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ノストラダムスと未来の可能性

大人って悪くない

父親になってから、仕事に対しての意識が変わりました。
子どもに胸を張って、これが父が関わった仕事だよ、と言えることだけをしよう、と思うようになりました。

それは、大人って悪くないと思ってもらいたい、との願いもあります。未来に希望を持つことと、大人になることは悪くないと思えることは、通ずるものがあると思うのです。

ノストラダムスの大予言

僕は、昭和43年生まれ。僕が子どもの頃、ノストラダムスの大予言が大流行しました。1999年7月に人類が滅亡する、という例のやつです。

小学生の夏休みの読書感想文はノストラダムスの大予言を読んで、でした。小学五年生だったか六年生だったか、国語の授業で架空の地図を手がかりに作文するという課題がありました。その際にも、大予言という小説を書きました。今でも覚えています。当時サイボーグ009が大好きだったこともあり、サイボーグ手術を受けた主人公らが滅亡に瀕した人類を救うために移住可能な惑星を探すという設定でした。しかし、その努力も虚しく、太陽の熱は通すが地上からの熱は逃さない不思議な雲に覆われて人類は滅亡してしまう、という物語だったことを鮮明に覚えています。今思えば、どこかで見聞きしたであろう温室効果ガスがヒントになっていたのだろうと思います。

父親になって

祖父も父も60歳で他界したこともあり、幼い頃から大人になっても、滅亡が身近にあり、短く生きることしかないと考えていたのかもしれません。

大人になっても、終末思想というか、心の奥底にある虚無感というか、絶望とかそういうネガティブなものとはまた違うのですが、生きるということは死に向かって歩み続けることが当たり前というような感覚がずっとありました。そこは、今でも変わらないことではあるのですが、しかし、子どもたちに、お父さんと呼ばれるようになって、ひとつ大きく意識が変わるところがありました。

家族に誇れる仕事をしよう。

古い言い回しかもしれませんが、未来のために、背中を見せたいと思うようになりました。また、見せているつもりがなくとも、みてくれているのだということを知る、嬉し泣きする機会もありました。

ちっぽけな自分にできること、それは次世代に、大人は悪くない、未来は可能性に満ちている、そうした輝ける可能性を示すことしかないのではないか、と思うのです。どこまでできているかはわかりませんが、そうでありたいと願っています。

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