教員一年目に極限まで追い込まれた話
教員のブラックな労働環境は、ここ数年結構取り上げられているような気がします。特に残業時間の過少申告の問題は、日経でも先日記事に出ておりました。
また、先日のクローズアップ現代でも、教員の過重労働についての特集がありました。
昨日はYahooニュースでもこんな記事がありました。
これらの教員の直面する問題を見ると、学校という場所は、現在全方位的に問題の多い職場であることは、もはや異論のないところでしょう。かつては「聖職」とさえ呼ばれ、正規教員の採用試験の倍率は10倍を超えたような時期さえありましたが、現在その人気は下降曲線の一途。なりてが見つからず、現職の先生たちが必死にやりくりしているような自治体もあります。
一方やはり、教員というのは、素晴らしい仕事であることも確かです。僕自身のことを言えば、幾つもの仕事がある中で、給料的には比較的少なめでも、大学教員だけは絶対に辞めようとは思わない仕事の一つです。僕にとってはほとんど「人生を救ってもらっている」と思えるほど、若い学生たちから受ける刺激と信頼は、教員という仕事でないと得られないと思えるほどの素晴らしい経験だからです。
ただ、そのような幸運な状況になったのは、せいぜいこの10年ほどで、その前、僕自身もまた「教師辞めたい」と思ったこともありました。今日はそのことを日経COMEMOに書いてみたいと思います。
内容は、多少ショッキングなことがあるので、特定を避けるためにいくつかフィクションを入れてあることをご了承ください。20年近く前の話とはいえ、もしかしたらということもありますので、念には念を入れて。でも大筋はこのような経験をしています。そしてこの話から得られる教訓を最初に書いておくと、
という独特の職場環境があるということなんです。教員って、我慢しちゃうんですよね。てか、職業柄そういう我慢できる人が集まっちゃってる。使命感が強い人も多いですし。そうした傾向に加えて、「教員は耐えてナンボ」みたいな固定観念が社会の側にもあるような気がしてます。こうした環境の先に、現在の「過重労働」「ブラック労働」の問題が出てきているように感じます。
でも現場は日々、あらゆる面で本当に色んなことが起こるんです。教室の中でも外でも。そろそろそういう「耐え難いこと」を、先生たちもちょっとずつ声を上げているのが現状です。その声に耳を傾ける時期が来ていると思います。
さて、ではここからは僕の昔語りです。教員を20年近くやっていますが、これまでいろんなことありました、本当に。でもこれは、一番きつかった経験の一つです。よかったら読んでみてください。
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僕が初めて教員になったのは20代半ばで、ちょうど大学院の博士課程に入るか入らないかみたいな頃です。で、最初に入った学校がえぐかったんですね。偏差値的には高くなく(オブラートに包んだ言い方にします)、文よりも武の方が重視されるような校風で、そして極め付けは男子校でした。20代中盤、色白、文系、髪の毛はテンパ、加えて当時は(今も大して変わりませんが)話すスキルも全くゼロの虚弱な若造が新人で入るわけです。死しか見えませんよね。で、実際死にかけました。その顛末を今日は書きます。
(1)初日
自分がそのあとどんな状況に陥るか全く予期もせず、「あー、いよいよこれから教員生活かー、緊張するなー」なんて暢気に思いながら教室に向かった最初の日の光景を、いまだに克明に覚えてます。何だかガヤガヤしてて、自分が知ってる高校の感じではなくて、何だろうな、町の裏路地を歩いてるような感じでした。自分の入る教室の前に立った時、中からすごい奇声が聞こえて、一瞬怯んだこともよく覚えてます。意を決して扉を開けて、「よろしくおねがいします」と言いながら教壇に向かったのですが、生徒たちの方を見る勇気が持てなくて、足元を見ながら教壇に向かいました。
で、足元しか見てないのに違和感があったんですね。すぐに気づいた。視覚じゃなく、嗅覚が異変を感じてたんです。契約の際に校内を案内された時は綺麗だった教室内に、すでに異臭が漂ってるんですよ。何の匂いかなと思ったら、教壇の前あたりの通路に、牛乳がこぼれて乾き始めてるんです。その匂い。それと、男子校特有の汗っぽい感じと脂っぽい感じが混じり合ってて、独特の異臭が充満してた。「もしかしたらこれはやばいかも」と思って教壇まで来て、ようやく生徒たちの方向に向いた瞬間、また衝撃が走りました。
誰もこっち見てない。本当に、誰一人として僕の方見てない。その時ようやく、教室内、凄まじい音量なのに気づいて、僕は無意識に「はい、静かにしてー」とかなんとか言った記憶があるんですが、その自分の声が聞こえないくらいの音量で教室内の生徒たちが話している。教室内に騒音が満ち満ちている。視覚も嗅覚も聴覚も、全部が狂ってしまう教室に放り込まれたわけです。
