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「科学的な営業」とは何か、「エセ科学な営業」は存在するか

さて、営業というと「とにかく根性」「営業は足で稼ぐ」「営業は最後の数字さえ出せばOK」というイメージをお持ちの方は多いでしょう。事実、いまだにそうしたことを強く言う営業リーダーや経営者は少なくありません。ただ、これは全否定しないまでも時代遅れであり、生産性の高い科学的な営業とは言えません。


「営業を科学する」「科学的な営業」とは、どういう意味?

「THE MODEL」において、マーケティング、インサイドセールス、フィールドセールスはそれぞれどう関係するべきか。特に決まったセオリー(理論)は無いと考えます。

ただし、過去の経緯や体験談から色んな宗派は生まれています。ちなみに私は「マーケティングとインサイドセールスは一体不可分」派に所属しています。まぁ、浄土真宗ですら真宗十派といって西本願寺の本願寺派、東本願寺の真宗大谷派ら10宗派に分かれるのですから、主義主張のために派閥が生まれるのは仕方がありません。

というわけで、JX通信社ではマーケティングとインサイドセールスを管掌しています。(意外でしょうか?

インサイドセールスの生産性を高め、最大の成果を出すために、これまで色んな書籍に目を通してきました。「インサイドセールス」そのものを扱った書籍自体が少ないため、範囲を広げてビジネス書から国外の原著まで触手を伸ばし、色んな考えに触れてきました。

さて、同じテーマを扱った書籍を何冊も読み続けると、著者は違うのに同じ単語が何度も飛び交うことに気付きます。それは「営業を科学する」「科学的な営業」です。以下に例をあげます。

マイクロソフトやセールスフォース・ドットコム、オラクルなど、企業向けサービスの強い会社は、データに基づいて営業を科学的に分析している。組織づくりの第一歩は、営業を科学することにある。
現在では、多くの日本企業が「営業を科学する」ことに関心を示すようになってきた。売上向上のために、ツールを使って日々の営業活動を管理する企業の数はこの10年で飛躍的に増えたし、分業プロセスである「ザ・モデル」を参考に、組織改革に取り組む企業も出てきた。
実戦で通用するというからには概念だけでもダメ、プロセスだけでも不十分だ。プロセスを動かすのは、最終的には人間。いくら科学的なプロセスを導入しても、そこに介在するのが人である限り、ヒューマニティを無視しては絶対に機能しない。
勘や偶然、そして根性といった"ファンタジーな要素"に頼っていてはいつまでたっても好不調の波に流されているだけです。あなたに必要なのは、結果を出し続けるための理論です。そしてこの本は、科学的な営業術という"再現性"を与えるものです。

「営業を科学する」「科学的な営業」とは、どういう意味なのでしょうか。もし「科学」できるなら、「エセ科学な営業」もあるのでしょうか。

上にあげた3冊から察するに分析、堅牢なプロセス、再現性といった意味合いが含まれているようです。では、これらが「科学」なのかと言われると、そうなんだけど、それだけじゃない感に襲われます。そもそも「科学」とは何なのかが言語化できていない感。

そこで今回は「営業」と「科学(的)」について調べてみました。


「科学(的)」とは何か?

そもそも「科学」「科学的」とは何でしょうか。辞書を引きます。

【科学】
一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。また、その成果としての体系的知識。研究対象または研究方法のうえで、自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。
【科学的】
考え方や行動のしかたが、論理的、実証的で、系統立っているさま。

「体系的」「知識」「研究」が科学(的)と言えそうです。つまり、営業の科学とは単なるオペレーションの改善や分析ではなく、営業を研究対象とする論理的・実証的に体系立てた活動だとも言えます。

ちなみに「エセ科学」は「科学」と何が違うのでしょうか。例えば、私自身は全く賛同できないのですが、「ありがとう」等の言葉を見せた水から、綺麗な結晶ができると主張されている方が多数おられます。彼らは彼らなりに体系立った研究成果を発表されているようです。

「「科学的思考」のレッスン」では次のように記載されています。少し長いですが、とても重要な指摘をされておられます。

科学が扱っているのはすべて理論であって、そのなかにより良い理論と、あまり良くない理論がある。科学の目的は、理論をほんの少しでもより良いものにしていくことだ、と。
(略)
科学者が作っているのは仮説や理論です。ここでは、複数の仮説がひとまとまりをなしているものを理論と呼ぶのだと思ってくださって結構です。科学者が「こうじゃないの。ああじゃないの」と言っているのは、みんな仮説や理論です。でも、創造論者のように二分法的に考えて、「仮説・理論、イコール、事実や真理ではないもの」と一括りにすると、仮説や理論はみんな同じ重みになってしまう。
(略)
仮説のなかには、良い仮説と悪い仮説がある。そして現在の知識では、ダーウィン進化論のほうが、インテリジェント・デザインに比べて、より良い仮説なのだと。こういう意味で、100%の真理と100%の虚偽の間のグレーな領域で、少しでもより良い仮説を求めていくのが科学という営みです。

科学者は「これまでに得られた証拠に照らし合わせてもっとも正しそうなもの」を受け入れますから、写真が事実だったとして、水に言葉がわかるという仮説と、わからないという仮説のどちらが「良い仮説なのか?」を考えれば良いのです。

どちらに合理的な理由が今の時点であるでしょうか。私は「水に言葉がわからないという仮説」を選びます。

エセ科学と評される様々な事象は、科学的方法を無視して様々な奇跡を見せてくれます。しかし奇跡をどれほど検証しても、関連性や法則を見出せず、立証することができないのです。「綺麗な結晶ができた」のは事実だとしても、言葉のみが原因だと示せない限りは「悪い仮説」だと考えます。

