泳げデータの世紀:昔から情報は価値だった。それが加速しているだけなのかも。
私の「データ世紀」に関する連載も、終盤を迎えている。ここまで、データの世紀の泳ぎ方について、新たな泳ぎ方の提案や、じつは古くて新しい泳法の紹介などを行ってきた。そして、ここにきて大きな問題に直面する。それは、この「データの世紀」の第6部、「世界が実験室」に関する考察です。
変質するデータの価値
「データの世紀」は、今で以上にデータの「価値」は上昇するでしょう。しかし、データの世紀以前も、データには価値がありました。今までも、個人のデータにも価値がありました。変わったことは、「データの世紀」、そしでデジタル時代には、データの組み合わせが今までよりも容易に行なえます。また、AIをはじめとする、新しいデータ分析、利用技術が増えてきたことです。
このことにより、データは、その単体の価値よりも、他のデータや技術と組み合わせた時に、価値が上昇することがあるのです。
これらの現象が、私たちに疑心暗鬼の気持ちを抱かせているのではないでしょうか。私の個人データが、どこか、私の知らないところで利用されているのではないだろうか。自分のデータが、許可した利用範囲以外でも使われているのではないだろうか。このような気持ちが、少なからずあるのではないでしょうか。データを使った新しい産業のためには、多くの実験も必要でしょう。しかし、データの価値が、データの組み合わせや、分析により、変質すること。そして、そのことが、まだ明確になっていないことが、一つの不安要素なのです。
この、データの価値が、自分の見えないところで変質する問題は、社会的な合意や、それにふさわしいルール整備が必要なのでしょう。個人情報という個人に依存する問題ですが、その解決は社会的な課題なのです。このことにより、不安を取り除きながら、実験をすること、このことが重要でしょう。
データの世紀では、創造力と想像力が必要
「データの世紀」の「「データGDP」日本は11位 新競争力は米英中3強」という記事は、日本のこの領域に関する取り組みが遅れていることを指摘しています。一方、私は少し違うことも考えました。
データは石油ですが、もともと資源の乏しい日本は、その加工技術で今まで大きな経済成長を達成してきました。この「データの世紀」でも同じことは出来ないでしょうか。データを使った新しい産業を、想像し、創造すること。そのことが、今の日本に求められているのではないでしょうか。
もちろん、これから日本がデータを整理し、もっとデータを使えるようになることも重要ですが、それには多くのルールと時間が必要でしょう。その整備の間にも、データの利活用の想像はできるのです。
この新しい「データの世紀」について、新しい世界を想像し、想像することが、重要なのかもしれません。「実験」「創造」「想像」これらをバランスよく取り組むことが重要なのでしょう。
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