日銀短観と「次の一手」~首相発言の位置づけ~
日銀短観は景気堅調を確認
ドル/円相場は植田日銀総裁との会談を終えた石破首相による「個人的には現在、追加の利上げをするような環境にあるとは考えていない」といった発言を受けて147円付近まで急騰しています:
あくまで「個人的」と付言し、「金利についてとやかく申し上げることではない」とも述べているため、どこまで思想性が強い発言なのか図りかねますが、蓄積した円ロングポジションを巻き戻すには格好の口実になったと言って良いでしょう:
一見してかなり踏み込んだ発言にも見えるため、「円安→物価高→世論の反感」という懸念から後日、火消し発言も想定されます。この発言を額面通り受け止めるのではなく、今後の紆余曲折も念頭に置きたいところです。
政治的な発言はさておき、 10月31日の日銀会合を占う上ではまず10月1日公表された日銀短観(9月調査)を吟味することが王道になりましょう。ヘッドラインとなる大企業・製造業の業況判断DIは+13と前回から横ばいの一方、大企業・非製造業に関しては+34と前期比+1ポイントと2期ぶりの改善が示されました:
9月調査は8月8~16日の間に気象庁から発せられていた南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)や台風10号に伴う行動制限の影響が多分に織り込まれていたと推測され、その影響はサービス業を主体とする非製造業に景況感の足枷になったと思われます。そのような不測の事態とも言える逆風にもかかわらず前期比で改善傾向を保ったこと自体、国内における雇用・賃金環境の堅調さと、これに裏打ちされた個人消費の強さを感じさせます。
以上のようなポイントは追加利上げの可能性を模索する日銀には
とって追い風とも言える材料と解釈できるでしょう。
インバウンド需要を削る円高
しかし、ヘッドラインの業況判断DIだけからでは日銀の「次の一手」は読みづらいものがあります。興味深かったのは先行き(3か月後)の業況判断DIで、製造業が+1ポイント、非製造業が▲6ポイントと対照的な数字が示されています。非製造業の明確な悪化が予想されていることの背景は定かではありませんが、やはり円高の影響は気にしたいところです。
非製造業の業況判断DIを業種別に見た場合、鉱業・採石業・砂利採取業(▲11ポイント)、宿泊・飲食サービス(▲10ポイント)、建設(▲10ポイント)、卸売(▲8ポイント)、小売(▲7ポイント)などが大きめのマイナス幅を記録していました。この中で宿泊・飲食サービスや小売などは言うまでもなくインバウンド産業であるため、円高によるサービス輸出の減少を織り込んでいる可能性が推測されます。
9月25日、産経新聞は「円高『必ずマイナス』、リピーター増が必須 星野リゾート代表、危機感示す」と題した記事の中で、為替とインバウンドの先行きについて非常に示唆に富む内容を報じています:
記事内では、星野リゾートの星野佳路代表が円安に支えられた訪日客の増加について「需要の先取り」と表現し、7月以降の円高基調を捉えて「必ず(観光業に)マイナスになる」と述べたことが紹介されています。
非製造業の業況判断DIが先行き下振れていることについてはこうした観光産業の思惑が反映されている可能性は相当ありそうで、同産業に従事している人々の体感として「円安なかりせば危うい」という本音も透けます。過去のnoteでも少しだけ言及したことがありますが、インバウンドの日本における滞在日数が顕著に増えているわけではなく、頻繁に注目される1人当たり消費額の増加などは単なる円安バブルの一部であり、持続可能性は危ういという見方もあり得ます。Pivotに出演した星野社長は何度も現在のインバウンド需要に関し、サステナビリティが危ういことに懸念を示しています:
過去2年程度、日本経済はインバウンド需要を介してインフレ圧力が輸入され、実質所得が目減りした日本人の実質消費がクラウドアウト(押し出し)されるような状況にありました。今後、円高と共にインフレ圧力の減退が見込まれるのであれば、日銀の追加利上げに対するインセンティブも多少は薄れる話になります。
減退するインフレ圧力
実際、円高経由でインフレ圧力が減退している状況は短観における他の計数からも読み取れます。7月のピーク時点から比較して10%近く円高が顕著に進んでいる以上、事業者が直面する仕入コストの見通しは変わってきます。この点、仕入価格判断DI(大企業)は製造業で▲6ポイント、非製造業で▲1ポイントの下落が見られています。7月利上げの理由が「想定外の円安を受けたインフレの上方リスク」であったとすれば、今月末の追加利上げに関しては植田総裁の言葉通り「時間的な余裕はある」という状況でしょう:
片や、人手不足に伴う名目賃金の上昇は収束する気配が見られず、 雇用・人員判断DIは全規模・全産業ベースで▲1ポイント悪化の▲36と過去最悪水準が続き、3か月先はさらに▲4ポイント悪化して▲40が予想されています。特に最悪の人手不足業種である宿泊・飲食サービスは+3ポイント改善の▲66を記録したものの、3か月先には▲68と再び悪化する見込みです。今後も解消する見込みが立たない人手不足は日銀の追加利上げを支える根拠の1つであり続けるでしょう:
もっとも、賃金はバックワードルッキングに決まる計数であるため、目先の政策運営に関しては「人手不足→名目賃金上昇→インフレ圧力の高まり→追加利上げ」よりも、まずは「円高→輸入物価抑制→インフレ圧力の緩和→現状維持」といった発想が重視されやすいのではないでしょうか。
首相発言は逆効果
まだ会合まで4週間あるため、今後も様々な読み筋が交錯するでしょうが、今回の短観が追加利上げを急かすような内容であったとは言えないと思います。特に企業の直面するインフレ圧力が弱まっているのは事実であり、これに加えて日銀が発表する「基調的なインフレ率を捕捉するための指標」もあらゆる角度でインフレ圧力の後退が示唆されています。
石破首相の発言を持ち出すまでもなく、10月会合で追加利上げに踏み込む状況とは言えないでしょう。逆説的ではありますが、首相発言で円安が焚きつけられたことによって、利上げの必要性が増しているという皮肉な状況が生まれているように思います。現状の日銀は米国の経済・金融情勢睨みで、匍匐前進するように追加利上げの道を探っています。望むらくは為替市場を荒らさずに見守ってあげるのが遠回りのように見えて、正常化の近道になるかと思います。