、行政、メディア関連、食品メーカー、飲料メーカー、ベンチャーキャピタル、銀行、広告関連、弁護士、出版、ヘルスケアサービス、輸送、保険、ヒューマンリソース、そして臨床心理士、医師、薬剤師、医療機関など。

イベントタイトルの「カンブリア」は、地球上で生命の多様性が爆発的に増えたカンブリア紀(約5億4500万年前)に由来しています。カンブリア紀に生まれた「眼」という器官が、生物進化の多様性を後押ししたという説があります。私たちは、センサーを現代テクノロジーが生み出した眼ととらえることで、多様な課題に対する多様なサービスが爆発的に増えることを目指しています。

3密イベント

名刺交換とお辞儀から入るコミュニケーションでは、違いの属する組織や肩書きに目をいってしまい、本質的な話に到までかなりの時間を要する場合があります。そこで、カンブリアナイトでは、密閉された場所で、密集し、密接して、互いに思うといころを語り合う。短時間で一気に、その空気感までもっていけるように、アルコールの力もかなり借りています。多い時では100人以上の酔っ払いが、青臭いと思われるような価値観について、熱く語り合います。「みえる」「わかる」「できる」「かわる」のカンブリアサイクルに可能性を感じ、価値基準を共有する誰かと手を組むことが、共に思い描き、共に見つめる未来を実現できるのだ、と信じる人たちが集う場になってきました。

カンブリアナイトは、固定化された開催場所を持っていません。1,000円で飲み放題というスタイルをとっているため、予算的には、いつもギリギリです。一人1,000円なので、80人集まっても80,000円。これを原資にハイボールやビール、チーズやかわきものなどを人数分買い揃えると、場所代を確保することができません。そこで、カンブリアナイトの趣旨に賛同いただける方々に、場所を無料でご提供いただくことで開催できています。

場所は必要なのか?

以前、記事で、オフィス不要論について書きました。

コミュニティにとって、場所とは、どのような意味を持つのでしょうか。先日、学校教育の未来の形を模索する会議の中でも、学校という場所が持つ意味や意義、これからの在り方などが議論の対象となりました。学校もまた、教育コミュニティです。11世紀後半から12世紀にかけての中世イタリアでは、大学とは建物や制度ではなく、人の集まりを意味していたそうです。ボローニャ大学は、学ぶためのコミュニティであり、学生たちが師を選び、召喚し、知の循環がなされていたとのことです。

コミュニティとは、価値観をともにする人の関係性、ととらえると、必ずしも場所を必要とするものではないと想うのです、ただし、その関係性を実現する何らかの情報流通の手段は必要です。対面、非対面、同期、非同期による様々なコミュニケーション手段はあるにせよ、そのコミュニティを構成する人々に合致した、何らかの対話手段は必要だろうと想うのです。

従来のイベントの空気感をオンライン化できるか

今回の感染症対策を取り巻く社会環境の変化により、3蜜最高!という状況での開催を軸にしてきたカンブリアナイト は、その対話の手段に変化を求められることになりました。

もともとが、イベント開始時から全員で飲み始め、登壇者には飲みながら最先端のプレゼンをしてもらい、参加者は興味あるプレゼンだけ聞き、そうでもない場合は勝手に交流をする、という始終ガヤガヤざわざわというスタイルでした。プレゼンと懇親会を分けずに、むしろ大人しく話を聞くな、というスタイルもまたカンブリアナイトの独自の形です。

この形を、オンラインでなんとか再現できないだろうか、と考えました。そこで、ZoomとRemoという2つのツールを同時に使うことで、ステージでのプレゼン(Zoom)と、会場内でのガヤガヤ(Remo)という併存を実現できるのではないかと考えたのです。

多様なツールをフラットにとらえる

やってみて見えたことがたくさんあります。コミュニティに適した対話の形には、どのようなものがあるのか。先の、対面、非対面、同期、非同期の、どこに位置するツールが合致するのか。オンライン教育やリモート会議のような言葉をたくさん目にするようになりました。それらは、まだまだざっくりした粒度でしか語られていないのだと思います。言葉をメインにした対話、体の動きを中心に行う対話、音の交流を求めるもの、観察と実験にもとづき考察してから検証するもの、一人でじっくり何かを作り上げてから交流するもの。旧来的な教科に分類するのがこれからの時代に合致しているかどうかは別として、国語、数学、理科、体育、音楽、美術など教科ごとに最適なコミュニケーションツールがあるのだと思います。それは、実空間をともにする対話も含めて、すべてを同じ土俵にならべて、最適な対話方法を選べば良いのだと想うのです。そこには、学ぶ側のコミュニケーションツールとの相性もまた、あるのだと思います。

以前、ニューロダイバーシティについて書きました。感覚が開きっぱなし状態の自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder = ASD)の中には、オンラインコミュニケーションが相性のよい人たちがいるらしいのです。

せっかく新しい時代を迎えるのならば、オンラインだオフラインだというざっくりした話ではなく、そもそも何のための対話を求めているのか、相手のコミュニーション特性はどのようなものなのか、そこで取り交わす情報はどのような形のものなのか、といった観点から適切なツールを選ぶことができるようになると、より豊かな対話の時代が迎えられるのではないかと思います。それを考えるためにも、今週もまた、カンブリアナイト31オンラインを開催する予定です。今回はRemoのみを使ってみる予定です。また何か見えてきたことがあれば、書きたいと思います。



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