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意見形成するコミュニティに入ることーラグジュアリー再考

次のような台詞をよく聞きます。

「今まで、欧州や米国の文化をさんざん取り入れて一生懸命に咀嚼しようとしてきたけど、もういいんじゃない?これからは、日本からもっと発信していこうよ」

この姿勢を積極的に支持したいです。ただ、実際のところ往々にして、以下のような残念な言葉が続きます。

「西洋の連中にはよく分かっていないことが多いんだよ。だから、俺たちの優秀さを理解させていかないといけない」

この言葉には疑問符がつきます。どこにあるのでしょう。優秀か優秀じゃない、との相対性のレベルは無視します。問題はそこじゃないです。

2020年の現在、どこに力点をおくべきかといえば、国境を超えて影響する事柄に対する意見形成に貢献することです。当然ながら、相手に自分たちの考えを体系的に理解してもらうのは結構なことだし、可能ならば努めてやるべきことです。だが、彼らが知りたい、理解したいと思う動機がないならば、それは単なる押し売りです。

また、特にビジネスの場での優先順位という観点からしても少々違ってきます。皆が頼りとする新しいコンセプトづくりに尽力するのがトップ事項でしょう。しかも、それは結果的に自分たちの考え方の背景を含めて伝えることになり、時に、その方がより効果的だったりします。

上記はスイスが企業倫理規制で世界の先端をいくか(いくと大企業への影響が大きい)、いかないか(いかないとスイスが世界から特殊にみられる事態を回避できない)、これを論議している記事です。どのような結果に落ち着くか分かりません。メインは国内論議ですが、いずれにせよ、こうした議論をするコミュニティのなかにいると、次の時代の考え方の見通しがたちます。

今、日本の人たちも意見を形成する国際的な場に参加すると良いとぼくが考えているテーマがあります。「ラグジュアリー再考」です。なぜなら、事業当事者や研究者もラグジュアリーの新しい意味を見極められていないのが、はっきりとしているからです(上の写真は1995年頃から20数年のラグジュアリー最終消費財市場の動向です。2015年あたりからNew Normalという表示になっています。ここが探索期間を意味します。半分、みえませんが。すみません!)。このテーマ、本COMEMOでも何回か書いていますが、しつこく追っていきます。

日本でのラグジュアリー認知は?

6月6日の土曜日、日本時刻の夕方3時間(つまりはミラノでは、ぼくの朝の起き抜けに近い時間帯)ほど、「ラグジュアリー再考」のテーマで小さなオンライン勉強会を開催しました。服飾史研究家の中野香織さんとの主催です。10人少々参加いただいた方は、日本の実業家やコンサルタント、メディア関係者、経営学者、アートコレクターなどです。こういうテーマが国際的意見形成に貢献できるネタとしてあるけれど、どういうアングルから考え始めると良いのか?と皆さんに問うたわけです。

まず、中野さんに日本におけるラグジュアリーの研究と認知の現状について話してもらいました。彼女はファッションにおけるラグジュアリーを語る第一人者で、フランスのコングロマリットであるケリングの会長・ピノー氏にもインタビューしています。彼女によれば、欧州で現在語られていることと比べると、日本の論議は数年の遅れをとっているとの印象をもっているようです。一部、アカデミックな研究成果もありますが、それはほぼ閉じた空間のなかにあると、第三者からは見られていると観察され、「ラグジュアリーとは何かは?」の定義は、多く、いわゆるオピニオンリーダーの「詩的表現」(ラグジュアリーは、ある瞬間に寄り添ってくる感覚である、とか)に頼っていると言って良さそうです。

中野さんがいろいろと例を出してくれたのは、高級ブランドとファクトリーブランドの違いです。まったく同じ工場で生産されながら、値段が高級ブランドの方が2-3倍は違う現実があります。それを単に「宣伝費の占める割合が違うんじゃないの?」「名前が違うとしか言いようがない」と一見冷めた目でみるのではなく、もっと突っ込んでみる価値があります。

中野さんは、以下のような方向を探るべきではなないか、とお考えのようです。

ラグジュアリーな「人」が受容され、そのような「人」が生むラグジュアリーの価値が尊重され、多くの人が「生きる意味」を実感できるエコシステム

ラグジュアリー領域とは何か?

