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自責で考えるとむしろ楽になる

「健全な人は、相手を変えようとせず自分が変わる。不健全な人は、相手を操作し、変えようとする。」

「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」小倉広|ダイアモンド社

あらゆる問題は自分が引き起こしている、と「試しに」考えてみる

「さっきから部下の課題ばかり議論しているけど、一度自分たちの課題も議論してみたらどうかな?」。メンターからかけてもらったこの短い言葉は、リーダーシップの本を何十冊読むより学びになり、その後ビジネスのいろいろな局面で私を救ってくれました。まさに私の人生を変えてくれた一言です。

その時私たちは、新設組織の運営についてアドバイスをもらうため、幹部数名でそのメンターのオフィスを訪れていました。メンターの名前を仮にAさんとしましょう。雑談もほどほどに相談を切り出すと、Aさんからはこんな提案がありました。まずはみんなで、今の組織運営の課題を議論してみてはどうか、と。

言われるがままに、私たちは議論をはじめました。Aさんは少し離れた場所で議論の様子を見守っています。何もしゃべらないのですが、パソコンで内職していたり、携帯をいじったりはしていません。ただじっくりと私たちの話を聞いているのです。私たちはそんなAさんの視線を感じながら議論を続けます。

議論のポイントは、いかにして部下たちにプロ意識をもってもらうか、ということでした。中には始めからプロ意識の高いメンバーもいますが、そうでない人もいるのが組織の常です。業務をマニュアル化したり細かく指図をしたりすれば、そういう人たちからも安定したパフォーマンスが引き出せるかもしれません。しかし、それでは何かが違う気がします。

全員がプロ意識を持ち、いちいち指図をしなくても、自分から高い基準を掲げて動いてくれる。そんな困難なことに挑戦するのが組織マネージメントというものではないか。私たちはそう考え、どうしたらその状態に近づけるのかを話し合いました。次第に緊張も解け、議論はだんだんと熱を帯びてきます。

あらゆる分野のプロを招いた講演会を月イチで開催する。すでに高いプロ意識を持つ人を、抜擢人事で重要なポジションに取り立てて、その理由を組織全体に説明する。そうして出てきたアイデアを、「人をつくる」「ルールをつくる」「文化をつくる」などと分類して、ホワイトボードにまとめていきました。

良い議論になってきたな。そう感じていました。Aさんも感心して聞いてくれているのではないか。そう思ってふと見やると、私と目があったAさんは、そこでようやく沈黙を破りました。そして、先ほどの言葉を投げかけてくれたのです。「さっきから部下の課題ばかり議論しているけど、一度自分たちの課題も議論してみたらどうかな?」

Aさんは続けます。「あらゆる組織の問題は、君たち幹部が引き起こしている、と一度考えてみては? 君たちがどう考え、何を語り、どういう行動をするか。それによって、今議論している問題が起こっているのだとしたら? 問題は、まずは自分たちがどう変わるか、じゃないかな」。

あー、という声なき声が、全員の頭の中から聞こえてきました。ただ、私たちは打ちのめされた気分になりつつも、不思議な高揚感・浮遊感に包まれていました。まずは自責で考えてみなさい。そんなAさんのメッセージは、むしろ私たちの心を一気に軽くしてくれたのです。

自責思考とは「円の中心になる思考」

自責は「自分を責める」と書きますが、これが何かと誤解を生んでいます。辛いこと。ストイックなこと。意識が高い人のすること。「自責思考」にはそんなイメージがあるかもしれません。しかし、実際のところはその逆です。自責思考は自分自身に優しい考え方なのです。リーダーの心を楽にしてくれるのです。

なぜか。それは、自分が回転の中心になるからです。ハンマー投げで言えば、ぐるぐる回されるハンマーではなく、ハンマーを回す選手の立場になれるのです。回転していることにはかわりませんが、円の中心にいるのと、まわりの孤になるのとでは全然違います。中心になったほうが圧倒的に目が回りません。その意味で、自責思考は、「円の中心になる思考」とも言い換えられます。他責思考は「円の孤になる思考」です。

「自分ではどうしようもないこと」に気をとられてしまう人は、心のバランスを崩しやすいと感じます。例えば、新型コロナウィルスの感染拡大が続いている時期に、このままだと社会や自分はどうなってしまうのだろう、と不安に駆られてしまうなどです。新型コロナの感染拡大は、自分にはどうすることもできません。すると、その不安は終わりが見えないものになってしまうのです。

アメリカに「アルコールホーリクス・アノニマス(A.A.)」という、アルコール依存症の人たちの互助会があります。「セレニティー・プレイヤー」というお祈りは、1941年の設立時から、A.A.公式のお祈りとしてメンバーに愛されてきました。このお祈りは、アメリカ人神学者のラインホルド・ニーバーが考えたとされます。今ではそのオリジナルより、詠み人知らずとして3行に短縮されたバージョンがより一般的ですので、そちらを紹介します。

