学びを阻害する「減点中毒」に気をつけよう!
お疲れ様です。メタバースクリエイターズ若宮です。
今日は「減点中毒」に気をつけよう!というお話を書きます。
時々出没する減点レビューをつける人
僕は時々、アート思考や新規事業、ダイバーシティに関することで、企業や自治体さんからセミナーやワークショップ、研修を依頼されることがあります。
そんな時の研修後のアンケートで、ごくたまに非常に低い点数をつける人がいます。で、こういう人を観察してみて、「減点中毒」ともいえる症状に陥っているケースがあるなあ、という気がしています。
基本的に僕は「批判」というものを改善につながるプラスなものと捉えているので、実際にその研修が学びにならなかったのならしかるべく厳しい評価をつけてよいと思っています。
ただ、多くの受講生が良い評価をしている(その人以外の平均が4.8〜4.9)の中でも、一人だけ2とか1とか低い点数をつけてる人がたまにいて、これはちょっとどうだろう?と思うことがあります。いや、もちろんその人にだけ全く刺さらなかった、ということもありうるのですが… なんとなくそれとは違う感じがするんですよね…
研修だけでなく、たとえばAmazonの書籍レビューや食べログなどでも同様で、わざわざ星一つをつけたり辛口コメントを書く人がいますよね。そういう人のレビューを見ていくと、他でも同じように悪い評価ばかりつけていたりする。
また、そういう方に限って改善につながるコメントや意見も大して書かれていなかったりするんですよね…。期待した学びが得られなくてがっかりしすぎてもはやなにも書けねえよ…ということかもしれないのですが、悪い評価をつけるならちゃんと理由を書いてもらえたらうれしいです。
そもそもこうした研修ってわざわざ会社が費用を出して学びの機会をつくっていて、参加者の仕事の時間でお給料をもらいながら参加しているわけです。なので不満点があったらしっかり伝えるのも仕事だとおもうんですよね。それがあれば改善をしていけるので、低評価であっても改善につながる意義がある。
そういう改善へ向けた意識はなく、ただ悪い評価だけつける。なんなら研修の募集に毎回自ら手を上げて参加する割に毎回低評価をつけるような人もいたりして(なら仕事しよ?)、こういう参加者が出てきたら人材部門の方々は気をつけた方がいい気がしてます。
「減点中毒」な人の行動
良いことばかり言うのではなく、改善点があれば指摘し、本音で評価するのは大事です。
しかし、そうした改善につながるフィードバックなく、真摯な評価ではなく最初から「斜に構えて」とりあえず悪い評価をつける、そういう人が一定いて、彼らは本当には学ぶ気がないのかもしれません。
企業内の研修だけでなく、オープンな無料講座などでも同様の事象が観測できます。自治体の起業家向け講座を頼まれたりすると、無料講座にはなぜか上から評価・評論する人が出現するのです。(経験上は年嵩の男性にそうした傾向が多い気がするので「減点おじさん」と名付けようかと思ったのですが、ちょっと主語が大きいので踏みとどまります)
無料講座は自分が費用を払っているわけではないですが、税金が当てられていたり本当は「無料」ではない機会です。いわば人のお金を使って学ぶために参加しているはずなのに、ダメ出ししかしない。講師に対してだけでなく、なんなら他の参加者にダメ出しし始めたりします。いや、、、自分で学ぶつもりがないなら参加しなくていいんですよ…
観察してみるといくつか段階があるようで、
1)まず、「自分は分かっている」という慢心から入ります。研修から何かを吸収しよう、というのではなく、聞きながらつねに「評価者」みたいな目線になってしまっている。
2)次に、他者に対する「粗探し」をし始める。内容に対しすべて斜に構えて、学ぶべきポイントより間違っているところばかり探し始めます。
3)そして他者に悪い評価を付けると快感を感じるようになる。こうなるともはや「中毒」的な状態に陥ってしまいます。
Amazonなどのレビューでも悪い評価ばかりしている人は、他者をこき下ろして優越感を感じたり、相手に嫌な思いをさせて「言ってやった」と悦に入るような行動原理で、けっして正当な評価やフィードバックをしたいというわけではないですよね。
「減点中毒」は、自分自身も組織の学びも阻害する
こういった「減点」行動はなによりも本人にとって悪影響があるのですが、かつ「中毒」になるともう自分では制御できなくなってしまうので本当に気をつけた方がよいと思います。(そうした危険性を皆で理解し、気をつけたいので、「中毒」という強い表現を使っています)
同じような感じの症状に、「正義中毒」というのがあります。特にSNSでは、「自分は正しい」というのを盾にして他者の失言をあげつらい、安全地帯から他者を批判する快感に浸ることを繰り返すうちにやめることが出来なくなってしまいます。
「正義中毒」も「減点中毒」も、他の中毒と一緒で短期的な快感を優先し中長期的には自らを害してしまいます。
学びの場に参加しても、「あら探し」やその優越感が目的化してしまい、学ぶことができなくなるのです。
「無知の知」ではないですが、学びというのは基本的に「自分がわかっていないこと、自分に不足していること」を吸収する謙虚さがないと出来ません。かくいう僕自身も中高生の頃には学校の授業を無意味だと馬鹿にしていたり、「自分は仕事ができる」と勘違いしていた会社員時代には同様の態度を取ってしまっていたことがあります。でもそこに学ぼうという意識で向かうかどうかで、学びの穫れ高は変わっていたかもしれません。
本人の学びを阻害するリスクだけでなく、「減点中毒」は組織にとっても悪影響があります。組織内に「減点中毒」に陥っている人がいると、チャレンジが進みにくくなります。会議でも、提案や仮説に耳を傾けるよりも「減点」主義が先行し、リスクや問題点(これがまた重箱の隅をつつくような…)を指摘する発言ばかりが増え…。徐々に組織は新しいチャレンジをしなくなります。
学びというのは「知らないこと」「やったことがないこと」からこそ得られます。本質的に未知のことへのチャレンジが必要なのです。「減点中毒」はそうした未知の挑戦への扉を塞ぎ、既知の中に閉じこもります。すると学びのループが回っていきません。こうして「減点中毒」は、個人だけでなく組織の学びをも阻害します。
これからの時代、「アンラーニング」や「リスキリング」が重要と言われますが、自分の知識や経験に過信せず、常に新たに学ぶ姿勢が求められます。
批判も大事ですが、「減点」ばかりになっていたら注意が必要です。親やマネージャーなど自分の経験の方が上と思いがちな立場になったときこそ、ますますその罠にはまらないように気をつけた方がよいかもしれません。
相手のためというよりも自分自身のためにこそ、「減点中毒」に陥らないように注意したいものです。