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半導体で盛り上がっているが長期的なストーリーは描けているか?

半導体産業で盛り上がる九州の産学界

TSMCの進出によって、最近の九州は「台湾」「半導体」の2つが大いに盛り上がっている。筆者の勤務する大学でも半導体人材を育成するコースが新設され、熊本大学では新たな学部までできた。そこに将来性を感じてか、長年の課題であった理工系の女子学生不足を払拭するかのように3割とダイバーシティも進んでいるという。
TSMCのおかげで、大学も経済界も大いに活気付いている形だ。

一方で、九州のビジネススクールで勤務している立場からすると、本当に今の半導体の波に乗っかって良いのだろうかと不安になる気持ちもある。

長期的なストーリーはできているのか?

まず本題に入る前に前提から話をすると、半導体のブームに乗ること自体は悪いことではないと思っている。時流に乗ることは大切だ。これまでも、日本社会や日本企業の多くが、時流に乗るべきかどうかを判断が付きかねない状態で時間だけが過ぎ、せっかくのチャンスを見逃してしまったことは数多い。そういった意味では、半導体は1つの機会なのだろう。
一方で、半導体の流れを一過性のブームとせずに、それを足掛かりとした長期的な成長ストーリーを描けているのかが問題だ。このことに関しては、九州にはある意味で前科がある。
九州の半導体産業の歴史は古く、1960年代にまでさかのぼる。当時の日本はシリコントランジスタの世界最大の生産国であり、米国から技術を導入することで1960年代後半には量産体制を確立させていった。1970年、東芝が汎用ロジック半導体やテレビ用ICなどを手掛ける工場を稼働させたのが黎明期だ。そこから、米国のテキサス・インスツルメンツやNEC、ソニーなどが相次いで半導体工場を構えた。
そこから、1980年代は世界でもトップの半導体産業の集積地となるが、1990年代から競争力を失い始め、2000年代には中国・韓国・台湾にポジションをとられてしまった。
現在、50代~60代の元半導体エンジニアの方にキャリアのインタビューをさせていただくと、この当時の話が大きな転換点として話されることが多い。その転換点とは、半導体産業が勝てないと見た瞬間に、国や企業が一気に研究開発を止めてしまい、すべてがゼロと帰してしまった体験だ。それまで、日本産業の花形として扱われ、世界最先端の研究成果を出してきたと自負していた多くのエンジニアが自分のキャリアがなくなったと一気に諦めることになってしまった。
米半導体大手のテキサス・インスツルメンツの日本法人が大分の日出工場の閉鎖を決めたのが2012年の話だ。つまり、今から10数年前から20年前くらいの間に縮小の方向に舵を切ってしまった。その間に、半導体関連の人材は国内にいなくなってしまった。加えて、半導体関連の技術の進歩はめざましく、追いつこうにもなかなか難しい状態ができてしまった。

現在は、半導体人材の不足から、なんとかしてエンジニアを増やそうと産学官が連携して取り組んでいる。しかし、一回、産業として歩みを止めたものを再び動かそうとしても、歴史に解を求めても上手くいった事例を探すのは難しい。
しかも、今回の半導体の勢いは日本企業からできたものではなく、台湾のTSMCの誘致が発端になったものだ。海外からの誘致が切っ掛けであるため、何かあったときに見切られるのも早い。
そうはいいつつも、現在、日本だけではなくドイツなど多くの国が半導体関連のグローバル企業の誘致に積極的であり、この競争に負けるわけにもいかない事情もある。
つまりは、現在の九州の半導体の盛り上がりは、非常に複雑なのだ。そして、ビジネスの原則として、複雑なものは失敗しやすい。ビジネスはできるだけシンプルなもののほうが強い。
そういった意味では、半導体産業の活性化の時流に乗ることは賛成なのだが、そこからどうやって産業として定着させていくのか、解決すべき課題はまだまだ多いように思われる。

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