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小久保さんは数字を残すためだけに野球をやってるんですか? ~一言切り抜きfrom日経#93

賞について、みなさんはどうお考えでしょうか?

切磋琢磨という意味では、賞は意味がある。技を磨き、ライバルでしのぎを削る、わかりやすい指標としてならば。そして、世の中に見つけてもらい、デビューするという意味では。

一方、いろんな業界の人とこれについて話しますが、賞があるがゆえに、目標がゆがみ、行動が変わってしまう。本来は、世のため人のための才能やクリエーティビティのはずが、いつもまにか、ずれてしまう。

SNSが出現し、アピール合戦が激しくなってさらにそのずれが激化していると感じるのは僕だけでしょうか?

そこで、日経はじめ、さまざまな今月出会った、賞や名声がらみの言葉を列挙してみたいと思います。

まずは、日経の小久保さんのコラムから。

ホームラン王になったあとで、小久保さんがモチベーションをどう保つか、微妙な気持ちになった時に、イチローに聞いたセリフだそうです。さすが。

次。

今月の暮しの手帖、バレリーナの森下洋子さんの「何のために踊るのか」のコラムより、一言切り抜き。

文章は、その後、「賞を獲った後が長い。」ということ、「何のために踊るのか?」と旦那さんから聞かれた話、そして「私の場合それは、生きていることの素晴らしさや尊さを伝えること。あたたかな、あふれ出る気持ちを、舞台から客席にお届けすること。」と、続きます。


再び日経の7/14日曜日、styleの欄のバーテンダー岸久さんの回より。


再び、7/21日曜日、日経の書評欄、赤毛のアンを書いたモンゴメリの自伝「ストーリーオブマイキャリア」の欄より、

なぜかたまたま今月は、このような「賞」にまつわる切り抜きが集まりました。

いろんな考えがあります。

あなたは、どうお考えでしょうか。

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