人類史上、最も孤独な母親たち
まただ。正視に耐えない事件が起こってしまった。
当時の母親の状況を想像するだけで、息が詰まる。でも、不可解じゃない。赤ちゃんによってかなり個人差はあるけれど、例えばうちの娘は、産後しばらく全然眠ってくれなかった。毎晩、何度も、金切り声で叩き起こされていた時期は、夫婦揃って精神不安定になってしまった。もし自分がワンオペで、しかも、あと二人小さな子どもを抱えていたらと想像すると、自分が同じ過ちを犯してしまう可能性は、正直、ゼロだとはいい切れない。
こんな極限状態を指して「自分にも起こりうる」なんて人に思わせしめる「孤育て」。これがどれほど辛くて、悲しくて、異常なことか、いったいどうすれば、もっと多くの人に伝わるのだろう。子育てって、本当は、とても幸せな営みのはずなのに。
「もっと早く、家族や友人、あるいは行政に相談しなかったのか」と思う人もいるだろう。なぜ「助けて」と声をあげなかったのか、と。僕自身、この記事を読んだだけでは、この母親が置かれていた状況はわからない。けれど、想像するに、相談したくても「できなかった」のではないだろうか。
まず、世の大人たち、そして、お母さんたち自身が、ワンオペ育児が当たり前だと思っている。母親だから「仕方ない」と。国立社会保障・人口問題研究所が結婚経験のある女性を対象にした「全国家庭動向調査」によれば、「自分たちを多少犠牲にしても、子どものことを優先すべき」への賛成割合は、2008年の第4回調査で81.5%となっていて、1993年の第1回調査(72.8%)から毎回上昇している。
このような状況で「助けて」「もう無理だ」と周囲に助けを求めることを「恥ずかしい」と思ってしまうお母さんは少なくないし、それを糾弾する人さえいる。だって、みんな同じ状況だから。今も、これまでもずっと、お母さんたちはそうしてきた。だから、おまえもできないとおかしい。母親失格だ、と。
でも、何度でも声を大にして言うけれど、それは違う。現在、私たちの社会は、お母さんたちに人類史上最も孤独な子育てを強いている。誰もそうとは気付いてないけれど、はっきりいって、異常事態だ。だから、こんな筆舌に尽くし難い悲しい事件が何度も何度も何度も何度も何度も起こる。
「昔から、子育ては母親が担ってきた。それがキツいだのなんだのいうのは、甘えだ」という人がいる。しかしそれは、前提となる社会の構造が変わっていることを見落としている。確かに日本は、核家族化が進んでからも、主に母親たちが育児を担ってきた。でも、自分が小さい頃もそうだったけれど、当時は地域というセーフティネットの存在があった。
母から、その時のエピソードを何度も聞いている。私は小さい頃、私の娘と同様に、夜泣きが酷いタイプで、母をかなり追い込んでいたらしい。でも、そんな翌朝は、お隣のお母さん訪ねてきて「昨日、晃平くんの夜泣き酷かったでしょ。晃平くん預かっておくから、少し寝なよ」と言ってくれたそうだ。こんなことが、日常茶飯事だった。地域の人たちがいたから、ギリギリやってこれたんだ、と、男四人をほぼワンオペで育て上げた母はいう。
でも現在は、非正規雇用がメインとはいえ、女性の社会進出が進み、そもそも、お母さんたちは日中家にいないケースが多い。おまけに、このコロナ禍だ。地域のコミュニケーションや信頼関係なんて、まともにできるわけがない。かくいう私だって、お隣のおうちの子どもを預かったことも、うちの娘を預けたことも、まだ1度もない。保育園では保護者会すら一度も開かれていないし、みんなお互いに気を使って、意識的に距離を取っている気すらする。
結果、かつてセーフティネットとして機能した地域は、時代の移り変わりと共に、姿を消した。その機能の一端を補完するため、行政が整備したセーフティネットのひとつが、保育園だ。これで、働くお母さんたちに関しては、日中、保育園に子どもを預けられるようになった(それでも、家事育児の負担は母親に過度に偏ったままだが……)。
でも、今回事件を起こした母親の境遇を改めて確認してほしい。記事に「無職」と書いてある。つまり、専業主婦といいたいのだろう。働いているお母さんには、保育園がある。じゃあ、「働いてない」お母さんには、何が残されているのか……? 何も、ないのだ。
