示唆に富む、感染防止施策の人々の受け止め方と反応
東京をはじめとする1都3県では再び緊急事態宣言が出された。日本国内での新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大が始まってからそろそろ1年が経とうとし、その間に沢山の感染の原因分析やどのように対処すればよいかという情報はニュースなどを通じて様々に情報提供がされてきている。しかし、その情報が十分に人々に伝わっているのか、伝わっているとして正しく伝わっているのかというと、必ずしもそうとはいえなさそうであることが、この年末年始の感染拡大の状況及びそれに関する報道を見ていても感じている。
個々の情報の正確性や、人々の行動の正しさやその是非といったことの判断を抜きにして、この社会状況を観察していると、自分たちが発する情報、ビジネスでいえば提供する商品やサービスに関する情報が、どのように受け入れられ、あるいは受け入れられないのか、ということを考える上で、非常に大きな示唆があるということに気がついた。
例えば、マスクの効用の有無とマスクの種類についての話題がある。当初は WHOがマスクによる感染予防効果に対して懐疑的な見解であるなど、公的機関の見解もばらつきがあったが、今では「ユニバーサルマスク」などと呼ばれ、誰もがマスクをすることが感染拡大の防止につながるということが、ある種の統一見解になっているのだと思う。(繰り返すが、ここではその見解の正しさについて検討したりコメントしたりするつもりはない。)
一方で、マスクをすることの意義について、いまも懐疑的な意見を持っている人もいる。また、マスクの種類については、布マスクやウレタンマスクなど、不織布を使ったマスクの不足状況に応じて代用品が沢山作られることになったが、不織布マスクの需給がある程度落ち着いた後も、ファッション性や不織布による肌荒れなどの観点から、他のマスクについても引き続き使われている。
一般的に入手できる各種マスクの中で、不織布マスクが一番感染防止効果が高いというデータや見解が出されているが、人々がそれにどのように反応しているかはまちまちだ。街を歩けば、今は不織布のマスクとそれ以外の素材のマスクをしている人が半々ぐらいといった印象を受ける。改めて申し上げるが、その選択の是非についてここで判断したいのではない。不織布以外のマスクは不織布のマスクよりも感染拡大防止効果が落ちるという情報がどの程度伝わっているのか、またその情報が伝わっているとしてそれをどのように受け止めて行動しているか、ということの表れとして、半数程度の人が不織布マスクをしていない様子は非常に興味深い。
中には、いわゆるフェイスシールドやマウスガードをすればマスクをする必要がないと考えている人もいるようであり、政治家や有名人などがテレビに出る際にこうしたものを着用することによって、それを見た人にマスクをしなくてもフェイスシールドやマウスシールドをすれば十分なのだというメッセージを発することになっている面もあるように思う。こうした点も含め、マスクの事を一つをとってもどのような情報が伝えられそれに対して受け手がどのように反応して行動につなげているかは、意識調査などをして深堀りしてみたいテーマだ。
もう一つ例をあげると、会食の制限についても様々な情報が出され、その受けとめ方も非常に幅があるように感じる。
今回の緊急事態宣言では、飲食店に対して夜8時以降の営業を自粛するよう要請されている。これをうけて、夜8時前の会食であれば感染の可能性が少ないと受け止めている人もいるようだ。また、国会議員の会食を4人までにといった発言が流れたことで、4人以下の会食であれば感染の拡大が防げると理解をする人たちもいそうだ。
報道・公表されている専門家などの見解を総合すれば、本質的には食事そのものに問題があるのではなく、会食で、飲食店だけでなく場所が自宅であっても、屋内で複数の(同居家族以外の)人がいわゆる密な状況で集まり、食事にともなう会話をすることによって飛沫感染する可能性が大きいために、会食について制限をしようということなのだと私は理解している。
しかし、夜8時までなら、4人以下なら、また自宅での会食なら大丈夫、と、情報の断片を受け取って判断している人たちも、Twitterなどを見ていると少なくないように感じられる。
こうした、個人レベルで情報の摂取と判断がばらついていることに加え、昨今感じるのは、公的機関の対応も、こうしたばらつきが出ていることである。
例えば岐阜県下呂市では、感染予防対策として新成人に対しPCR検査をするので成人式は実際に1つの場所に人々が集まって実施するというアナウンスを出し、一部の報道でそれが大きく取り上げられたりした。
PCR 検査については、十分な検査についての理解が進んでいるとは個人的には感じられないのだが、自治体として希望する一般住民に対し PCR 検査を実施するという自治体もある。
繰り返すが、こうした施策の是非について判断をしようということではない。これまで専門家や国などが様々な形で情報を提供していることに対して、こうした自治体の動きが十分にその意図を汲み取った動きであるかというと、必ずしもそうではないという点、それがなぜなのか、という点が興味深い。
いずれにしても、誰かが何かを伝えようとする時に、それが伝える側が伝えたい内容の通りに相手が受け取ってくれるかという、いわゆるパーセプションの問題は非常に難しい。このことは、広告やマーケティングに携わる人であれば一度ならずとも感じたことがあると思うが、それが今回は新型コロナウイルスに対する感染対策に関して、いわば全国・全国民のレベルで、言ってみれば壮大な社会実験が進行中であり、その難しさが露呈している状況と見ることができる。
多くの人が感染を免れ、健康でいられるようにと願うばかりなのだが、商品やサービスを売る立場の人からすると、これを、自分たちの商品やサービスを売る時にどのように伝え、それが相手にどのように受け取られ、商品やサービスが使われたり使われなかったりするのか、に引き寄せて理解すると、非常に示唆に富むものである、と、ここしばらくで感じ始めている。
これまで、日本は単一民族であるとか、同質性が高い社会であるなどといわれることが多かったが、そういう説を前提としても、これだけ大きな受け取り方とそれに基づく行動の差が、同じ「日本人」の中で生まれていることは大変興味深い。これが、文化の違う人々が入り混じって暮らす国であればなおさら難しい状況であろう、ということも改めて痛感する。
ともあれ、人々がどんな情報をどのように受取り、あるいは受け取らず、それによってどう行動するのか、きちんと見ておくことが重要だと感じている。