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コスパ発想は想像力次第 (もしくは経験格差と文化資本差について)

コスパの次はタイパ、スぺパ……

(スペパ=スペースパフォーマンス笑)

消費者は価格が安いか高いかではなく、費用対効果、つまり「コストパフォーマンス(コスパ)」で判断する

という解説はその通り。記事の商品は、効果=パフォーマンスの高さが一目でわかるものばかり。この見せ方がビジネスセンスだ。

(ダイソー新ブランド「スタンダードプロダクツ」は二子玉川店たまに寄る。コスパ感すごい)

コスパ = パフォーマンス ÷ コスト

コスパ発想が問題になるのは、「パフォーマンス」についての解釈が人により分かれるから。

コスパ = パフォーマンス ÷ コスト

コスト2倍でもパフォーマンス2倍以上ならコスパが良い。ただ、そのパフォーマンスを見抜けないなら、コスト半分な方を「コスパが良い」と思ってしまう。

こうなりがちなのは、

コスト:     固定的な投入量が、先に発生
パフォーマンス: 変動的な収穫量が、後から発生

という性質による。先に種を撒き、後から収穫される。収穫物についての知識・経験・想像力の差によって、この判断が変わる。「安物買いの銭失い」という言葉があるが、そもそも良質なものを知らないのなら、しかたない。

とくに日本では、この30年くらい続いた不景気の影響は大きい。パフォーマンスの上限が限られていたから、コストを抑えたほうが勝算が上がる時代がずっと続いた。この影響を受けて生きてきた世代(50前後〜20前後くらいかな)にとって、コスパ=コスト削減、というのが植え付けられていたとしても不思議ではない。

でもインフレ経済では、逆の発想も必要になってくる。人手とかの物理的なリソースが不足し高騰していくから、コスト削減発想では、最低限のリソース確保もできない。一方で売上単価を上げやすくなり、高コスト投入のチャンスが拡がる場面が増えていくだろう。

たとえば大学の講義なら

講義参加のゴール(収穫)が「単位を取ること」である場合には、最小限の努力によって単位を取ることが、コスパを最大化する。最小限の努力とは、不合格率の低い「楽単の講義」を選び、5回以内で休んで出席の最低条件もクリアし、予習復習などもせずに、レポートなどはAI検索で適当に作って出す、などだ。

ゴールが「卒業後の人生を良くすること」である場合には、講義に対して最大の努力を投入することが、パフォーマンスの最大化につながる道となりうる。その講義から得られるものが、学生生活を変え、人生全体も大きく変えていくからだ。この場合のパフォーマンスは自分次第で無限大となる。

(※こういうことを書くと「大学の講義は役に立たない」的な冷笑も予想されるが、少なくとも僕の講義に対してはあてはまらないので、よそでどうぞ微笑。なおこちらはバーガーキング1600Kcal1990円のビーフ製品になります)

体験格差・文化資本・親ガチャ問題との関係

その差を分けるのが、知識・経験などの無形なもの。「体験格差」という言葉が1年くらい前から話題にされている。

「リソースを投じて体験することは楽しい!」ということを体験的に理解しているか、そうでないかで、将来、新しい状況に直面したときの取り組み方が変わってくるだろう

「文化資本」とよばれる家庭内で継承される無形な文化的資産もそうだ。「親ガチャ」という言葉もこの数年よくみた。

「金融資本」が潤沢な家庭なら、「コスト」投入も潤沢にできる。これはわかりやすい。
「文化資本」が豊富な家庭では、「パフォーマンス」の想像力が豊かである場合が多いだろう。これはより大きなコスト投入を促進して、結果、パフォーマンスも高めることが多いだろう。この差は目には見えにくい。

大学のような環境は、この(後者の)目には見えない差を埋めるための、最高の場だと思う。2021年に書いたnote(スキ率高い)

4月からの法政の講義では、さまざまなタイプのゲストさんたちに協力いただき、「パフォーマンス」についての想像力を圧倒的に拡げてくれている。欠ける範囲で書いて行こうと思う。

(トップ画像、前回の続きという以上の意味はありません笑)

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