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「本当の好き」はどこにあるのか、パワポで探してみた。

「それは本当に好きなわけじゃないんだよ」

なんて言われたこと、言ったことはあるだろうか?

ポリアモリーを実践している僕はよく言われるが「本当の好き」という概念自体はいわゆる恋愛トークでも頻出ワードだ。

ポリアモリーとは、合意を得た上で複数の人と同時に恋人的な関係を持つ恋愛スタイル。これまでポリアモリーについて書いたシリーズはこちら

「本当の好き」とは一体なんなのか。

36歳にもなって、今更分からなくわからなくなってきたので、一旦パワポで整理してみた。

今日はそんな話。

■本当に好きなら、付き合うまで関係を持ったらダメだよ

「本当の好き」を一言で言い当てるのは難しいが「本当に好きなら○○だ」という表現ならいくつかの説を聞いたことがある。

それを足がかりに消去法で考えてみた。

まずはこの「本当に好きなら、付き合うまで関係を持ったらダメ説」から。

これはいわゆる順番の話で、①付き合う→②体の関係を持つ、が正しいというもの。軽い男、軽い女に見られないために、という主旨もあるが「本当の好き」を見極めるという効果もあるようだ。

と言うのも、人はスキンシップを通じて脳が「勘違い」を起こすと言われている。

つまり「好き」だからスキンシップをしたのか、スキンシップをしたから「好き」なのか?を混同しないためにも、正式なお付き合いの前にスキンシップ(SEX)をしない方がいいらしい。

その前提には「本当に好きなら、簡単に手を出さないでしょ」という価値観もあり、要するに「本当の好きではない」と言う可能性を排除したければ、付き合う前に関係を持つのはやめたほうがいいようだ。

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ミルクボーイ風に言えば

「付き合う前にSEXした!?」ほな「本当の好き」とちゃうかー。

ということになる。

続いての「本当の好き」に関する説はこちら。

■本当に好きなら、他の人なんて目に入らないものだよ

「Aさんのことが好き。でもBさんも気になる。どうしよう?」

なんて相談をしようものなら、2人に1人からは言われるであろうこのセリフ。恋は盲目という言葉を裏返せば、盲目にならないようなら、本当の恋じゃないとなる。

仕事や勉強まで手につかなくなってこそ「本当の好き」。相手以外の異性が気になるなんてもってのほか。

これには「本当に好きにな人は一人だけ」という前提がある。

他の人も気になるうちは「本当の好き」ではない。そう唱える人にとっては、僕が実践するポリアモリーなんて論外だろう。

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「他の人も気になる!?」ほな「本当の好き」とちゃうかー。

ということだ。

■本当に好きなら、嫉妬するものだよ

本当の好きには、ネガティブな感情も伴う。

恋人が自分以外の異性と遊んでいる

そんな噂を聞いても「そうなんだー」と平然と流せば「本当に好きなの?」と心配されるだろう。

この背景には「恋人は自分のもの(所有物)」という価値観がある。

自分のものが他の人に奪われているのに怒らないなんておかしい。嫉妬しないのは、それが「本当の好き」ではないからだ。

というこの説。

逆を言えば、嫉妬するのは「本当の好き」の証拠になるらしい。

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ちなみに、そんな人からは信じられないだろうが、僕はポリアモリーとして「恋人をシェアする」という真逆のnoteを書いている。

「嫉妬しない!?」ほな「本当の好き」とちゃうかー。

■本当に好きなら、相手の全てを受け入れられるものだよ

最後の説がこちら。

自分のこと以上に、相手のことを考える。
自分よりも、相手を優先する。
相手の全てを受け入れる。

そんな自己犠牲の精神が愛の象徴として語られることはよくある。

相手の過去や、ネガティブなこと、自分に不利益だとわかっていても、それを跳ね除けて全てを受け入れる。

そんな美女と野獣的にわかりやすいネガティブ要素があれば「本当の好き」の太鼓判となるらしい。

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「本当の好き」を目指す上で最後の砦は自己犠牲のようだ。

「相手の全てを受け入れるのは無理!?」ほな「本当の好き」とちゃうかー。

となってしまう。

■消去法で辿り着いた「本当の好き」の樹形図

さて、これまでの「それは本当の好きじゃない」という論説から樹形図をつくるとこうなる。

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まだまだ説はあるだろうが、一旦まとめると「本当の好き」とは

1.まだ体に触れてもいないのに、
2.その人のことしか見えなくなり、
3.近づこうとする人に嫉妬心すら芽生えるけど、
4.その人のことは全てを受け入れる覚悟ができた状態

ということになる。

うん、、、、僕には辿り着ける自信がない。

■前提は本当に、前提だったのか?

さて、これまで「本当に好きなら○○だ」という手がかりをもとに「本当の好き」を探してきたが、これらにはそれぞれ前提があった。

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前提は言い換えると先入観、いわゆるバイアスだ。

「○○とは、××なものだ」

というバイアスは、近年ものすごい勢いで崩れている。

仕事とは、会社でやるものだ。
子供とは、外で遊ぶものだ。
会話とは、対面でするものだ。

など、これまで「当たり前」だった考え方が、昨今のウイルスの影響で根底から揺らいでいる。ただ、これは流れを加速させただけで遅かれ早かれという気もする。

例えばもしこれらの前提が崩れ「本当の好き」にもニューノーマルが生まれるとしたら先ほどの樹形図はこうなる。

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前提がないのだから、どれも「本当の好き」と呼ぶことができる。

どうだろう。


「本当の好き」が厳格に定められてる世界の良さも当然あると思う。ただ僕は、人の数だけ「本当の好き」がある世界の方が好きだ。

理由はシンプルで、好きという感情が多い世界の方がなんだか楽しそうだから。



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小島 雄一郎
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