見出し画像

食のデリバリーサービスが運べていないもの

新型コロナウイルス(COVID-19)の影響でUberEatsなどのフードデリバリーサービスが活況を呈しているということは、報道もされているしまた日々の生活の中でそうしたデリバリーの人達を見かけることでも実感として感じている。この度はCOMEMOのお題としても取り上げられたくらいだ。

実は今回のお題にあるフードデリバリーサービス、私は過去に一度使ったような記憶はあるのだが、COVID-19の問題が起きてからは1回も使っていない。どうも使おうという気にならないのだ。

これは、ひとつには私がそういった新しいサービスに対する感受性が落ちている可能性もあるのだが、かつてUberと競合する英国発のタクシー配車サービスの日本事業の立ち上げに関わり、後には同日本法人のCOOも務めたことがあるので、この種のマッチングサービス全般に対する拒否感があるわけではない、とは自覚している。

それでもなぜ使おうと思わないのかを考えてみたのだが、例えばUberEatsと、Uberのような他のマッチングサービスには決定的な違いがあると私自身は感じている、というところが、どうやら大きいのではないかと思う。

例えば配車サービスの Uber であれば、マッチングされるのはドライバーと乗客である。ここで生まれるのは、サービスされる人とサービスする人の直接の出会いであり、双方がサービスの相手方を直接感じることができる。これはAirbnbのようなサービスも同様で、泊まる人と泊める人が直接コンタクトする機会が発生する。

時に幸せな出会いが起こって、マッチングサービスをきっかけにサービス提供者と顧客の関係を越えて、人間同士としての友人関係に発展することもあるし、私自身もそうして永くお付き合いさせて頂いている友人がいる。

これがフードデリバリーの場合どうであるかと考えると、マッチングされるのは料理を運ぶ人と運んでもらう人であって、料理を作る人と食べる人ではない、ということに気が付く。

もちろん料理を運ぶ人が、とても印象的なサービスをする人ということも中にはあるのだと思う。しかし時間に追われる配達員が、信号や交通法規を無視して道路を自転車で通行することは私自身も何度も見かけているし自分自身がヒヤッとしたことも少なからずある。またそうしたことが SNS などで問題として取り上げられているということも多数見てきた。また配達した人が料理をぞんざいに扱ったなどというケースも見たことがある。こういうことも、本質的理由ではないかもしれないが、あまり使いたいと思わない一因ではある。

もちろん配達してくれる人の価値がないというつもりはないのだが、料理を介してということであれば料理を作る人とそれを食べる人のマッチングのサービスが欲しい、と私個人は感じてしまうので、どうもこうしたフードデリバリーのマッチングサービスには触手が動かない。

かつてよくあった出前であれば、直接料理をした人ではないにせよ、同じ店の人がその料理を運んでくるのであり、料理が美味しかったにせよ美味しくなかったにせよ、あるいはサービスが良かったにせよ悪かったにせよその人に伝えることによってお店に伝えることができる。

しかしフードデリバリーサービスの場合、料理を作った人と運ぶ人のあいだには直接の関係はなく、仮に配達員に何かしらのフィードバックをしたところで、それが作ってくれた人や店に戻っていくということは期待することが難しい、と私は感じている。

それなら宅配便だって同じではないか、という反論があるだろうし、おそらく多くの人にとっては、運ばれるものが料理であれそれ以外のものであれ同じなのだろう。だからこそ、フードデリバリーサービスが盛り上がっているのだと思う。

食に関して、人によって、あるいはその時の状況によって、何を求めるかということは異なると思う。単に空腹を満たすということであれば、誰が運んできたどんな料理であっても、それが安全で栄養があるのであればそれで構わない、ということになるのかもしれないし、自分にもそういう時もある。

しかし、私たちは、食事に対して、見た目の美しさや香りであるとか、さらには食器にいたるまで、単に空腹を満たし人体に必要な栄養を摂るという以上の価値を求める場合が少なくないのではないだろうか。私自身は、やはりそうしたことを3食毎日とまでは言わないまでも、ある程度求めたいと思うタイプだ。ましてやコロナ禍で、自由度が低下した生活を送っているなかでは、自分にとってはトータルな食の満足度の重要性が高くなっている。

緊急事態宣言が発令されている間に、普段はお持ち帰りやデリバリーのサービスをしていない飲食店が弁当を提供していた時期には、しばしばお気に入りの店に電話注文をして出来上がる頃の時間に引き取りに行っていた。中にはいつも私が頼むことをわかっていて、特別に少しおまけの一品をつけてくれるといった、作り手とのインタラクションが生まれたお店もいくつかあった。

残念ながら、そういった取り組みがあったお店の多くは緊急事態宣言解除と共に通常の営業に戻ってしまっているのだが、私個人としてはこうした食を通じたインタラクション、作る人と食べる人の直接のマッチングというものが実現するのであれば、それはぜひ使いたい。

例えば、今後の食のあり方を考えるのであれば、料理人が食べる人のお家に直接届けに行き、盛り付けなど一定のことをして回るといったスタイルは考えられないだろうか。

ランチやディナーの時に、1人の料理人につき1か所(家庭)だけということでは非常に単価が高くなってしまうけれど、例えばあらかじめ一定のレベルまで調理したものをお家まで運んで、そこで温めたり盛り付けたりして、あるいはテーブルのセッティングなどもして帰っていく。そして食べ終わった頃に片付けに来る、ということであれば1日に数組から十数組といったお客様をさばくこともでき、そうすればある程度リーズナブルな価格で一流の料理人の食事を楽しめるということもできるのではないだろうか。

そして、料理を作った人やそのお店の人が直接お家に来てくれるのであれば、料理に対するフィードバックも直接伝えることができるので、作る人たちの励みにもなるのではないかと思う。

こうした家庭を訪問する形に全く感染の危険がないというわけではないけれども、お店に食べに行くスタイルよりは感染の可能性はおさえらえるのではないだろうか。

外食やデリバリーの未来を考える時に、下記の記事で宮田さんが指摘している「場の概念」で、私たちが「場」にもとめる、変わるものと変わらないものを見極めることがとても重要になる。

いずれにしても、食に空腹を満たすとか栄養を取る以上の意味を求める人にとって、今のフードデリバリーサービスには、運べていないものがあるのではないか、と思う。別な言い方をすれば、UberやAirbnbが生み出した新しい体験価値がないのではないか、と思うのだ。


#日経COMEMO #毎日UberEats有りですか


いいなと思ったら応援しよう!