極め付けは、一番後ろの方で、どうやら通信対戦でゲームしてるようなんです。サッカーゲームか何か。で、多分その瞬間に点数が入ったんでしょうね、「浮あfgかsdlgか;lkvふぁふぁふぁrわ43たがえhbsdvcxvbhsdhs」みたいな絶叫が後ろの方から聞こえて、その時理解したんです。「あー、俺はどうやら人生最大にやばいところに踏み込んだ」って。
(2)誰も僕の話を聞いてくれない
という状況の学校に入ったので、ご想像つくと思うんですが、その後の授業は本当に大変でした。何せ話を聞いてくれない。本当に聞いてくれない。僕が担当してたのが英語の文法ってこともあって、そんなの本当にみんな興味ないので、そういう時の学校ってリアル動物園みたいな状況になるんですね。高校生の男子なんで、そりゃもうちょっとした野獣さんですよ。そんな状況なもんだから、初日が終わった時点でもう魂までヘトヘト。体力的にはもちろん、メンタル的に。
授業後、隣の先生が「すぐ慣れますよ、ははは!!!」みたいな、いかにもガタイの良さそうな体育会系の先生で、バシっと背中叩かれて、その痛みがじんわりと体に波及する頃には、多分僕のメンタルは相当やられ切ってたと思います。初日で辞めたいって思っていましたから。
でも簡単に辞められるわけないんです。それで次の日から、地獄の日々が始まるわけです。教室に入る前に、体がそこに行くのを拒否するようになる。上で引用したYahoo!ニュースで、新人の先生が学校に行く前に、「理由もなく夜涙が出てくるとか 、朝動悸がするとか」とおっしゃっていますが、気持ちめちゃくちゃわかるんです。心が全力で拒否しているのに、その場にいかなくてはいけない。その矛盾が、体にダイレクトに表出する。
でも行かざるを得ないので、無理矢理教室に入る。中に入るとメンタルが全力で状況をねじ伏せようと奮闘する。その結果、原始的な副交感神経が全開になるわけです。つまり身体が「戦闘モード」に入る。
心拍数が異常にあがって、滝のように汗が流れる。20代のヘロヘロの長髪癖毛の若い教員が、エネルギー持て余す男子高校生相手にこんな状況だと、舐められるに決まってます。なので話誰も聞いてくれない。聞いてくれなくても授業やらなきゃいけないので、絶叫のような大声で授業せざるを得ない。そうするとさらに教室内がうるさくなる。もっと声が大きくなる。どれだけ大きくなったかというと、授業が終わって教室を出ると、ロックのライブを最前列で聴いたときに耳がキーンとなるのと同じような耳鳴りが毎回するんです。ずっとつまりシャウトしてるんですよね。そんな状況だから、毎日喉から血が出る状況で、ついには喉が壊れて一度全く声が出なくなりました。永遠に声が出なけりゃいいのにと当時は思ってました。そしたら行かなくて済む。
こうして、副交感神経のもたらすアドレナリンメンタルデフレスパイラルみたいな状況がずっと続くわけで、一つの授業が終わって教室出る頃には、全身が滝でも浴びて来たのか?ってくらいの水浸しになる。もはや仕事とか授業とかではなく、修行とか苦行と言いたいほどの状況でした。それを1日に3回とか4回やる。そうやって毎日を過ごしてると、授業してない時でもずっと心拍が高くて汗が出続ける状況になりました。ドラゴンボール的に言うと、通常から超サイヤ人状態。でも僕、悟空やベジータと違って戦闘民族じゃないので、どだい無理な話だったんです。
結局、その年、夏までで僕7キロ痩せました。当時は今のようにふっくらした体型ではなく、割とスマートだったのですが、3ヶ月で60kg切るくらいまでやせた。身長177センチで60キロ切るってのは、尋常じゃないレベルです。風呂入ってベッドに入る頃に、ようやく心拍が収まってくる。そして収まると同時に、一気に疲れが噴出して、電気が切れるように意識が暗転する。でも満足に眠れず、何度も「はっ!?」と夜中に目が覚める。心臓がバクバクいってるんですね。
そんな毎日を過ごしてました。
でもこの状態を当時は異常だとはあんまり思ってなくて、でも今から振り返ると明らかに異常。あの時の自分に伝えたい、「それは異常事態です」って。そして「すぐ誰かに相談して!」って全力で言います。学内で無理なら、学外の何処かに。でも当時は「これが普通なんだなあ」って思って仕事していました。正常性バイアスに縋って、なんとか正気を保ってたんだろうなあと、今ならそう思います。
(3)ある日突然
そんな状況でもとにかく授業を続けていくうちに、ある日事件が起きました。
