チームワーク礼賛主義は、戦前の全体主義に似てとても危険
「一人でいるのが好き」とか「仕事は一人でやりたい」とか言うと、「あいつはきっと友達がいない奴だ」とか「協調性がない奴だ」と、偏見の目で見て、変なレッテル貼りをする人がいます。
特に、大企業の中で、人事システムが最近「チームワーク礼賛」みたいな風潮になりすぎていないか?という危惧があります。
こういうことを言うと、「一人でできる仕事のレベルなんてたかが知れている。企業でやる仕事というものは必ずチームで協調してやるものだ」などという熱血上司みたいなことを言い出す輩がいるのですが、そんなの仕事の中身によって変わるでしょ!言っちゃなんだが、こんなこと、仕事というものをすべて「兵隊アリ」のようなものとしてしかとらえられない限界脳の人が言うセリフです。
仕事にもいろいろあります。
「3人寄れば文殊の知恵」とも言いますが、「烏合の衆」という言葉もある通り、大勢でやったからといって必ずしも良い結果になるとは限りません。会社で働く人間なら、経験されたことだろうと思いますが、船頭が多いプロジェクトは大体失敗します。
後世に残るような優れた仕事の出発点というものは、大体たった一人のアイデアや発想から始まっています。それは忘れてはいけない真実です。
モノづくりをする職人とモノを販売する商人(あきんど)とは、その目的と性質がちがって当然です。世の中が職人だらけになっても、商人だらけになっても機能しません。そうした人には個々人の適正と役割があるのであって、職人が商人の真似事をすべきではないし、逆もできない。
職人と商人はワンチームだなどと綺麗事抜かしたところで、根っこにあるのは互いの利害と矜持だ。職人にとって付き合うべき商人は一人ではない。利害に合わず、ソリも合わないなら、無理して付き合う必要があろうか?それは商人にとっても同じこと。
全体としてのまとまりばかりに目を取られていると見えなくなるものがある。どんな大きな仕事であっても、所詮一人一人の仕事があってこそ。誰がやってもできる仕事もあれは、余人をもって代えがたい仕事もある。すべて人間はチームワークで動くべきだという全体主義的な考え方は非常に危険です。それこそ個人の機械化である。
チームワークとかいう耳障りのいい言葉で、結局やろうとしていることは、多様性の否定であり、集団の支配思想なんです。それがいかに過ちだったかは、ほんの100年前の世界史が教えてくれています。
「一人が好きだ」というような内向的人間が、全員社会性がないことを意味しません。また、外向的な人間でも、コロナ禍での在宅勤務やテレワークなどを通じて、いつも家族等と一緒にいることによって気づいたストレスもあったのでは?
内外向性に関係なく、人にとって、一人の時間や空間を確保するということは大切なことなんです。
そもそも人間の半分は内向的だし、一人が好きな人間です。決してマイノリティではないのです。そんなことを書きました。マイナビウーマン連載更新です!ぜひご一読ください。
記事では、内向型人間の例として、アップルコンピューターをスティーブ・ジョブズと共に開発したスティーブ・ウォズニアック、マイクロソフト社を起業したビル・ゲイツ、進化論を唱えたダーウィン、インドのガンジーなどを紹介していますが、当然もっともっとたくさんいます。
アインシュタインもそうです。自分のことを「私は一人で仕事をするタイプだ。協力とかチームワークといったものには向いていない」と語っています。
外国人ばかり紹介していますが、当然日本人の中にも内向型人間はたくさんいます。
先ごろお亡くなりになった昭和の大作曲家筒美京平さんも、また内向型人間だったそうです。
物を作りだす人というのは、むしろ内向型の素質がないとできないのかもしれません。自己の内側に向き合える人こそが、何かをアウトプットすることができ、そのアウトプットによって多くの人に希望や勇気や笑顔を与えられるのでしょう。
群れることで力を発揮することはあるでしょう。しかし、群れれば安心だという思い違いが、愚かな大衆を作り出し、その都度人類は過ちを繰り返して来たことを忘れてはならない。