その次にぼくが話しました。今世紀に入って「ラグジュアリー領域」と呼ばれるビジネスは、フランスの2つのコングロマリット(LVMHとケリング)と、ベイン&カンパニーのミラノオフィスとアルタガンマ(イタリアの高級ブランド企業の集まる団体)が、そのような領域に潜在性を見いだし、「ラグジュアリーというビジネスをつくった」結果(世界で140兆円程度。そのうち最終消費財がおよそ30兆円)が、今のラグジュアリーの言説を良くも悪くも左右させているところがあります。

一方で、ラグジュアリー品の購入者の世代が変わりつつあります。若い世代が増え、その彼らがラグジュアリー企業に社会的責任をより期待し(ベイン&カンパニーのデータによれば60%)、社会的責任を果たしている企業を好む(同様に80%)傾向があります(前述の記事にあるように、スイスで企業倫理規制を強化すべきと論議されるのも、こうした動向と無縁ではないはずです)。あるいはオンラインで購入する比率も増えています。だが、同時にだからこそリアルな店舗での経験を重視したいという人も目立ってきています。また現在、中国人の顧客が3割ほどいて5年後には4割に達するだろうと見られています。

というわけで、ラグジュアリーの新しい意味(方向)が問われない方がおかしいです。だいたい、ラグジュアリー本来のスピリットを失っている(自称)ラグジュアリーに、若い人も含め、どこまで付き合うのか?という問題もあります。

ウィリアム・モリスは注目されている

ぼく自身、この1年以上、ラグジュアリーの新しい意味を探してきて、ひとつ見えてきたのは、19世紀後半の英国にあったアーツ・アンド・クラフツ運動をモデルとしてみることです。思想家であったジョン・ラスキンの考えに共鳴したウィリアム・モリスが、産業革命下において低品質の大量生産品にNOと唱えたのが、この運動です。

中世の世界にあった職人の尊重、自然環境に目を向けるエコロジー、美を優先する志向といったことをベースに、モリスはステンドグラスやテキスタイルあるいは家具といった製品に「自分の思想を徹底して込めていきます」。結果、何がおこったか? 彼の製品は富裕層に大人気のラグジュアリー商品に「なってしまいます」。モリスにとっては大変、不本意ながら、です。

現在も一部にファンがいますが、大方、近代デザイン史のなかでは、20世紀はじめにドイツに誕生した建築とデザインの学校、バウハウスの源流をつくった功績が称えられる存在です。反産業革命なんて世捨て人みたいな振る舞いでビジネス的にも長続きしなかった。それに比べて大量生産品の品質を向上させるデザインを確立したバウハウスは1世紀にわたり、圧倒的な支持を得てきました。

そうやってアーツ・アンド・クラフツは資本主義発展史やデザイン史のなかの「あだ花」に過ぎない扱いをされてきたわけですが、一旦、ラグジュアリー史の眺望のなかにアーツ・アンド・クラフツを置き直してみると、すこぶる正統性ある存在になります。バウハウスに至る(あるいは至った)時代、モノの表現は抽象性を帯び、ミニマリズム的になり、機械で生産しやすいかたちがモダンであるとされました。しかしながら、この新しいラグジュアリー史からすると、抽象的なミニマリズムがダサくさえなります

・・・ということをぼくが話した後、みなさんの意見を聞いて驚いたのは、少なからぬ人が、自分のビジネスの視野のなかにモリスの姿を「そうとうに気になる存在」としておいていることでした

欧州オピニオンリーダーの考えている方向

ぼくは、みなさんのモリスに対する反応をみて、「これはイケる!」と思いました。というのも、ラグジュアリーの意見形成の場にいる欧州のオピニオンリーダーたちに、ぼくは尋ねてきたのです。

「ラグジュアリーの新しい方向として、モリスがより参照されるのではないでしょうか?」と。

そうすると「そうだね。確かにそれは言えるかもしれない。特に彼が職人を社会のインクルーシブな存在に考えていたところなど、これからのラグジュアリーを考えるにあたってポイントになる」という類のコメントを何人かからもらったのです。

そして、「例えば、21世紀のアーツ・アンド・クラフツのイタリア版を想定してみると、ファッションブランドのブルネッロ・クチネッリなんかが入ってきませんか?」と質問を続けると、およそ同意するコメントが返ってきました。職人仕事への敬意、地域の環境や従業員への配慮に評価があり、結果としてラグジュアリー企業とみなされています。

即ち、国境を超えてかなり同じ方向を見ている人がいる、ということです。見ている先のアングルがあまりに違い過ぎると、意見形成の場への参加も難儀するかもしれません。しかし、お互いに近いことが確認されたわけです。ということは、ラグジュアリーの新しい意味を探る論議しやすい土壌とタイミングにある、といえます。これから、この路線を前進するために色々と準備をしていこうと考えています。

最後に・・・

誤解しないでいただきたい点は、いわゆる社会意識を前面に出すことを条件にラグジュアリーとみなされる、という話をしているのではありません。ラスキンがそうであり、モリスがそうであったように、「美」は常に企業や製品の質を決定する要素だとの認識が前提にあります。

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