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五輪出場の是非を巡って~2つのケース~

パリオリンピックに出場する予定であった体操の宮田選手が、喫煙と飲酒をしたということで、JOCや協会の規約違反となり、今回の五輪出場を辞退することになった。

あらかじめ決められたルールに従わなかった以上、何らかの制約を受けることは仕方がないことではある。

一方で、過去に起こした性犯罪に関して、その後更生したとして出場したオランダ人選手が、女性支援団体などからブーイングを受け、また出場に反対する署名を受けるなどといった問題も起きた。

これらのニュースに接していると、とても複雑な思いがしてしまう。スポーツ選手として実力を発揮できる時期は必ずしも長くない。若く限られた期間でその力を発揮しなければ、持てる能力を生かすことができずに終わってしまうだろう。

一方で、若い時期ゆえに過ちを犯す可能性も高いと言える。

喫煙と飲酒で、いってみれば被害者がいない問題を起こした日本人選手と、犯罪被害者がいる性犯罪をおこしたオランダ人選手では、扱い方、考え方が異なるということもあるかもしれない。オランダ人選手の場合は性犯罪を起こしたのが10年前であるから、過去のことではあるが。

これは単にスポーツ選手の問題だけでなく、その人それぞれが与えられた能力をいかに活かして生きていくか、というキャリア形成の問題であると私は考えている。

「天は二物を与えず」という言葉があるが、オリンピックに出るほどの優れた競技能力があるということは、これは間違いなく与えられた「一物」なのであって、これを活かさない人生というのは、その人にとって大変難しい選択になるだろう。

もちろん、私を含め多くの人はそのように突出した能力が備わるわけではない。それでも人よりは得意なこと・うまくやれることを見つけながら、それを活かして働き、社会に何らかの価値を生み出すことができれば、人生として、成功というほどのものではないとしても悪くない一生になるだろうし、それができなければ思うようにならない一生ということになるのだろう。

そして、突出した能力がなければ、その成功や失敗といってもさほど大きな違いにはならないのかもしれないが、例えばオリンピック選手になれるほどの身体能力というのは突出した能力であり、その能力を活かす道を断たれてしまった時に、果たしてその人は残されたものでどのように一生を送っていくのかというのは、とても難しい問題になるだろう。

そして、そうした能力を持つ人を活かせないということは、本人の問題にとどまらず、社会全体にとっても損失だと考えられる。これはスポーツ選手に限ったことではない。学問・学術の世界で言えば、例えばノーベル賞を取るほどの研究業績を残せる人も、そのような突出した能力を持っている人ということになるし、その能力を発揮できないことは社会的な損失である。

宮田選手の場合は、おそらく次のオリンピックには、その時まで今の突出した能力を維持できるのであれば、出場の機会は得られるだろう。それを目指して、今後に賭けてもらえればと思う。

一方で、過去の性犯罪を問題視されたオランダ人選手の場合、果たして彼はいつまでその問題を問われることになるのだろうか。おそらくオリンピックに出場することがなければ、そうしたことも問題にされずに終わったのであろうから、やや皮肉な見方をすれば、目立ってしまったがゆえにやり玉にあげられたという見方もできるかもしれない。すでに有罪判決を受けて服役もしたということであり、過去の過ちをいつまで問われ続けるのかという問題があり、簡単に答えが出るものではないとは思う。法律上は有罪となり、刑期が確定し、それが終われば言ってみれば社会復帰ができることになるが、こうした法律上の問題と社会がその人をどう見るのかということは、また別の問題だ。

日本でも「前科者」という言葉があるように、一度でも犯罪を犯せばその前科者としてのスティグマは一生ついて回りかねないことは言うまでもない。それが若いうちのことであるとすれば、言ってみれば人生が始まった途端に一生を棒に振ってしまうということになりかねない。

若いうちにそうしたことを理解できれば苦労はないのだが、若さゆえに過ちを犯してしまいがちなのもまた人間だ。改めて、若い時は可能性に満ちているが、一方でそうした大きな危険にさらされる時期でもあるということを若い人たちが認識し、ご自身の一度しかない人生を大切にしてもらえたらとこのニュースに接して切に思う。

一方で、ともすると一直線で何事もなく回り道のない人生を良しとする傾向はあると思うし、それはそれで正しいのだが、回り道をしながらも結果的に良い人生を送るという道筋をもっと明確にすることが出来れば、より多くの人にとって生きやすく、力を発揮しやすい社会になるのだろう。人口も減っていく今後においては、そのような社会になることが、限られた人数で最大の結果を出していくためにもなおさら必要なことではないかと、五輪出場を巡るニュースを見ながら思った。

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