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新しいぶどう酒は新しい革袋に。新しい事業は新しい文化に。

「新しいぶどう酒は新しい革袋に」というイエス・キリストの言葉が、新約聖書にあります(ルカ5章38節)。罪人と食事をともにするなど、当時の常識を無視するイエスたちの行動を、保守的な人たちからとがめられときの台詞です。キリスト教という新しい教えは、古い常識や習慣の中では花開かない。意訳するとそういうことです。

常識や習慣が常に正しいわけではない。それらに目をくらまされることなく、本当に正しいことに目をむける努力をしよう。教会の説教や道徳の授業なら、そんな教訓がここから引き出せるでしょう。一方、この言葉をビジネスパーソンの目で見ると、その裏にはとても現代的な課題と、その解決策が見え隠れします。

それは、「新しい事業は、新しい価値体系に」という教訓です。新しい事業を花開かせたいのであれば、新しい価値体系の中で育てなければならない、ということです。ここでいう価値体系とは、別の言葉で言えば、業界や会社の文化です。法律や規制などのルール、常識や習慣、そして主流派の価値観が、そうした価値体系=文化を形作っています。

私は、これまで4つの企業国籍、5つの業界をまたいで転職してきました。インターネットのような若い産業、自動車や消費財のような成熟した産業、その両方を経験してきました。そんななかで、国や業界が変わると、そうした価値体系が大きく変わることを身に染みて感じています。

負けず嫌いな秀才ほど、条件反射でゲームを攻略しようとする


わかりやすいところで言うと、年次や年齢、上下関係をどうとらえるかは、業界やお国柄によって大きく変わります。年次が若い人は、他社の人でも君付けで呼ぶような業界もあります。一方、外資系企業やインターネット業界では、自分より年次が若い上司などザラです。上司でも誰でも、折り入って聞かなければ、年齢はわからないのが普通だったりもします。

この年次の話は些細なことかもしれませんが、このような価値体系には、「優秀な人の定義」のようなものも含まれます。ある業界では、とにかく素早く行動して、10倍挑戦し、5倍失敗する変わりに、2倍成功する人が優秀だとされます。一方で、とにかく失敗しない人が優秀だとされる業界もあるでしょう。

そうした価値観の違いは、当然人事評価にも反映されます。すると、優秀な人ほどそのルールにうまく適応して、そのルールの中で勝ち上がって行こうとするのが世の常です。学校でも職場でも人より高く評価されてきた人は、負けず嫌いが多く、勝敗がつくゲームとあらば条件反射的に攻略しようとしてしまうのです。

すると、他の業界から見ればおかしなルール・ゲームでも、その業界では絶対視され続ける、ということがおこりえます。なにせ、社内きっての優秀な人が血眼で攻略しようとし、攻略すれば評価され、みんなから讃えられるのですから。こうして、例えば「デキる人は飲み会の誘いを断らない」などという、荒唐無稽な掟ができてしまうのです。

堅牢な城壁の石壁を、1つだけ無理やり取り外しても何も変わらない

「デキる人は飲み会の誘いを断らない」などといった価値観は、単独で存在するのではなく、大きな価値体型の中に組み込まれています。法律や規制などの土壌があり、その中で長年培われた常識・習慣の土台があり、その上にそうした価値観が石壁のように積み上げられているのです。それは道端に置かれた石ではなく、しっかりとした建造物に埋め込まれた石なのです。

そんな建造物を立て直すのは並大抵のことではありません。ほぼ不可能といってもいいでしょう。一方、「デキる人は飲み会の誘いを断らない」などという掟がある会社に、優秀なデジタル系の人材が入りたいと思うでしょうか。もちろん人によると思いますが、私の知り合いに関していえば、イエスという人は一人も思い浮かびません。

DXを推進しなくてはならないのにこれではダメだと、そうした価値観を修正しようとする会社や業界もあります。とある伝統的な企業で、マーケティングのデジタル化を推進する組織に入らないか、とお声がけいただいたことがあります。聞くと、その企業ではスーツが紺じゃなかったり、革靴が尖っているだけで注意されるそうですが、その組織だけは特別にビジネスカジュアルが許されているそうです。

社長もTシャツで執務するようなIT企業出身の人がそれを聞いて、「ビジネスカジュアルが許されているんだ!」と心を開いてくれるでしょうか。その企業からすれば英断なのだと思いますが、そのとき私はむしろ逆に警戒感を強めてしまいました。そのような価値観の修正は、労多くして実り少ない作業と言わざるを得ません。堅牢な城壁の石壁を、1つつづ無理やり取り外しているようなものなのです。

事業のポートフォリオではなく、文化のポートフォリオを考える

新しい人が組織にうまく入り込めないのであれば、新しい事業も同じでしょう。多くの伝統的な企業で、ビジネスのトランスフォーメーション(変革)がうまく進まない原因は、実はこのあたりにあるのではないでしょうか。つまり、その企業が抱えるこれまでの価値体系が、新しい事業に馴染んでいないのです。

