张勇。無一文から中国No1火鍋ブランド「海底捞」を作った男
今日は海底捞を作った张勇(Zhāng yǒng)氏を紹介します。2019年のフォーブスアジアの発表したシンガポールで裕福な50人のリストのトップにいるのが彼です。純資産は138億ドルとのこと。
ところで「海底捞」って知ってますか?
中国で知らない人はいないと言っても過言ではない火鍋チェーンです。東京や大阪にも進出していて、とっても繁盛してると聞きます。
↑これよくまとまってます。海底捞の凄いところはいろいろあると思いますが、なんと言っても接客がすごい。接客教育を徹底してることや社員を大切にしてクオリティを上げる方法などはこちらでも度々取り上げられています。
そんな海底捞もいきなり現在の成功が約束されてたわけではありません、だって中国で火鍋のお店は尋常じゃない数ありますから。
■1994年に小さな火鍋屋をスタート
张勇は四川省出身で1988年に成都の専門学校を卒業。有名な大学を卒業したエリートとかではないんです。
卒業後にトラクター工場で6年間働いた後、いくつかのビジネスにトライしたようなのですが全て失敗。毎月90元(1500円くらい)しか収入がない苦しい生活の中、当時のガールフレンド(現在の妻)と数人の友人と飲食業界に興味を持ちます。
张勇は2011年のインタビューの中で「私は無一文だったのでたとえ1万元(約1400ドル)未満の投資であっても貴重だった。なんとか5年で資産が15万元に成長すると言って投資家の承認を得たんだ」と語っています。
そして1994年に念願の一号店を開始。海底捞の伝説が始まります。
■たった四卓しかない店
一号店はかなり小さいお店だったみたい、インタビューで「最初はワンフロアでたった四つしかテーブルがなかった。エアコンはあったけど」と。そりゃ火鍋屋でエアコンなかったら夏死ぬでしょう。。
でも、一号店をOPENした四川省の建阳(彼の地元)エリアには競争相手が少なかったこともあり、小さな店だったけど人気になります。周りからクレイジーと言われながらも、ほとんどのお金をお店のアップデードにつぎ込んでいった結果、数ヶ月で建陽エリアで最大の火鍋レストランに。
4年後の1998年には2号店をオープン。このころ彼は時間を見つけては市場調査をしていたらしい。そしてそれは結構先を見ていました、地元の四川や中国だけでなく世界中で共鳴する何かを模索していたと言います。この辺りが大成功する人に共通するマインドなのかもしれませんね。
■その後の快進撃、グローバル企業に成長
その後の成長は省略しますが、一号店のオープンから25年を経て中国全土どころかアメリカ、韓国、日本、シンガポールなど世界中に約600以上の店舗を持つ巨大なグローバルチェーンに成長しました。
また、2018年9月に香港に上場し、市場価値は1000億元以上とも言われています。
2022年には国内外で1000店舗を超える、さらに火鍋マーケットの規模は7000億元を超えていくと予想されていて海底捞はとんでもない規模の企業になりそう。
■徹底した接客向上と従業員への信頼
海底捞の代名詞は素晴らしい接客です。(中国だからなおさら)行き届いた接客が素晴らしいと感じますし、麺を作ってくれるパフォーマンスやネイルサービス、マッサージや出前サービスなど、かなり充実してます。
↑もし海底捞に一人で食べに行くと、向かいの席にぬいぐるみ置かれるんだよ!まぁ余計寂しいと思うのですが。。
海底捞の他の素晴らしい接客事例は別のnoteに書きますね。
↑2011年に中国の企業管理学者である黄鉄鷹が書いた海底捞の管理本「海底捞你学不会」もベストセラーになりました。
张勇は2011年のインタビューで「当時、私たちには情報システムがありませんでした。会社全体を管理するのは主にウェイターである個人を頼り、彼らに責任を与えることが重要。彼らを尊重し、信頼することが大事だ」と話しています。
素晴らしい経営者ですよね。決して恵まれていない環境から這い上がり、お客と従業員を第一に考え大切にするスタンス。中国で最も尊敬される経営者の一人と思います。
...そして彼がすごいのはこれだけでは無いんですよ、それは次回のnoteで紹介しましょう。
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(参考資料)
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