「日常という物語」の存在を意識する
記事の最初に、明記しておかなければならないことを書いておきますね。今日の記事は、参院選の二日前に起きた、日本国民のほぼ全員が知っている襲撃事件に触れつつ書いておりますが、筆者はこれに関して政治的な主張を述べるつもりはなく、また法的あるいは倫理的な是非を問いたいわけでもありません。それは僕の手に余ります。この記事で書きたいことは、大きな事件が起こったときに我々が受ける「動揺」や「不安」の根幹がなんであるのかという考察になります。このような時節だからこそ、分断を煽り対立を助長するような言説には気をつけたいというのが、筆者のスタンスです。その点、記事に入る前に明記しておきたいと思います。
というわけで参院選の二日前に、日本全体が激震する事件が起きました。
僕がこの事件を知ったのは、確か友人に連絡をするためにTwitterのメッセンジャーを開こうとしたタイミングで、フォロワーの誰かがニュースをリツイートしていたものを目にして知ったのでした。自分のツイートを見直すと、
0時11分に気づいたようです。その後さらにこういうツイートをその日は書いています。
この日の自分を今振り返ると、相当動揺していることがツイートから読み取れます。また、友人たちのツイートを見てもそう感じます。僕のSNS上での仲間たちは、基本的には写真やカメラ、クリエイターのクラスタなんですが、普段は政治や経済のことはあまり話題にならないタイムラインが、事件のことで持ちきりでした。特に、「これは本当に日本で起こったことなのか」と、不安げにつぶやく人が多かった印象です。
その時のことを振り返って今、改めて「あの時の自分の動揺の核心はなんだったのだろうか?」という問いが浮かび上がってきました。
(1)日常と「日常」の差異
もちろん、日本ではテロ自体が珍しいことです。特に要人に対するテロというと、直近で思い出せるのは長崎市での二件の銃撃事件くらいでしょうか。
先日、アメリカ帰りの友人と話している時、「どれだけ物騒になったと言っても、日本はいまだに異次元に安全」とぼやいていたのが印象的でした。いつかアメリカに戻る予定だけど、やっぱりアメリカの治安の悪さは比較にならないほど悪くて憂鬱だと。
昭和から平成、令和になって、日本の安全神話が崩れたというのはよく言われることですが、実際にはまだまだ日本社会は、外国から見るととんでもなく安全な国のままです。上の友人のレクサスは、買った次の日にカリフォルニアのパーキングに停めてたら、1時間で屋根がボコボコになってたそうです。流石に日本ではそんなことはなかなか起きないでしょう。
日本に住む僕らは、数々の社会の矛盾や軋轢を感じつつも、いまだに世界最高レベルに安全な社会で毎日を生きている中で、その国を8年以上も率いた要人の襲撃事件に接したわけです。まさに青天の霹靂ともいうべき事象といえます。今回の僕や友人、あるいは多くの日本人が激しく動揺したのは、いわばこの安全さを当然のものとして捉えていた我々の、本能的な動揺や不安だった、そういうふうに言えるでしょう。
ただ、その動揺や不安の直接的な原因や経緯は分かりましたが、その動揺によって「僕らの内側で揺れたものはなんなのか」という問いにはまだ答えがありません。不安や動揺の直接的な状況が分かっても、揺らいでいる「もの」がなんであるのか分からなければ、それを立て直すこともできません。とはいえ、結論はこの数日で徐々に見えてきたので、それをまず書きますね。
あの銃撃事件によって動揺に晒されたのは、日本に住むすべての人々の「日常という物語」だったと思うのです。単なる事実の集積としての日常ではありません。「日常という物語」です。つまり、我々が日々生きながら、無意識に積み上げ、作り上げている、目に見えない物語、それがカッコ付きの「日常」という物語なんです。
(2)「日常という物語」
あの襲撃事件によって、日本がより一層危険になったというのは、おそらくは事実誤認になるのでしょう。よく言われることですが、日本の犯罪率は基本的に下がり続けています。
むしろあまりにも安全であるが故に、警備や危機意識などが諸外国に比べて圧倒的に下がっていたところに、今回の事件が成立し得たのでしょう。
おそらく今年起こったこの事件は、10年前にも、20年前にも起こりえた。だから、殊更、令和の今、日本の社会が危険になっている、あるいはこれからさらに危険になっていくということでは、おそらくないのだろうと思うのです(希望的観測ですが)。
一方、この襲撃事件によって本当に危機にさらされたのは、そうした事実の部分以上に、僕らが内面に作り上げている物語、つまり幻想部分です。我々人間は、ただ生きるということは絶対にできません。言語を獲得してしまった人類は、言葉という記号によって構成される意味と象徴の世界に生きています。平たく言えば、我々は日々、全ての行為を物語化して生きざるを得ないのです。その雑多な物語群の根源にあるのが「日常」と我々が呼ぶものです。