ただし、科学とは「理論をほんの少しでもより良いものにしていくこと」ですから、今日はAが良い理論でも、大発見を通じてBが良い理論になるかもしれません。ですから、私自身は全く賛同できないのですが、水に言葉がわかるという強力な仮説が見つかると良いですね、とは思っています。

一方で、エセ科学を語る人は「理論的に正しいからといって事実とは限らない」「あくまで理論なだけで実証されていないだろう」と主張します。あくまで「事実」のみが正義で、あとは全て"優劣のついていない仮説"だと考えているのです。そんなわけあるかい。

科学とは、事実 or 仮説の二分法ではありません。戸田山先生の言葉を借りれば「100%の真理と100%の虚偽の間のグレーな領域で、少しでもより良い仮説を求めていく」ものです。Aだけが良くて他全て悪い、というわけでもないのです。仮に大発見でBが良い理論になったとしても、Aが一気に悪い理論になるわけでもありません。

新型コロナウイルスのワクチンを接種すべきか否かについても同様です。私自身は既に2回目の接種を終えていますが「接種しない奴はおかしい」なんて全く思いません。「不妊になる」というデマに悩んでいる人や、副作用が怖い人、様々な人がおられます。接種する/しないの二分法ではなく、細く分類されたグレーゾーンの選択肢に立たれている人たちに語りかけるのが、政治本来の仕事だと考えます。

ところが、最近は「最新の論文ではAだ、だからAにするべきだ!これぞ科学的だ!」と二分法で語るYoutuberも多いようです。分かりやすい方に表現しようとする様こそ「エセ科学」なのではないかと私は考えます。


では良い理論とは何か?

科学の目的が「理論をほんの少しでもより良いものにしていくこと」なら、そもそも良い理論とはいったい何でしょうか。先ほど紹介した「「科学的思考」のレッスン」から再び引用します。

①より多くの新奇な予言を出してそれを当てることができる。
②アドホック(その場しのぎ)の仮定や正体不明・原因不明の要素をなるべく含まない。
③すでに分かっているより多くのことがらを、できるだけたくさん/できるだけ同じ仕方で説明してくれる。

①〜③をまとめると「事象を理論で説明できるか」に尽きます。太陽が西からではなく東から昇るのも、空に大きな虹がかかるのも、ちゃんと理論で説明ができます。

ただし、エセ科学も説明はできています。質も筋も悪く、特に②は当てはまらない場合が多いのですが、説明という点はクリアしているので、何かがエセ科学と科学を分け、良い理論を担保してくれるのです。

その1つが「反証」です。自分の立てた仮説に当てはまる例を「正事例」、仮説に反する例を「反証例」と言います。例えば「太陽が東から昇る」なら「西から昇る」ことを証明できれば良いのです。

エセ科学は「反証条件を明示しない」と言われています。例えば「念力で、どのカードを選ぶか絶対に当てる」という人がいたとして、仮に外れたとしても「疑っている人がいる。邪念があったら当たるものも当たらない」と言い出したら、それは科学ではありません。

よく当たる占いは「科学」でしょうか。私の大好きなしいたけ占いは「蟹座は時々「あー、私って神だなぁ」と感じる」と蟹座の私に教えてくれます。が、そんなもんは誰もが1年に1回は思うのです。誰もが思い当たる内容は反証しようがありません。それは科学でしょうか。いえ、エンタテイメントです。


科学的な営業とエセ科学な営業の違い

科学的な営業は、単なる「分析」にとどまりません。冒頭に「営業の科学とは単なるオペレーションの改善や分析ではなく、営業を研究対象とする論理的・実証的に体系立てた活動」と表現しましたが、まさに「体系立った理論を元に結果を出す活動」そのものです。

もし、何らかの理論が確立され、かつそれが良い結果を及ぼすのであれば、演繹法的に「では自社の場合に当てはめてみよう」と実践し評価するのは科学的です。また、帰納法的に「今まで蓄積した実績から、こういう理論が確立される」と分析するのも科学的です。

「営業を科学する」「科学的な営業」ことを主張する書籍に書かれていた分析、堅牢なプロセス、再現性といった意味合いも、これで腹落ちします。理論が正しければ再現性は担保されます。誰が遂行しても結果が同じという点では堅牢なプロセスです。結果を評価・計測するためにも、分析は必要になります。

では、余談ですが、エセ科学な営業とはどのようなものでしょうか。

1つ目は「理論が完全ではない」ことを否定する営業です。理論通りにやって上手くいかないセールスマンがいたとして「やり方が悪い」「お前が悪い」と理論を絶対視する人は科学的ではありません。ましてや「俺のやり方には間違いない」と言う人はエセ科学です。

2つ目は「反証」を否定する営業です。理論通りに上手くいくかどうかは、理論を否定して実際に上手くいかないことを実証しなければなりません。「そんなことやっている暇があるなら商談を作れ」と検証を否定する人は科学的ではありません。ましてや「俺のやり方には間違いない」と言う人はエセ科学です。大事なことなので2回言いましたよ。

冒頭で「とにかく根性」「営業は足で稼ぐ」「営業は最後の数字さえ出せばOK」というスタイルを時代遅れと書いた記事を紹介しましたが「俺の言う通りにやれない奴はダメだ」というスタイルこそが時代遅れなんです。経験を否定しているのではありません。理論を語っていないことがダメなんです。


ただし。科学は完璧ではありません。科学無しに解決できませんが、科学だけでは解決できません。

例えば営業の育成。人はそれぞれ違うのですから、決まった理論が通用するとは考えにくい。型にはまって良いパターンと、型にはまらないパターンの使い分けが重要だと思います。

以上、お手数ですがよろしくお願いします。

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