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「普通に考えたら」って言うのはマジョリティハラスメントだよ、って話。

「多様性を認めよう」

というセリフが嫌いだ。

別に認めなくていい。ただ「そこにある」という事実だけ認識すればいい。それ以上でも、それ以下でもない。

「認めよう」なんてスタンスは驕りだ。

自分がマジョリティ側にいると認識した上で「マイノリティー側も認めてあげよう」という姿勢が透けて見える。

「お互いに認め合おう」ならわかる。

マジョリティもマイノリティを認め、マイノリティもまたマジョリティを認める。それは両者に必要なスタンスだ。

ただこの世界はどうしても多数派が強くなる。
どうしても多数派が基準になる。

社会である以上、何につけても多数派と少数派が生まれてしまうのは仕方がない。

ただ多数派の考え方が「普通」なわけじゃない。

1人1人がそれぞれの「普通」を生きている。

だから「自分の普通」を押し付けてはいけない。

「普通に考えたら」
とか
「一般的には」
とか
「私はいいけど世間的には」
とか

そういうのはぜんぶ、マジョリティハラスメントだ。

これだけ多様性の重要さがが叫ばれ、ハラスメントの種類も増えている昨今。

そんな中で、このマジョリティハラスメントだけが見て見ぬフリをされている気がする。

それはきっと、マジョリティが否定されることが世間にとって都合が悪いからだ。

マジョリティだから正しい。
マジョリティだから普通。
マジョリティだから基準。

これを前提としないと世間が成り立たない。私たちはそう思い込んでいる節がある。

それは一種の「弱さ」だ。
多数派にいると安心する。多数派から外れたくない。

そんな弱さから生まれるのがマジョリティハラスメントだ。

今、本当に多様性を考えるなら、私たちはこの「弱さ」と向き合わないといけない。

マジョリティも正しい。マイノリティも正しい。
マジョリティも普通。マイノリティも普通。
マジョリティも基準。マイノリティも基準。

それを前提とした社会の方がきっと豊かになる。

そう信じる「強さ」が必要なんだと思う。

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小島 雄一郎
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