「情熱」や「原体験」が見つからないなら。
仕事に関して情熱を持てるものを探そうとか、あるいは起業には原体験が必要であるとか、いずれもそういうものがある人にとっては、それで間違いがないのだと思うし、異論はない。
でも、自分には「情熱」や「原体験」がない、と感じる人がむしろ多数なんじゃないかと思う。そんな中、スタートアップ支援を手掛けている馬田さんのこの一文は、心に響いた。
「やりたいことが見つからないのですが、どうすればいいでしょうか?」
これは切実な声だ。自分もそういう状態で会社に入った。正確には、その当時やりたいと思っていたことを目指したものの失敗し、特に深い考えもなく、食っていくために会社に入った。
そういう「情熱」も「原体験」もなかった自分が、死んだ目をせずにここまで来れているとしたら、それは「好奇心」に助けられたのではないかと思う。
好奇心は単にその強弱という単一の資質ではなく、どのような好奇心があるかにより5つの類型がある、という記事がハーバード・ビジネス・レビューの2018年12月号に掲載され、とても興味深く読んだ。
詳しくは記事を読んでいただきたいが、仕事の成果を高める好奇心も5類型のうち4つに及ぶというエビデンスがあるそうだ。
自分のことを振り返っても、好奇心が「情熱」に転化したというよりは、むしろ淡々と好奇心のおもむくままに過ごしていることで、徐々に仕事を好きになり、望まずして入った会社だったが、望んで居続けたという結果につながったように思う。(ただ、それが上司にとって望ましい部下としての自分のあり方であったかどうかという点については、落第点とまではいかなくても、少なくても満点には遠く及ばなかったのだろうとは思うけれど。)
定年が伸び(そのうち、恐らくは無くなり)、人生自体が長くなる中で、それまで情熱を持って仕事に打ち込んできた人も、出向や役職定年などによって定年までの間ないしは人生の後半で、再び
「やりたいことが見つからないのですが、どうすればいいでしょうか?」
という状況に陥っている人も少なくないように感じる。
記事にあるようなチャレンジをしようと思うのも、もちろん情熱や原体験を起点にしてもいいが、多くの人にとってより身近なのは、ちょっとした好奇心を起点にすることではないかと思う。これは何も50代に限ったことではないはずだし、おそらくはキャリアデザインの柔軟性・多様性が格段に高くなるであろう令和の時代なら、新卒を含む若い人にも通じる部分があるのではないか。
もっとも、その好奇心すら湧いてこない、となると、さてどうしよう、ということではある。若いうちはともかく、ミドルからシニア層に関して、この記事では「好奇心」を含む「意欲」がテストステロンの減少とともに起きる、と指摘している。筋肉と同様、使うことによって老化を防ぎ、維持することができるという。
仕事への「情熱」も起業の「原体験」も見当たらない、と思われる方は、小さな好奇心を大切にしてみてはどうだろうか。