例えばある1日の話。朝起き、ご飯を食べます。朝ご飯のメニューは人によって様々でしょう。納豆と味噌汁とご飯の人もいれば、必ずパンという人もいるだろうし、コーヒーだけの人もいれば、朝からガッツリカレーという人もいるでしょう。そして仕事に行く、学校に行く、友達と遊びに行く、日中はスケジュールがぎっしりです。夕方には家に帰る人もいますし、そのままどこかに行っちゃう人もいるでしょう。夜にはまたご飯を食べて、時には映画を見たり、電話をしたり、日記を書いたり音楽を聞いたりしながら、時々SNSを見たりLINEをして友達と話したり、夜にはゲームをしたりするのかもしれません。そうやって、それぞれの人々の「日常」が終わっていく。繰り返す、なんの変哲もない「日常」。
でも、この変わりない、惰性のようにして繰り返していく日常こそ、我々が人間の内面的な「恒常性」の根源であり、アイデンティティが依拠する場所として、必死に作り上げてきたものです。簡単に揺らがず、ところどころで起こる小さな変異を、余白の大きな冗長性に回収しながら、全てを凡庸に見える繰り返しの中へと収束させていく、極めて安定的な物語構造、これこそが「日常」の偉大な姿です。これがなければ、我々は簡単に揺らいでしまう、日々を安心して過ごせなくなってしまうのです。
新しいことにチャレンジできるのも、この、繰り返して安定している「日常」があるがゆえです。そしてこのような「日常」は、無意識の中で個々人によって選び取られた「選好」によって構造化されている時点で、「物語」と呼びうるものとして捉えることができます。人によって異なる形で意味づけがなされている事実の恣意的な繋がり、すなわち虚構です。僕らは事実を自分で切り貼りして構成している虚構の中で生きているんです。だからこそ、ただの事実の羅列としての日常と、「日常という物語」は区分けされなければならない。
(3)「日常という物語」の存在を意識する
今回の襲撃事件において多くの人を動揺に陥れたのは、まさにこの「日常という物語」が揺らいだからに他なりません。日本に生きる全ての人々が、自分用に作っている自分だけの「日常」が、広範囲に揺らがされた。なぜそんな状況に陥ったのか、それは「そんなこと起こるはずない」ということが起こってしまったからです。
日常とは、そう簡単には揺らがないように作られているからこそ「日常」と呼べます。例えば携帯電話を盗まれてしまうなんてことが起こったとしましょう、そんなこと毎日起こりませんので、我々にとってはちょっとした事件になり得ます。それでもその程度の「差異」では揺らがないほど、「日常」は安定しているんです。全ての小さな差異を回収しきってしまう、偉大なる凡庸さです。それは今回の事件で亡くなられた元首相でも同じだったはずです。どれだけ我々の目から見て毎日毎日大変な事件が起きているように見えても、それら全てが、日本を率いるような要人たちにとっては、彼ら目線の「日常という物語」の中に回収されていくんです。
でも、そんな彼らでも、あの日あの場所で手製のショットガンで撃たれて死ぬなんてことは、「日常」の中には組み込まれていなかった。それが現実の世界で、多くの人が見ている前で起こってしまった。起こり得るはずのないこと、すなわち「異常性」の侵入、アノマリーです。
我々があの日目にしたのは、ある一人の人間が作り上げてきた、しかも日本国民全体に関係のある「日常」を作り上げた一人の人間が、たった一つのアノマリーの侵入によって、完全に崩壊してしまう現場だったのです。その異様な光景に接することで、我々の「日常という物語」もまた、簡単に壊れてしまうことは、いつだってありうるのだと見せつけられたからこそ、我々は怯え、不安になり、何かに縋ろうと思ったのではないか、それが今回の我々の不安と動揺の根源にあった心理的な経過であると思うのです。
こういうことをあの日1日感じていたからでしょう、僕のツイートを見ると、1日の最後にこんなことを書いていました。
無意識の中で「日常という物語」を再演する決意を固めたのだろうと思うのです。再び「日常」を意識しなくても済む日が来るまで。
さて、今日はここで一旦記事を終えます。この二日ほど、珍しく記事を書きながら苦しみました。おそらくまだ内側が揺らいでいるのだろうと感じます。
実はこの記事は、もう少し長い文章になるはずでした。「日常という物語」が揺らぐとき、僕らは急いではいけないという話になるはずだったんです。それは次の記事として続けたいと思います。今日はここまで。みなさんも意識的に「自分の日常」を演じてみてください。それを演じていることさえ意識しないで済む時が来るまで。