その頃には、実はちょっとだけ、ほんの数人だけ、僕の授業を聞いてくれる生徒が出てくるようになってたんです。最初は野獣に見えた騒々しい男子高校生も、全員がそうではなく、何人かはちゃんと英語に興味持ってくれてることがわかるようになります。中には将来はアメリカに行きたいなんて子もいる。で、僕はというと、割とロックやヒップホップが好きなんで、そういう話を授業中にちょっと脱線で入れたりしてるうちに、何人かの子たちが興味を持ってくれて、前の方に来て授業聞いてくれるようになり始めてたんです。状況が劇的に改善したってわけでもないけど、多少、なんていうか、心の拠り所みたいな状況ができた。そういう子がいないクラスもあって、そっちはまだまだ大変だったけど、一日に一クラスでもそういう「救い」があると、教員てのは何とかやっていけるもんなんですよね。
で、そういう子たち相手に授業してたある日、なんかすごい声が背後でしたんです。僕はちょうどその時になんか英文を黒板に書いてて、「また対戦ゲームでシュートでも決まったんかなー」とか思いながら書いてたら、教室中が「わっ」と緊迫した声で満ち溢れた瞬間でした。
僕の顔の横に、石が飛んできた。サイズで言えば、ちょっと小さい野球ボールくらいの。それがすごい勢いて黒板に飛んできて、ボコッと穴が開きました。顔の横、20センチくらいのところです。頭に直撃してたら、僕は今頃これ書いてませんね。
で、流石にこれ怖くなって授業止めて教員室に行ったんです。行ったっていうか、慌てて逃げ出しました。本当に怖かったから。情けないですが、涙も出てた気がします。
ことの顛末はシンプルで、その子どうやら誰か他の生徒とトラブルを抱えてて、直前の体育の授業でなんかいざこざがあったらしく、でも解決できなかったようで、その苛立ちを単純に黒板に叩きつけたみたいなんです。僕を狙ったのではありませんでした(という調査結果を後から聞きました)。苛立ってて、石をぶん投げた。ただそれだけ。石は校庭の端っこで拾って教室に持ち帰った物だったことが、後の聞き取りでわかりました。
でも、ことがことで、僕ももしかしたら大怪我してたかもってことで、割と学内的には大ごとになって、でも外部には出したくないってことで、ここはまあまあひとつ穏便に、みたいな流れで、僕も一年目の教師で何をすればいいかわからなかったし、当時はまだSNSどころかスマホもなければブログもない、Web1.0時代です。有耶無耶になって全てが終わりました。
その生徒はその後学校に来なくなったんですが、詳しい結末はついに聞かされないままに終わりました。転校したのか、退学したのか、そこは分からないままでしたし、聞くこともできませんでした。
(4)恐怖
事件自体はそういうわけで闇に葬られて、僕は怪我とかそういうのはしなかったんだけど、背後から石が飛んでくるという経験は、初日に感じた恐怖や絶望を再度強烈に思い出させるのに十分でした。
折角ちょっとだけいい感じで聞いてくれてた子たちも、そんな事件があって以降は、何か鼻白んでしまったみたいで、前のようには聞いてくれなくなりました。何より僕自身が、「またもしかしたら何か飛んでくるかもしれない、次は頭に直撃して死んじゃうかもしれない」と思っていて、いつもある程度の恐怖と緊張を感じて授業してたので、さらにメンタル瀕死の状況でした。
ちょっと落ち着いてた滝汗と心拍数もまたやばい状況になって、冬に入っても毎日ぐっしょり汗かいて帰る毎日。そのころは、家を出る時には体の拒否が激しすぎて、吐いて吐いてというのを繰り返してました。ただ、この頃逆に体重が一気に増えてます。朝に出る時に吐いて吐いて、でも帰ったら今度は食って食って、夜になっても食欲おさまらずに食って食ってで、逆方向に異常な状況になって、体重10キロくらい増えた気がします。
そんなこんなで一年を過ごして、何とか3月までやり切った後、その学校から別の学校に移りました。そこからは今に至るような日々が始まるのですが、僕の最初の教員経験ってのは、こういう一年だったんです。それを生き抜いた経験は、確かに僕をかなり強くはしてくれたんですが、思い返すと本当にギリギリでした。もし一年が終わった段階で次の年も同じ学校で授業となってたとすると、最初に引用したニュースの先生と同じように、学校を辞めていたかもしれません。
教職って、そういう仕事なんです。理不尽なことを全部お腹の中に溜め込んで、それでも、希望と使命感を持って授業に臨んでいる。だからこそ、社会の側の理解と、労働環境の改善を今すぐにでも開始してほしいんですよね。そして僕自身の経験から思うんですが、学校にはそろそろ「外部の介入」があってもいいと思ってます。内部にいると、しんどいことを相談できないような空気ってあるんですよ。ある意味では「白い巨塔」のような閉鎖性が、どの学校にもあるので。
「教育は国家百年の計」と言います。それは本当だと思っています。だからこそ僕は、教育の現場の端っこの端っこの方に止まっているわけです、それくらいやる意味のある大事な仕事だから。でもこのままだと、「国家百年の計」も危うくなる瀬戸際が今だろうなと。積極的に世論が「教育」を変えていく力を作り出してくれることを祈りつつ、昔話を終えます。
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