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アーティストは永遠ではない

私は、友人のライブに誘ってもらえることがとても嬉しい。友人と言っても、元は自分がいちファンやリスナーとして聴いていた人たちと今となっては一緒に仕事をしたり、業界が狭いので友人になれているような状況なので、友人でもあり、好きなアーティストでもある。彼らがステージに立つ姿を見ると、そしてそのステージに熱い視線を送る観客を見ると、裏方の仕事をやっていて良かったと思うし、同時にこの光景も永遠に続くわけではないという現実をひしひしと感じる。

当たり前のことだけど、好きなアーティストがいつまで活動を続けられるか本人にもわからないし、音楽を作り続けるにもライブをし続けるにもリスナーやファンの行動が必要になる。行動というのは、例えばライブに行ったり、グッズを買ったり、配信で曲を聴いたり、ラジオにリクエストを送ったり、SNSで曲をシェアしたり、アーティストをフォローしたり、インタビューを読んだり、実に様々な行為が含まれる。必ずしもお金を使うことだけが「応援」の形ではない。しかしその「好き」という気持ちを行動に移して何かしらの貢献をすることでしか、好きな文化や娯楽は続いていかないのが世の中の残酷な仕組みだ。

アーティストは社会の中でも、特に孤独な存在。ライブなどではたくさんの人に愛されていることが可視化されても、普段は不安でいっぱいな人は多く、落差が大きい。ツアー中はハイになっていても一旦家に戻って一人になった瞬間にとてつもない喪失感や虚無感に襲われる人も、おそらく一般人が思っているよりも多い。だから一回ずつのライブや新曲のリリースを、「もしかしたら最後かもしれない」というくらいの緊迫感を本人たちは持っているし、チームとしても、精神的にも毎回が山場である。

リスナー的には「次の作品も楽しみ!」くらいな気持ちで居続けたいし、その「次回への期待」が応援の形だと思いがちかもしれないけど、このご時世本当に「次」が来るのか、本人がコントロールできる以外の変動要素が多すぎて、長期的なプランを立てられているアーティストを私は一人も知らない。きっと作家や他の「つくる」人もそうかと思う。

不安定な世の中で、「安定」な人生などどこにも存在しない。加速する資本主義社会において、「成長」すること、「生み出し続ける」ことが善とされている。その価値観は、本来の芸術やカルチャーのあり方と相性が悪く、例えばストリーミングで聴かれ続けるためには毎月リリースしないといけないという「常識」が定着してしまったことにより、多くのアーティストも数を出し続けなければならない強迫観念に常に駆られている。

「忘れられない」ためには、「つくる」人は作り続けないといけない。でもその作ったものがどうなるかは、消費者ないしは受け取り手側に任されている。好きなものがあるなら、そしてその好きなものがあなたの人生を豊かにしているのなら、それを何かしらの形で「応援」することで、「つくる」人の人生に良い影響を与えることができる。アーティストは永遠ではないけれど、作ったものは永遠に残るから。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO58522280X20C20A4KNTP00/


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竹田ダニエル
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