10年前と10年後の携帯端末の姿
5Gになって、携帯端末がどう変わっていくのか、ようやく少しづつ具体的なことが語られるようになってきた。
この記事によると、XRグラスが5G時代の端末の本命であるという。しかし、ここで示されている用途は、一般生活者の日常のプライベートな利用シーンとは、かけ離れているようにも思える。
他方で、こんな記事もあった。
この記事のフォーカスは、顔認証とそのデータ利用の危険性に関する問題提起にあるのだが、端末の話として切り出すなら、中国では、もはやQRコードをスマホの画面に表示して決済するという段階が終りつつある可能性を示している。
両記事とも、切り口は違うものの、いま私たちが当たり前のように使っているスマートフォン端末が、この先も今と同じようなモノとして存在し続けるかどうか、という問題を提起しているように読み取れる。
日本においては、4G(LTE)の前の3G時代から、スマホの普及が始まったといえる。2008年に日本で最初に導入されたiPhoneは「iPhone3G」と呼ばれ、3Gに対応した端末であることが「売り」だった。当時の日本は、フィーチャーフォン、いわゆる「ガラケー」と称される携帯電話端末がピークを迎えており、iPhone3Gには、一般ユーザーもマスコミの論調も「大きくて持ちにくい」「赤外線通信がない」「おサイフケータイが使えない」といった否定的な反応が主流で、通信業界の人ですら、スマートフォンの将来に対して懐疑的な意見が主流を占めていた。
それから10年が経って、どうなっているかは申し上げるまでもない。あれほど大きくて持ちにくいといわれたiPhone3Gとくらべて、はるかに大きいサイズの端末が当たり前になり、当時のサイズのスマートフォンを探すことが難しいくらいだ。赤外線通信を使うという話はすっかり鳴りをひそめ、スマートフォンでもSuicaなどが使えるようになって、フィーチャーフォンを使っている人は少数派となり、通信事業者は、根強くフィーチャーフォンを使い続けているユーザーに新しいフィーチャーフォン端末を用意することに苦心している。
この事実が示していることは、いかに私たちが当たり前だと思っていることが容易に当たり前でなくなるか、また自分たちの感覚がいかに先を読めず、あてにならないものか、ということである。
スマートフォンメーカーは、ビジネスを継続しなければいけないから、これまでのスマートフォン時代の延長線上にある5G端末を当面出し続けるだろう。二つ折りのスマートフォン端末も、そういった流れにあると考えることも出来る。だが、ここに目を奪われていると5Gの本質的な4Gとの違いを見落とすことにならないか、懸念がある。
5Gの特徴の一つは、ひとつの基地局で扱える端末(デバイス)の数が格段に増えるということにある。これは、端末のdecentralizationにつながるもの、と考えるのが自然だと思う。decentralizationは、日本語だと「脱・中央集権」といった意味合いで使われることが多いけれど、この場合は、英語の字義通り、「集中から分散へ」という動きを意味している。つまり、なんでもスマートフォン端末1台あればすむ、というcentralizeされた状態から、ディスプレイの機能はXRグラスに、音声通話の機能はスマートウォッチに、決済機能はもはや自分の端末ではなく相手側の端末のカメラでの顔認証に、と分散されていくのが、端末の未来の姿である可能性がある。1台にすべてが集約されたスマートフォン端末が、機能分化したIoTデバイス群に置き換わっていく。全部の機能がバラバラになるわけではないとしても、これまで一台の端末にまとめることで制約を受けていた機能については、別なデバイスとして切り出されて、十全な機能をもつようになる可能性は高いと思う。
そのような未来は考えられない、というのが、ごく普通の、当たり前の感覚であるとは思う。だが、冒頭に紹介した10年前のことを思い出したとき、10年後に私たちが当たり前に持っている端末が、いまはおよそ想像がつかないようなモノになっている可能性を否定できるだろうか。
そのような節目の中で、たとえばQR決済の動きが今後どうなっていくのか。おそらく、ビジネスとしての「賞味期限」は、さほど長くはないように思う。もちろん、それを踏まえたうえで、まずはQR決済でユーザーを短期的に獲得し、そのユーザーを基盤に次の展開を図る、というシナリオが描けているのであれば全く問題ない。
スマートフォンにまつわるビジネスを組み立てるときに、まだ誰も見ていない10年後について、想像を働かせていかなければ大きく読み違うことになりかねない。まだ多くの人の記憶にあるであろう10年前と今の状況を、思い起こしつつ10年後を考えたい。