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天職という言葉に感じる違和感

こんにちは、電脳コラムニストの村上です。

# 本投稿はnoteと日本経済新聞との共同お題企画への寄稿です。

天職。なんて甘美な響きなのでしょう。天から授かり、自分の天性に最も合った職業。給与とか待遇とか福利厚生とか余計なことが全く気にならないくらい、心からやりたい、そして充足するよろこび。そのように感じられる仕事に出会えたのだとしたら、こんな幸せなことはありません。

世の中には「天職に出会うには」または「置かれた場所で咲くことが天職」などといった言説もまことしやかに囁かれています。一体自分はどうすればいいのか?いまの仕事のモヤモヤをどう解消すればいいのか?キャリアの悩みはいくつになっても尽きないものです。

わたしはかなりの楽天家ではありますが、こと天職というものに関してはとてもシニカルな立場をとることが多いです。なぜか。自分自身が天職というものの存在を実感したことがないからです。

元来ものづくりが好きなことから、なんらかのものづくりを通じて社会に貢献する。もっと具体的に言えば、自身が関わったものが目の前の人の課題を解決して喜んでもらえるということに最もモチベーションを感じます。幸い、それを行えるスキルを身に着けてきましたし(そのための努力も)、仕事として評価されたことでいまの自分があることは認識しています。これはある意味幸運なことも理解しており、両親が与えてくれた教育の機会や関わってくれた周りの方々のサポートなどがあってこそなし得たものでもあります。

人生やキャリアにおいてしんどいことのひとつに「正解がない」ということが挙げられると思います。学生のうちは問題があれば必ず正解があるという世界ですし、先生がなんらかの正解を与えてくれることで都度自分の立ち位置を確認することができました。社会人になってみると、先輩からの指示は与えられるものの、時間が立つにつれて指示を出す側になっていきます。するとどうでしょう、一体なにが正しいのかが不安になってきますし、そもそも自分の仕事自体に自信がなくなってきたりします。

そしてあるとき、ふと思います。「自分のいまの仕事は天職なのか?本当に自分がやるべき仕事は他にあるのではないのか?」

そう思ったときに考えるべきことは、外部の環境にそれを求めるのではなく、まず内面に向き合うことだと考えています。大企業や有名な会社で働いていることが嬉しい、ということもあるでしょう。もちろんそれもひとつの理由です。しかし、大企業もいきなり倒れるかもしれない時代において、自身のモチベーションを完全に外部に依存することは危険が伴います。それこそ共倒れです。

仕事の中で具体的にどういうときに気持ちがアガるのか、嬉しくなるのか、やりがいを感じるのか。どんなに小さいことでもかまいませんので、それを見つけて振り返ってみることがなにより重要です。そしてそれを感じられたときには、素直にありがとうと言うことです。相手に伝える機会がなかったとしても、自分自身にそれを明示的に伝えること。ああ、ありがたいなぁと思うだけでもよいでしょう。結局のところ人間は社会的な生き物でありますから、完全にひとりで生きていくことはほぼ不可能です。そのことを忘れないようにしたいなと思います。

結局のところ、天職だと感じられるのは死ぬ間際にしかないと考えています。自分の生きてきた道を振り返ったとき、ひょっとしたらちょっとは役になったのかもしれないな。自分のやってきたことは天職だったのかもしれないな。そう思えるよう、明日を昨日より少しでもマシにするための努力を、日々の仕事を通じて成し遂げられたらなと思います。

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タイトル画像提供:YAMATO / PIXTA(ピクスタ)

#天職だと感じた瞬間 #日経COMEMO #NIKKEI

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