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強いられて何かをするのはキライ ~ 一言切り抜きfrom日経#205

この一言は以前、この連載で取り上げたのだけれど、他もいくつかの言葉と一緒に取り上げた回だったので、今回単独でアップします。

書きたかったなと、ずっと気になっていたので。

3月5日の日経朝刊1面「春秋」の欄より、先日107歳で亡くなったアーティスト篠田桃紅さんのセリフ。

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全文はこちらで、

そして、この一言に魅了されて本も買った。まだ読んでいないけれど。


強いられて何かをするのはキライ。

みんなそうだろう。僕もそうだ。天邪鬼だからではない。本質的にみんなそうでしょう?

これについて、2つ思い出したエピソードを、紹介したい。

コピーライターとしてキャリアを始める直前の21年前の話。会社で、広告を企画制作する部署=クリエーティブ局に配属される若手だけを集めた新入社員研修があった。1ヶ月くらい。

その最後は、プレゼンで、テレビCMと、新聞広告30段で、キャンペーンを考えるというものだった。(当時はまだウェブキャンペーンはなかったから)

お題は「カルビー かっぱえびせん」だった。

新入社員4人につき、二人の先輩がついた。

コピーライターとデザイナーの。このお二人が新人の指導役として、最終プレゼンに向かう準備に付き添う。

僕が考えたのは、CMは忘れたが、新聞広告はこういうものだった。

新聞30段(=見開き全部ってことです)いっぱいに大きく、かっぱえびせんの袋を完全に開いて、一本残らず食べちゃった写真を、載せる。パッケージ内側の銀色の部分が平らに開いた状態の上に、かっぱえびせんの小さなカスくらいは残っているが、完食した状態。

そこに1行のコピー「遠足は、明日なのに。」

こういう企画。

それをそのお付きの先輩二人に見せた。そしたら。

「ビジュアル、シンプルすぎない?」「うーん、、なんかさ、コピーとかはさ、『みんなで食べたら美味しいね』とかじゃないの?」とか、なんだか色々ダメ出しされた。

僕のコピーの方がいいし、このビジュアルでいいと思うと伝えると、「頑固だよね」「言えてる」と、言われた。若干嘲笑が混じってた。

でも、僕は変えなかった。だって、研修って、現場に出る前に、自分の考えをぶつけて経験する場でしょ?失敗したり、褒められたりして。

何より、このコピーは好きだったし。

そして、最終プレゼン。どうなったかと言うと。30人の新人の中で、ちゃんと褒められた。してやったりと思ったが、自分の考えを曲げずによかったと思った。曲げてたら、何の経験にもならなかっただろう。失敗してても、それでよかったと思うだろう。それこそが経験になる。

強いられて何かをするのはキライ。そして、強いられて何かをしても意味がないのだ。


エピソード2つ目は、その6年後。

今度は逆に、僕がそのクリエーティブ局配属の新人たちの講師側に回ることになった。

この時は、先輩社員1名につき、新人4人のチームを、2つ面倒みてね、と言われた。そして、明日のプレゼンまで指導して、ということだった。

僕は、先に書いた新人研修の時の、色々言われてイヤだった思いと、いうこと聞かなくてよかった成功体験があるので、僕に付いた2つのチームにはこう言った。

「あのね。

研修って、自分たちの考えをぶつけて、経験する場だと思う。俺が新人の時、色々言われてこんな思いをしてさ、イヤだったし、みんな、自分が思うようにやった方がいいよね?

だから、ほったらかします。

これからプレゼンまで20時間くらいあるけど、俺、一言も口出さないから。思うようにしていいよ。」

ただし、プレゼンの中身を全く知らないのはまずいかもだから、一応プレゼン前に、こういう企画をプレゼンします、というのだけ、事前に教えてもらったら、あとは自由!ということにした。

20時間中、僕が指導したのは、その最初の5分のこの話をしただけ。

他に4人いた、先輩社員たち=指導係は、この20時間、律儀に、新人たちをみっちりアドバイスしたり、相談に乗ったりしていた。僕はと言えば、その時間、他の仕事をして、本当にほったらかした。

そして、プレゼンの時間が来た。

結果。

1位:僕についていたチーム。

2位:僕についていたチーム。

10チーム中、上位2チームが、僕に付いた、自分たちが思うようにやった、ほったらかされたチームだったのだ。

プレゼンの結果発表後。講師だけのミーティングで聞かれた。

「なんで倉成のチームが上位独占したの?何やったの?」

小さな声で、こう答えた。

「それはね、、俺、全く指導しなかった。」

ガーンと音がして。みんなショック受けてた。俺たち、私たちが、ずーっと付き添ったあの時間は何だったんだ!と。


強いられて何かをするのはみんなキライ。

強いられて何かをしても大した成果は出ない。


そういうことだ。

昨日、とある教育関係者と、zoomで話していた。昨今の「探究学習」の流れをどう思うかとか、「自己肯定感について」とか、聞かれた。

僕が言ったのは、探究学習って、もちろん悪くないけど、探究するなんて、当たり前のことすぎて、それをわざわざ今更言っているなんて、今までの自分たちがやってきた教育が探究してなかったって、認めてるってことですよね。そして、「探究しなさい」と言われて探究する、その自発的じゃない探究って、探究なんですかね、それ。

とか。

自己肯定感が大事、海外のスコアより低い!と大人たちは言ってるけど、村上春樹さんは、なぜ自分のことを好きじゃないといけないんでしょうか、必ずしもそうは思わない、というようなことをおっしゃってましたが、どう思いますか?多感な思春期に、自分のことをキライになったこともない人って、かなりやばいんじゃないでしょうか?

そもそも、日本の大人たちは、人の意見に流されて、同調圧力に負けて、自分の意見も軸を持っている人も少なく、すぐ海外と比べたがって。要は自己肯定感が低いのは、大人じゃないですか?

ってな話をした。強いられて何かをするの、みんな辞めた方がいいよね。

強いられて何かをするのはみんなキライ。強いられずに、自分から何かをするのは、みんな好き。

そういう本能的で自然なことをちゃんと思い出した方がいいんじゃないかな。

篠田さんの一言から、こんな風に、色々と2000字くらい、思いが膨らんだ次第でした。


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