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「タスク労働」をこの手に取り戻せ

中世はタスク労働だった

日本でもヨーロッパなど海外の国々でも、中世の労働はタスク的だったと言われています。タスクは現代のビジネスシーンでもよく使われる英単語ですが、おおまかな意味としては「期限が設定されており、期限までに終わらせる必要がある業務」のこと。現代だと「企画書を作る」「業務報告書を作成する」といったタスクがあります。

中世でもこれは同じで、たとえば稲作に携わっていた農民だったら「田植えから稲刈りまで、半年をかけて稲を育て収穫を得る」というタスク。職人だったら「家を一軒建てる」「木製の柄をもったクワをこしらえる」などがタスクです。

中世のタスク労働では、働く時間は基本的には強制されなかったようです。稲作をする農民は農繁期は忙しいけれども、農閑期になると暇になる。その期間を、わら細工など別の得意な仕事に宛てたり、遊んだりしていたのです。一日のなかの時間の配分も同じで、夏の草むしりのその日の分が終わってしまえば、早めに切り上げることもできました。逆に忙しくなり、長時間労働を強いられることもあったでしょう。

これは現代の農家さんでも同じだと思います。独立し自営している農家さんは、自分の働く時間をだれかに強制されることはありません。ちゃんと収穫が期待できるのであれば、自分の時間は自分の裁量で自由にできるのです。

タスク労働では、労働とそれ以外の時間が区別されることもありません。農作業のあいまに食事をつくったり、子育てをしたり、雑談をしたりということが当たり前にできます。


タスク労働時代は、余暇が多かった

中世末期のヨーロッパでは、農耕技術の進歩によって、農民の余暇の時間がかなり増えていたと言われています。

歴史家渡辺京二さんの代表作「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)は、幕末から明治期に訪日した欧米人たちの日記から、彼らが日本と日本人をどう見ていたのかを探った素晴らしい著作です。この中に、日本の職人は朝から酒ばかり飲んでいて、働いてくれないという愚痴が出てきます。

とはいえ江戸時代は今でいう伝統工芸が花開いた時代で、素晴らしい建物や工芸品がたくさん遺されています。なのに「朝から酒ばかり飲んでいる」というのは、当時の職人には自分の時間をどう使うのかという裁量の権限があったと考えるのが自然ではないかとも思います。

朝から酒を飲んだり、野放図な仕事ぶりでも許されたのは、職人たちは伝承と経験によって裏打ちされたさまざまなノウハウやスキルを豊富に持っていたからではないでしょうか。

産業革命が時間労働を生んだ

このタスク労働は、産業革命とそれにともなう工業化・近代化によって、「時間労働」へと移ったと言われています。近代の工場は、従業員の仕事を時間で管理するようになり、タスクは細分してマニュアル化され、従業員が代わっても交替できるようにしました。これによって「この人でなければダメ」という属人的な職人のタスクは近代の上場から消滅したのです。

20世紀初頭には、「科学的管理法」と呼ばれるマネジメント手法がアメリカで確立し、時間労働がシステムとして完成していきました。

科学的管理法にもとづく時間労働が、日本でも欧米でも、20世紀の先進国の経済成長に寄与したのは間違いないでしょう。しかし結果として、人々が自分の裁量で仕事をコントロールできなくなり、労働が時間に縛られるようになって息苦しくなってしまったのも事実です。この歪んだ帰結が、平成のデフレ時代に横行したブラック労働でした。

働き方改革の最終着地点は、一億総タスク労働化

令和になって「働き方改革」が言われるようになり、多くの企業でホワイト化が進んでいると言われています。この方向の最終着地点は、わたしたちの社会や産業にタスク労働を取り戻すことではないでしょうか。一億総タスク労働、です。

実際、わたしのようにフリーランスで物書きの仕事をしている人間は、自分の仕事ぶりがかつての農民や職人のようなタスク労働にきわめて近いということを実感しています。タスク的な働き方がフリーランスのみならず社会全体に広がっていくことが可能なら、社会の幸せは間違いなく高まるでしょう。実際、コロナ禍のリモートワークでは、おおくの人が自宅で働くという経験をし、タスク労働の楽しさを実地に感じたのではないでしょうか。

タスク労働は、子育ても後押しします。これを経済成長を失速させないままでどう実現していくのか。それこそが、これからの日本の課題だと思います。


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