捨てるのではなく、置き場所を変える
こちらの経済同友会のセミナーの記事。日経では取り上げていないが、サントリー新浪社長の言葉がネットで炎上した。炎上の元となった記事は多分これだろう。
ウィズコロナの時代に必要な経済社会変革について「45歳定年制を敷いて会社に頼らない姿勢が必要だ」と述べた。政府は、社会保障の支え手拡大の観点から、企業に定年の引き上げなどを求めている。一方、新浪氏は社会経済を活性化し新たな成長につなげるには、従来型の雇用モデルから脱却した活発な人材流動が必要との考えを示した。
これに対してはツイッターでもヤフーのコメントでも、大部分が新浪氏の発言に対する批判で埋め尽くされた。案の定、翌日には釈明記事が掲出されている。
その反面、企業の経営者や起業家など俗に成功者といわれる人たちの中には、新浪氏の発言支持のような声も散見され、上級国民と一般庶民との意識の乖離が顕在化していて非常に興味深い。
中高年の従業員の切り捨てを行う経営者のエゴと批判するが、会社からは必要のない人材だと評価されているのに、会社にしがみつくのは、むしろ従業員のエゴではないか?
従業員のエゴ?裁量権がある経営者と裁量権のない労働者とを同列に扱う時点で、こういう輩が無意識のパワハラをするんだろうなあ、と思う。加えて、会社から必要のないという判断もそれが正しい判断かどうかはわからない。会社として必要ないのではなく、その判断をした人間にとって不都合だったり不快だったりするだけの場合も多い。詭弁なんですよ。
そういう人たちはすぐ雇用の流動性とか言い出すけど、そもそも昔も今も転職する割合は変わらないわけで、雇用の流動性なんてものが不要な人間もたくさんいる。なぜ全員を統一化したがるのかそっちの方が不気味である。しかも、そういう人たちが中間層として少なくとも長期的な経済的安定が得られないと経済も景気もよくならない。一部の能力ある人達(と自分で思っているだけの迎合型無能含む)だけが働いてるわけではないのですよ
僕自身もヤフーでコメントを書いた。それに対して3.5万もの「参考になる」をいただいた。以下、僕の意見をまとめたい。
既に高齢化率3割にならんとする日本において、むしろ逆に、いかに中高年者の労働力を発揮させていくかが特に大企業の経営者には問われる時代だと思います。もちろん、それは従来型の年功序列の賃金体系ではないかもしれませんし、終身雇用制を是とするものではないが、「45歳までしか面倒みないのであとは自己責任で」と放り出される社会に安心があるとは思えない。
それでなくとも晩婚化で、男性の平均初婚年齢は31歳。たとえば3年後の34歳で第二子が生まれたとして、その子がまだ11歳の時に定年を迎えるわけです。一番金のかかる高校から大学にかけての部分の見通しがないのだとしたら、そもそも子育てどころか結婚する意欲すら失われることでしょう。一方で3組に1組が離婚する現代、ひとり親世帯のボリュームが多いのも40代の層です。
世界的に中間層の充実が叫ばれる中、まさに中間層の大部分がその年代でもあり、ここを切り捨てては未来がなくなるのではないでしょうか。
「45歳定年制」は新浪氏のアイデアではなく、もう10年前から東大の柳川教授が言っていることである。という意見も見られたが、いやいやだから何?って話ですよ。東大の教授は別に神じゃねえし。
人生のキャリアを二毛作、三毛作として充実化しましょうという柳川氏の主張には異論はないが、だからといって別に40歳で定年という統一制度を定める必要はない。制度というのはそれだけ強制力があり、重いものです。
※ちなみに、この日経の記事も当初「日本人は全員40歳で定年退職すればいい」というものだったのを、柳川氏本人の指摘によって変更したと聞いている。
そもそも「定年制の廃止」と「45歳定年制」とでは全く意味が違う。
年齢に関わらず能力や希望や事情に応じて、何歳でも活躍できる場をいかにして提供できるかを考えるのが前者で、それは決して同じ会社に長く勤めることを否定するものではありません。リクルートなどでは「フレックス定年制」という形で、いつ退職するにしても自分で判断できるというやり方をしていて、それは評価できると思います。
そもそも、外部に対して「うちの社風は従業員の自由と自立を尊重します」とか耳ざわりのいいことを言ってる会社が、内部では社員の複業すら認めないようながんじがらめの恐怖統制型全体主義企業だったりする例なんていくらでもある。
繰り返すが、それでなくても中高年者が活躍しないといけない時代に差し掛かっているわけで「45歳で一様に問答無用で会社から放り出す」と捉えかねない新浪氏の発言が反感を買うのは当然だと思います。
まあ、評論家や学者は言いたいことだけ言って言い逃げしても許されるのかもしれない。別に責任はないから。しかし、経営者の発言は違う。従業員や関係取引先含め多くの人々に対する直接的な影響を及ぼします。
新浪氏の発言がこれだけ大きなネガティブな波紋を呼んだのは、従業員だけではなく、この会社の製品が好きで愛飲してきた40代の顧客でさえ、まるで自分自身を否定されたような気持ちにされたからではないでしょうか。
労働力調査によれば、2020年現在45-64歳の正規社員は約1470万人います。正規雇用者全体の42%を占めます。全員が次の受け皿があるとは限らない。僕の試算によれば、45-64歳の男性正社員914万人のうち半分以上の473万人が正社員の立場を失い、非正規や失業者となるでしょう。それで生活が成り立つでしょうか。彼らの子どもたちはどうなるでしょうか。さらに忘れてはいけないのは、その人たちは同時に消費者でもあるということです。果たしてそれで全体の経済が回るでしょうか。
人間を必要/不要の区別で分けるのではなく、どこの場所、誰との組み合わせが一番活躍できるのかを模索してほしいものです。
樹木希林さんの名言を貼っておきます。
『人も物も、置き場所を変えると生き返るものよ』
ある場所で活躍できなかったからといって決してその人の価値が決まるものではない。それは、会社側が勝手に首切りをするから、他の場所で頑張れやという突き放した態度ではなく、同じ会社の中でも部署を変える、上司・部下という人間関係を変える、などの取り組みをしたうえで判断したほうがいいということです。
百歩譲って、使えないと判断した下位20%を切ったところで、もともといた集団の中から相対的にまた使えないとみなされる20%が生まれるだけの話。それは使える人間が使えない人間に変化するのではない。「使えない人間」というふうに誰かを見做しているのは、その見做している人間の認知でしかなく、それは自分が社員の活用の仕方も知らない人間であり、本当は人の上に立ってはいけない人間であることを世間に晒しているようなものなのかもしれませんよ。
サントリーはあれほどの規模の大企業にも関わらず、非上場です。非上場の理由として「酒の醸造には時間が掛かり、短期的な利益を要求される株式公開に馴染まない」といっています。人も同じです。酒が作り出す文化もそうでしょう。その考え方は素晴らしいと思います。全部が全部他社と同じようになる必要もない。
創業家の現副社長信宏氏への代替わりを期待したいと思います。