ジェンダー・フリーという発想
高輪ゲートウェイ駅に置かれた案内用のAIキャラクター「AIさくらさん」が、こなれた雑談力を発揮して波紋を呼んだという。「恋人」や「スリーサイズ」にまつわる、業務にまったく関係のないプライベートな問いに対して、当初「優しく受けながす」対応をし、ネット上で問題視された。朝日新聞記事によると、その後は、業務以外のコメントを断るようプログラムされてしまったようだ。
これは、「たかがAIの他愛ない応答で、目くじら立てずとも」と軽視されるべき問題ではない。「女性はちょっとセクシーで、男性に従順でいてほしい」という無意識の期待が、「さくらさん」のみならず、広告などの媒体で世間にばらまかれ、日々強化されていく。この自己完結サイクルを止めない限り、男性のみならず女性も、固定化された狭い女性像を、自分自身を測る物差しとして使うようになる。
管理職に抜擢しようとも、女性が消極的で困る、という悩みをよく聞くが、そもそも「常に一歩下がる女性像」を刷り込んだ社会に責任があることを自覚しなくてはいけない。
ジェンダー固定概念については、歴史的にハンディを負った女性が注目されがちだ。一方で、狭い「あるべき男性像」にあてはめられて、生きにくさを感じる男性も多いはずだ。
このような無意識のジェンダーバイアスを解きほぐすことは非常に難しい。最終的に「ジェンダー」区別をなくすために、そもそも「ジェンダー」を区別して語る必要があり、自己矛盾の袋小路に入ってしまうからだ。例えば、企業が正しい意図のもとに「女性活躍推進室」を作ったとたんに、まるで男性には関係ないとばかり、課題が矮小化されてしまう。
そもそも、仕事をするうえで、ジェンダーをわざわざ分ける必要があるのか?性別は仕事の能力を規定しないとしたら、そもそも「男性」「女性」を出発点とすることがおかしい、という本質論は成り立つ。
じゃあ、根本的に物差しを変えたら・・・という発想が「ジェンダー・フリー」である。男性がパールの装飾をまとったり、ユニセックスのブランドが人気だったり、ファッションで既に受け入れられている概念だが、もっとビジネスにも取り入れられる余地があると思う。
例えば、LGBTを公言し、頭脳と能力で勝負する男性・女性がもっと数多く活躍することは、「ジェンダー・フリー」の後押しをするだろう。「女性らしく」「男性らしく」という基準があいまいになることで、結局「自分らしく」生きられる男女が、性的志向とはかかわりなく、増えるのではないか?
ジェンダー平等において、著しく見劣りのする日本だが、実はジェンダー・フリーになじむ要素を持っているのではないかと私は思う。例えばアメリカの結婚式に呼ばれれば、必ず(夫婦でなくとも)カップルで参加することが期待される。日本では、ひとりで行きやすい。男女カップルが前提にならず、女性・男性ひとりでも社交しやすい素地がある。
さらに、日本固有の「ゆるキャラ」も、ほとんどがジェンダー不明だ。なんなら、新高輪駅でも、「さくらさん」や「ユージ君」の代わりに、性別不明の「案内ゆるキャラ」を作ったらどうだろう?
ジェンダー平等後進国の日本が、逆にジェンダー・フリー先進国となることで、ゲームのルールを変えてはどうかと考える。
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