10のことをやれと言われたら、12をやらないと、ここでは戦えない。 ~ 一言切り抜きfrom日経#230
日経新聞、今月の私の履歴書は、元F1レーサーの中嶋悟氏。
語り口が本能的というか、スパッとして気持ちがいい。
もちろん語り口だけでなく、中身もグッとくるものが多いから、たくさんの一言を切り抜いている。
これは11月11日のもの。
全文はこちら。
ちなみに、この一言。中嶋さんが文中でもお世話になったと散々書かれている、本田宗一郎さんの名言日めくりにも出てくる。
本田宗一郎さんファンだと知っている知人から頂いたものだ。
もしかしたら、本田さんが常におっしゃってたことを、中嶋さんは書かれた?かもしれない。
amazonで見てみたけど、もう売っていない。
11月28日の回にも好きな一言があった。これも、中島節でありつつ、本田節と通じることば。
せっかくの機会なので、中嶋さん経由で、本田宗一郎さんの話にどんどんしてしまう。
世の中にはたくさんのHONDAファン、本田宗一郎さんファンがいらっしゃると思うけれど、何を隠そう、僕もそうだ。まあ一所懸命仕事されている日本人は大体そうだと思うけれど。
別にそんなに車好きであるわけではないけれど、本を読んでは力をもらい、映像や講演のCDを聞いては、インスパイアされて来た。亡くなる前に一目見てみたかった。
そんな話を、OB訪問に来た若者に昔話したのかもしれない。そしたら、その子から、本田さんの本を読むならどれがいいか教えてください、と言われたのだけど、そんなの自分で探しなよ、と突っぱねた。
というか全部いいですよね。全部。
そして、本田さんの右腕だった、藤沢武夫さんももちろん好き。
藤沢さんの本は2冊しか出ていないけど、どっちがおすすめですかと、仮にまた聞かれたら、これも両方と答える。
なんで、そんなことを書いているかというと。
1年半前に会社から独立し、初めて自分で事務所を借りて仕事をする、という経験をしている。
会社を辞めるときは、「3坪くらいの探偵事務所みたいな、怪しいところ借りるんで、お茶しに来てください」って言ってた。
そんで、そこには、いろんな人がたむろしに来ていて、連れてこられた人も、本当にここで合ってるんですか?とか聞きながら恐る恐るくるけど、結局面白がって何度も来てしまう、そんな場所をイメージしていたが、
実は、自分の会社を作るならこんな部屋にしたいと、参考にしていた部屋があった。
1つは、雪の研究で有名な、中谷宇吉郎さんの研究室。
もう1つは、上に書いた2つの本の中で触れられている藤沢武夫さんの事務所だ。
HONDAの作戦を立てるとき、藤沢武夫さんは、会社から離れた個人的に借りた、壁を真っ黒に塗った銀座の事務所で、チャーチルの「第二次世界大戦」とか読みながら考えていた、とこの本にある。(ちなみに、経営の本は、ほとんど読んだことがなく、数冊読んでみたが、全部これの逆をやればいいんだな、と思ったとも書いてある)
最初読んだときは、「銀座のマンションの一室の壁を真っ黒に塗って茶室にして、そこで一人、作戦を練っていた」と記憶していたのだけれど、読み返すと、茶室は家だったようで、自分の頭の中でミックスしてしまっていたようだけれど、そのミックスの勝手なイメージが、事務所設立のデザインのインスピレーションになった。
そして、改めて読み返すと、その藤沢さんの伝説事務所は、なんと具体的な場所が書いてあった。
「銀座2丁目、越後屋ビル2階を借りた」と。
なんと僕の事務所の目と鼻の先。
行ってみる。
ここが越後屋ビル。今もある。
1階が、越後屋さんという呉服屋で、2Fはmiumiu。
ここが、藤沢武夫さんの事務所だった場所、そして、ホンダの戦略が練られた歴史的な場所だ。
「すみません、つかぬことを伺いますが」
と、せっかくなんで、越後屋のお店に入って、聞いてみる。
「ここに、ホンダの副社長だった藤沢武夫さんの事務所があったと、著作にあるんですが、こちらですよね?」
超怪しまれる。そして店員さんたち、誰も知らない。。もったいない。。
「何年前のことですか?」と聞かれたので、「おそらく数十年以上前の話です」と答えると、10年以上前に建て替えたとのこと。
見たかったなあ。藤沢さんのオフィス。
そして、さらにこの著作には、本田宗一郎さんと藤沢武夫さんが組んで、最初に作った、本田の東京営業所の場所も書いてある。
本田の最初の東京営業部は京橋槇町(以前の町の名前)の八重洲富士屋ホテルの裏通り、となっており、おそらくここ。
ここが、世界に羽ばたくホンダの最初の布石となった場所だ。
目を閉じて、戦後すぐのこの場所に、想像でタイムスリップする。
なんとなく、活気を感じる。
せっかくなんで、さらにnote上での遠足に皆さんをお連れする。車で銀座からビューンと1時間半、御殿場へ。
こちらが本田宗一郎さんのお墓。
「10やろうと思ったら12やる。」
「対価があってもなくても、この楽しさは何ごとにも替えがたいというものを」
時が流れて、場所はなくなっても、思想は、残る。