他人の生き方に学ぶことは多いー気候変動の活動に関わる平田仁子さん
東京でサラリーマンをやっていた頃、人へのアプローチをがらりと変えたことがあります。今も、ぼくの大切な行動指針の一つになっています。
ある人のアドバイスに納得がいったのです。それは次のようなものでした。
アウトプットから、それを直接つくった人にアプローチする。他人が評価するアウトプットだから、多くの人の評判が良いアウトプットだから、という他人任せではなく、自分自身がアウトプットを心底気に入る。そのうえで、それを企画した人、クリエイトした人にアプローチするわけです。ぼんやりとした組織などにはなから紹介や仲介をあてにしない。
だから、その人の周辺を探ることにも時間をかけない。その人に近そうな別の人を探しだし、「自分がコンタクトしたら、どういう反応が返ってきますかね?」などと回りくどい道をとらない、ということです。
ソーシャルメディアが発達した現在、直接コンタクトをとる方法がやりやすくなっています。それでも結構、めんどうなことをやり続けている人が多い。
多分、癖のようなものでしょう。または、自分自身が気に入った理由を確信をもって語れないのかもしれません。逆にいえば、弱い動機で新しい動きは生まれるはずがないのです。
環境政策を提言する一般社団法人クライメート・インテグレート代表理事の平田仁子さんの生き方を以下の記事(連載「人間発見」)で読むと、ご自分の勘や実体験をベースにしながら、その時々に自分の意志で「会うべき人」に直接会っている(ようにみえます)。
今年のはじめ、ぼくが主宰するサステナビリティの文化差をテーマとした勉強会で、平田さんには気候変動に関するコミュニケーションについて話して頂きました。その時、良い歩み方をされているなあと思いましたが、この記事を読み、再び気がついた点をメモしておこうと考えました。
最初の経験をどう発展させていくか。
平田さんは2022年、自らが代表となってクライメート・インテグレートというシンクタンクを立ち上げます。その前は、1997年の京都会議(国連気候変動枠組条約第3回締約国会議、COP3)をきっかけに1998年に生まれた環境NGO「気候ネットワーク」の発足から関与して、およそ20年間、活動を続けます。
中心人物とそのコミュニティのなかで十分に意見形成される以前に「物理的に足を踏み入れる大切さ」を、重々、その前の米国の経験で身に染みていたのでしょう。
平田さんは、90年代前半、横浜で開いた地球環境のシンポジウムを見学し、そこで、環境破壊の現状を初めて知ります。また、アル・ゴアが書いた『地球の掟(おきて)』なども読み、自分の生きる道に環境問題の活動を重ねることに意味を見いだします。
世界各地にあるNGOが重要な動きをしていると知り、米国ワシントンにあるNGOで働くことにします。米環境保護庁(EPA)の職員だったジョン・トッピングさんが作った団体に入ります。
この「やれることは何でもやってみました」に目がとまります。ぼく自身、日本でのサラリーマンをやめ、最初、トリノにある会社で修行させてもらいました。それこそ、「何をやっても良い」とボスに言われていました。だから、文字通り、やりたいことを色々とやりましたが、「やりたいこと」と「やれることは」は異なり、このようなトレーニングの段階では「やれること」で活動範囲の輪郭をつくるのを優先すると良いと後になって思いました。
もちろん、「やれること」だけど「やりたくないこと」はやらない方が良いです。
意見形成の現場をよく見て、馴れる。
「物理的に足を踏み入れる大切さ」を平田さんを身に染みてお分かりになっていただろうと思うと前述しました。そうぼくが想像するのは、以下のエピソードを読んだからです。
テレビを見ていると自分の望む方向と逆の風景がみえます。インターネットが使われ始めていても、メールが中心でネットが世論形成の一端に参加するのはもう少し後だったと思います。その時、メディアで可視化されている風景を変えようと議論しているキーとなる場を、平田さんは自らの足で踏み入れていたーボスに連れて行ってもらっていたのです。時代の潮流へのいわゆる「肌感覚」を身に着けたのではないか、とぼくは想像したのです。