God grant me the serenity to accept the things I cannot change;
Courage to change the things I can;
And the wisdome to know the difference
 
「自分では変えられないもの」を受け入れる静かな心
「変えることができるもの」を変えようとする奮い立つ心
そして、それらを見分ける賢さを、私に与えてください

真面目で誠実な人ほど、ここでいう「自分では変えられないもの」と「変えることができるもの」を区別せず、すべて自分で解決しようとしてしまいがちです。その結果、社会不安や他人の不幸さえも真っ向から受け止めようとし、どうにもならない現実に圧倒されてしまうのです。だから「変えることができるもの」に集中しようよ。心を奮い立たせ、向かっていく相手は、それだけでいいんだよ。それがこの「セレニティー・プレイヤー」の教えるところです。

Aさんが説いてくれた「自責思考」も、これととてもよく似ています。部下がプロ意識を持ってくれないと(自分では)思うとき、部下たちの意識を変えようとするのはそもそも「無理ゲー」かもしれません。自分の家族が相手だって、凝り固まった考えを変えてもらうのは大変です。それがなぜ赤の他人を相手にできると思うのでしょうか。他人の心や意識など、「自分では変えられないもの」と考えるほうが賢明です。

それに対して、自分がどう考え、何を語り、どういう行動をするかは「変えることができるもの」です。部下がプロ意識を持っていないのは、そもそも自分が部下をプロとして尊重していないから、かもしれません。だとしたら、まずするべきことはそんな考えを改めることです。部下と対話し、どんなスキルと仕事へのこだわりを持っているのかを理解する、ということが、例えば組織を変える一つのアクションになります。

Aさんの前でホワイトボードに書きつらねた施策と、今ここで考えてみた自責思考のアプローチ。どちらがより実際に組織を変えてくれそうでしょうか。「自分では変えられないもの」を変えようとして空回りするより、「変えることができるもの」に集中して確実に駒を進める。少なくともそちらのほうが、精神衛生上良いのは間違いありません。

自責思考の練習場はごく身近にある

本当は疑っているわけではないのだけど、真実を見つけるための方法として「試しに」疑ってみるという思考法を、「方法的懐疑(メソディカル・ダウト)」と言います。自責思考で自分に責任がある、と考えるのも、この「方法的懐疑」です。実際には、相手にも直すべきところはあるのだと思います。だけど、楽になるため、結果をだすための方法として、試しに自分に責任があると考えてみるのです。

「方法的懐疑(メソディカル・ダウト)」は、「『疑う』というメソッド」とも言いかえられます。それになぞらえると、自責思考は「自分に責任があると考えるメソッド」ということになります。それは一つの「メソッド」であって、かくあるべし、という道徳や正義ではありません。自責思考といっても、道徳や正義として自分を責める必要はないのです。それは根性論ではなく方法論です。身につけ、磨いていくべきテクニックなのです。

メソッドとしての自責思考は、そう意識して自分の心を守りながら日々試してみることで、鍛えることができます。例えば、部下が何度言っても提出物の締め切りを守らないとします。どうしたらこの人は締切を守るようになるんだ! これは典型的な他責思考です。自責思考では「試しに」こう考えてみます。この人が期日を守らないのは、自分の考え方や言葉、行動に問題があるのではないか。

すると、「締め切りが曖昧だった」「一度口頭で言っただけでしっかりと伝わっていないかった」「締め切りが頭に入らないくらい気を動転させてしまっていた」などと、改善の余地がある自分の言動がいくつか浮かび上がってくるはずです。そこから、相手ではなく自分自身のアクションを選び取り、行動に移すのです。次回からは口頭に加えてメールで、何月何日の何時まで、とはっきりと期日を伝える、その上で難しければ調整しますとフォローする、などです。

自責に基づくアクションは、相手にとって優しいものでは必ずしもありません。自分を責めることはあくまでも方法で、目的は組織を正しい方向に導くことだからです。メンバーが期日を守らないのは、どう考えても組織にとっていいことではなく、正されなくてはいけません。それを、いくら自責といっても、相手に何もしてもらわずに達成することは不可能なのです。

自責思考=「自分に責任があると考えるメソッド」を練習し、身につけ、磨いていく機会は、このように毎日そこら中にあふれています。決して簡単なものではないですが、練習場がごく間近にあるという意味では、身につけやすいテクニックなのではないでしょうか。

おわり

<お願い>

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マーケターのように生きろ: 「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動

#COMEMO
#NIKKEI

<参考資料>
能力より考え方の違いが差に


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