保育園に子どもを預けるには「必要性認定」の基準をクリアしなければならない。基本的に、保育園は働く親のためのものとされている。現在の制度では、専業主婦家庭は、子どもを保育園に預けることはできない。
かつてあった地域というセーフティネットはなくなり、行政が整備したセーフティネットも使えない。完全に、孤立無縁だ。けれど、「子どもは母親がみるべき、それが当たり前」という価値観だけは、人々の脳内にこびり付いている。だから、専業主婦が「助けて」といったら、それは甘えだ、暇人のくせに、という誹謗中傷の矢が飛んでくる。そうやってお母さんを社会全体で追い込んだ結果が、冒頭の事件だ。
ちなみに、保育園にも幼稚園にも、どこにも預けられず、親としか接点を持っていない子ども、いわゆる「無縁児」は、3歳児以上でも約5万人いる。地域にも行政にも頼れず、全てをひとりで抱え込んでいるお母さんは、決して少なくない。
世界中でベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリ教授の『サピエンス全史』でも触れられていたが、人類は、ホモ・サピエンスとして地上に現れてから、ずっと、集団で子育てをしてきた(これをアロマザリングという)。そうやって、何十万年も子育てという営みを続け、脳も、それに適合する形で進化してきた。アフリカには「It takes a village to raise a child」という諺がある。子どもを育てるには村ひとつ必要、という意味だ。これが、人類にとって、本来あるべき子育てのあり方を端的に示してるように思う。お母さんひとりで子育てするなんて、人類の脳には、想定されていない。我が子を絞め殺す母親は、確かに異常だ。しかし、本当に異常なのは、そんな想像を絶する行為を何人もの母親にやらせてしまう社会の方ではないか。
私たち認定NPO法人フローレンスは、この事態を打開すべく「みんなの保育園構想」を政府に対し、提言してきた。私も政府の「こども政策の推進に係る有識者会議」のメンバーとして、本施策を会議で打ち込んだ。
本施策をたった一言でいうなら「専業主婦だろうとワーママだろうと、誰でも、子どもを保育園に預けられるようにしよう!」というもの。
少子化が加速し、既に待機児童問題が収束しつつある現在、実は保育園は、定員の確保に苦心し始めている。このままだと「ニーズがない」ので、閉園していくしかない。しかし、これまで見てきた通り、ニーズならあるのだ。保育園は、まだまだ多くの親子が必要としている。
私たちの保育園を、単に子どもを預かる施設から、地域の親子の福祉拠点として、生まれ変わらせたい。どんな親子でも、通える保育園にしたい。そうすれば、親子と社会の、リアルな接点が生まれる。専門家を常駐させられれば、体調が悪そうだったり、育児に深刻に悩んでそうなお母さんの相談に乗れたり、場合によっては、適切な社会資源に接続できるかもしれない。かつて地域が担っていた機能を、行政が主導する形で代替できる。
でも、この話をすると、必ず言われる。なんで専業主婦にそんなサービスが必要なんだ。甘やかしすぎだ、と。
本当に、何度でも言いたい。今は、異常事態だ。社会が、人類史上最も、お母さんを孤独に追い込んでいる。それなのに「助けて」と言うことさえ「甘え」と断じる。この状況を打開しない限り、不幸になる親子は増え続け、本来幸せな営みのはずの子育ては「子育て罰」となり、いずれ、誰も子育てを望まなくる、というか、もう、そうなりつつある。
ワンオペを強いられているお母さんたちに言いたい。「助けて」というのは、絶対に、恥ずかしいことじゃない。恥ずかしいのは、それをあなたに言わせる、感じさせる、社会の方だ。
こういう社会問題を解決するために仕事をしてるのに、いったい自分は何をやっているのだと、こういう事件を耳にする度、無力感に打ちひしがれる。けど、落ち込んだって意味はないし、誰も救えない。微力とはいえ、今日も自分にやれることをやろう。それしかないから。
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