そして、その潮流は「100%政府発」でも「100%NGO発」でもない。なぜなら、たとえ、さまざまなNGOの集まりのなかでの議論であってさえ、政府にいた人がNGOに来て活動している、あるいは元NGOの政府の人が混ざっているので、話される言語が偏っていないのでしょう。「環境ディスコース」が成立しやすいのだと思います。
その力をまざまざと実感したのが、1997年の京都会議のようです。以下が、平田さんの感想です。
上の太字の部分で、その後の20年以上の平田さんの経験の大きさがよく推察できます。いずれにせよ、この契機を得て、平田さんは米国から日本に戻り、気候ネットワークの発足チームの一員となっていきます。
小さなグループの活動だからこそやるべきこと。
気候変動を土俵とするグループは社会の人々、政府、企業とどう付き合うか?が常に問われます。それはどこの国だからスムーズで、どこの国だと苦労するという問題でもないでしょう。程度の差こそあれ、大きな力をもっている組織のなかにいる人、無関心が多数である人々が考えている方向を変えてもらうには、総力戦が必要です。
2011年の東京電力福島第1原子力発電所の事故後、政府と企業は石炭火力の建設を進めようとし、それにストップをかけるように動いたのが平田さんが属するグループです。50基の計画が判明します。その時の動きの例が以下です。
世界にある沢山の小さなグループだからこそ協力しあう。そういう土壌があるのでしょう。活動の結果、50基のうち17基の計画を中止に追い込みました(これが評価され、2021年、環境分野のノーベル賞とされるゴールドマン環境賞を受賞)。
ここで注視するのは、外圧を一方的に使うとの発想ではなく、国外の協力も得ながら、各地方のメディアや地元の人々が独自に動き出した結果だ、という点です。米ハーバード大学の教員が石炭火力から出る硫黄酸化物や窒素酸化物の拡散シミュレーションを提示してくれたことで、それまで計画さえ知らなかった住民たちが意識をがらりと変えたようです。
これを読むと、公害の歴史や都市と地方の社会構造の問題と結びつき、無関心から反対意見へと風向きが大きく変わったと理解できます。ここにきて、ぼくは、一つのことに興味がひかれます。気候変動ネットワークには理事として残りながら、2022年、シンクタンクであるクライメート・インテグレートに自らの行動の基盤を移した動機です。
より国際的な連携と専門的な提言が必要になる。
平田さんは2019年、早稲田大学で社会科学の博士号をとります。ちょうど石炭火力の問題に関わっているタイミングと博士課程在籍期間が重なります。また、2018年からは金融機関への株主提案も視野に入れた検討をはじめます。実際には2020年、みずほフィナンシャルグループの株主総会で「パリ協定の目標に沿った投資を行う経営戦略を策定し年次報告で開示」を求めます。
そして、クライメート・インテグレートの活動の成果として、今年3月、米ローレンス・バークレー国立研究所の協力によって、35年までに電力部門の二酸化炭素(CO2)排出の9割は削減可能とするシナリオを提示します。
かつて、公害反対運動が盛んだった時代があります。この流れの先にあった環境問題への取り組みが、新世紀に入って以降、深刻化する気候変動問題として世界的な関心の広がりをもってきた。それともにより多方面の専門的な論議が必要になってきたとぼくは理解しています。
そのような深まりを平田さんは身をもって感じる現場にいらっしゃるからこそ、一方でESG投資領域へ意見を提示し、他方で国外の科学的な研究機関との連携を進めている。加えて、政策のための研究もされてきた。あらゆる点を立方体として統合するモデルの輪郭を追究しているのが分かります。この記事には紹介されていませんが、日本の各地方の人々との結びつきも強めているようです。
まとめです。冒頭に書いたことに戻ると、「情報収集」と称しながら周辺事情を探る習慣はあまり益がないと思います。無駄な時間を費やさない方が良いというより、輪郭の追究によりエネルギーを費やすのが有益なためです。いや、余計な情報取集は輪郭を歪めかねないのです。