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日本の得意なローカリズム

2022年を振り返ると、世界の「動」と日本の「静」との対比が際立つ。例えば、パンデミックからいち早く抜け出そうとした西欧や出口を求めてもがく中国に比べ、日本の情勢は良くも悪くもゆっくりしている。

このことから「変わらない」または「変われない」日本を嘆くことは易しい。しかし、悲観論がまん延する一方で、実は日本の静かな底力をもっと見直してもよいと思う。緩い全国のつながりを持ちながら各地域に深く根差した「ご近所経済圏」とでも呼べるエコシステムが、パンデミックにも不況にもめげずに活発なのが、日本のもうひとつの姿なのだ。

例えば、全国1,200カ所近くある道の駅。制度発足から30年、そのルーツは民間の発想だという。地元の産物が安く買えて、レストランも併設される。単なる休憩場所から発展し、今では地方再生や観光の中心拠点となっている例が多い。ドライブを続けながら道の駅で食事と温泉に入り、その駐車場で車中泊するという旅のスタイルもある。

または、全国7,331カ所ある子ども食堂も、ご近所経済圏の一種だと思う。すっかり認知度が高まり、子ども食堂を舞台にする小説まで生まれている。

道の駅や子ども食堂はいずれも地元の住民を主体とする活動で、それぞれの工夫で独自性が生まれる。その在り方は、画一的で全国標準を押し付けるアプローチとは対極をなすものだ。面白いことに、「全国どこでも同じ最先端の品揃え」を売りにして発展したコンビニエンスストアの全国チェーンが、逆に店舗ごとの独自性を見直している。

なぜこのようなローカリズム―地元を主人公とする、グローバリズムと対をなす概念-が特に日本で栄えるのか?これは、自分の手が届く範囲をきれいに整えたり、近所への配慮を重んじたりする農耕民族の気質とローカリズムの相性が良いことから起因するのではないかと考える。逆に、大きな全体を立体的に俯瞰(ふかん)してダイナミックな戦略を立てることは苦手なので、その裏返しとも言えるだろう。

さらに、農耕民族は、誰かが抜きんでて金持ちになり、その陰で誰かは貧困の極みに陥る極端な構図を嫌う。道の駅にせよ、子ども食堂にせよ、お金の授受は発生するものの、株主至上主義の営利でもなければ、完全な施しでもない。その中間にある社会資本主義のようなバランスが日本人にはちょうどいいのかもしれない。

このようなローカリズムは、日本に住んで経験してみて、初めてその良さがわかるものだ。だからこそ海外からの評価がされづらく、日本人でさえ過小評価してしまう。しかし、社会的な価値を生み出し、日本人の気質にもあったローカリズムをもっと積極的に推し進めるべきだと考える。政府はあくまでも黒子に徹するべきだが、税金の使い道としてもローカリズムの後押しであれば、理解は得られやすいだろう。

日本でも海外でも、特にパンデミックを経て、社会的な孤立が大きな問題になっている。例えば欧米では、長らく教会が地域コミュニティーの支えになっていたものの、近年はその求心力を失いつつある。地域に根差した活動は、孤立を防ぐ処方箋だ。2023年以降に向けて、ローカリズムは、世界に発信できる日本の「生きる道」を示しているのではないだろうか?


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