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AIは友達じゃない

今日テック界隈で議論を巻き起こしているのはこの99ドルの首かけ型の「AI友達」、その名も「friend」のローンチ動画。 映画のようなクオリティの広告動画だが、様々な問題を浮き彫りにさせてしまっている。

人間の「孤独解消ツール」として謳われているわけだが、昨今の「テックで孤独を解消」という安直な発想が問題視されている。本当に必要とされているのは人間同士で信頼できるコミュニティや対面での社交/コミュニケーションである上に、AIは「人の気持ちを読んでいる」訳では当然ない。

そもそも人間が「一人で」行動することに異常な不安を抱いているかのように示唆するCMの出だしもそうだが、AIコンパニオンが解決する「問題」は何なのか、結局具体的には見えないまま、ブラックミラーの回のような質感の映像が続く。ペンダント型なのも「孤独である」と強調するとして批判されている

集めた資金の大半をfriendというドメイン名に注ぎ込んでいるのも投資的にどうなのかという話もあるが、やはりメインのドン引き要素としてはやはり最近のテックの潮流の「AIはお友達」という、ほぼ求められていないテクノロジーを押し付けていること。映画「Her」を理解していない人の妄想という指摘も。

人間の「代替」となるためのAIを果たしてどれほどの人が求めているのかは不明だし、むしろ「AIは人間の代わりになれる」というマーケティングに力が入れらすぎていることも倫理面で問題になっている。

例えばお年寄りの一人暮らしからくる孤独解消や障害者の日常でのアシスト、言語の同時通訳とかならまだ「何の問題を解決しているのか」見えてくるけど、こういう広告の問題はそういうのがほとんど示されないこと。

そもそも人間の生活にテクノロジーが介入してきたことによって生まれた「孤独」を、なぜ徹底的にテクノロジーを用いて解決しようとするのかにもまず疑問を持つ必要があるだろう。この映像のようにハイキング中にAIからメッセージが来て「解決」される孤独問題って一体なんだろうか、と。

資本主義的なシステムによって生み出された「孤独」を、さらに常に会話を聞き取られデータ化され、高いサブスク費用を支払って「解決しよう」と最後まで人間の感情と欲求から金銭を搾り取ろうという醜悪な文化が露呈している。






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