伝統的な大企業の中期経営計画を見ると、最近ではDXや事業変革を謳っていないケースのほうが少ないことに気付きます。伝統的な産業における事業変革への危機意識は、今やトップから現場まで誰もが共有しているのです。アナログからデジタルへ。ハードからソフトへ。販売からサブスクへ。そうした事業の変革を進めるべく、トップ肝入りの新規事業が次々と立ち上げられています。

そうした新規事業が、既存の事業との軋轢を生むことは承知のうえでしょう。そんな軋轢を避けてこれまで着手してこなかったもの、ついにトップの決断で大きな山が動いたのです。しかし、数年に及ぶ議論とトップの英断をもってしても、蓋を開けれてみると変革はなななか進みません。ここにおいて、問題は既存事業との軋轢ではありません。さらにそれを包み込む、企業や業界の既存の価値体系を、新しい人や事業が受け入れられないのです。

考えるべきは事業のポートフォリオではなく、文化=価値体系のポートフォリオだったのです。事業のポートフォリオという視点だけで見ていると、新しい事業と既存の「価値体系」とのミスマッチを見落としてしまいます。一方で、企業が抱える価値体系は、法律や規制に基づき、長い月日に培われた常識や習慣に根ざしています。それを建て替えることはほぼ不可能である、という問題もあります。

新会社を、新しい事業ではなく、新しい文化ととらえる視点

であれば、残された道は1つです。異なる文化=価値体系を、うまく管理する仕組みをつくるのです。例えばフォルクスワーゲングループには、ベントレー、ランボルギーニ、アウディなどのブランドが軒を連ねます。これらのブランドは、基本的には別会社により管理されており、それぞれまったく異なる文化=価値体系を保っています。私が働いていた頃、アウディの日本支社はランボルギーニと同じフロアに同居していましたが、両者はいい意味で似たところがほとんどありませんでした。

アイスクリームのベン&ジェリーズは、政治的なスタンスを明確にするなど、強烈に独特な文化を持つブランドです。2000年にユニリーバ傘下になってからも、その文化は世界中で保たれています。私がユニリーバで働いていたとき、ベン&ジェリーズの担当者とは、よくランチをともにしていました。しかし、消費者としてベン&ジェリーズのショップを訪れると、いい意味で全く別の会社に来たように感じたものです。

アメリカやヨーロッパは、異なる文化・人種・言語が入り乱れた社会です。それゆえ、異なる文化を、それぞれ異なるものとして受け入れ、管理することには一日の長があります。文化や人種、言語の多様性が、欧米よりは少ない日本では、逆にこうした視点が定着しづらいとしても不思議はありません。日本において、DXはじめ企業の変革を阻んでいるのは、実はこのような視点の欠如なのではないでしょうか。

新しいデジタル関連の事業を別会社で。ジョイントベンチャーで。M&Aで。ここまではよくある話です。しかし問題は、その新会社やJVを、新しい「事業」ではなく、新しい「価値体系」と捉えられるかどうかなのです。そこに新しい価値体系を築き、それをすでにある価値体系と並べてうまく管理していく。失敗する企業のトランスフォーメーションに欠けているのは、そした意識なのではないでしょうか。

ディズニーはPIXERの文化を買った

デジタルの知見が足りないからと、買収をしたりJVをつくったとします。そのとき、足りないデジタルの知見と人材を調達した、と見るのは事業ポートフォリオの視点です。その新しい事業を、何も考えず、すでにある旧来の価値体系の中に組み込んでしまっては、「新しいぶどう酒を古い革袋に入れてダメにする」という失敗を招きます。

比較的デジタルに詳しい、しかし本社の価値体系をがっしりと身にまとった幹部を社長として送り込み、本社と同じKGI・KPIで事業運営させる。そんなことが少なくありません。一方、アマゾンが新進気鋭のECサイト、ザッポスを買収したときは、同社の文化を守ることを契約書に明記したと伝えられます。ピクサーを買収したディズニーも、その後それぞれのアニメ制作スタジオを、それぞれの文化を尊重して別々に運用しています。

ザッポスとピクサーは、それぞれECサイトとアニメスタジオです。その点、アマゾンやディズニーの事業ポートフォリを拡大させてはいません。しかし、それぞれアマゾンやディズニーとは全く違う文化を持ち、価値体系・文化のポートフォリオを拡大させました。ザッポスは、度が過ぎるほどの顧客第一主義で有名で、そんな企業文化が熱狂的なファンを生み続けています。

両者が買収先に幹部を送り込み、それぞれの文化をぶち壊しにしていたら、と想像してみてください。なんともったいない! と誰もが思うでしょう。第一に、何より競合優位をもたらしている両社の文化をダメにしてしまっては、高いお金を払って買収した元も子もありません。また、多くの有能な社員が、それで両社を去っていくことは想像に難くありません。

文化のポートフォリオ管理にマニュアル的な解決策なし

新しい事業や人材にうまくはまらない、本社の価値体系・文化を新会社に押し付けることは、すでにある素晴らしい文化を壊してしまうことと同じく避けるべきです。どんな価値体系・文化が、新しい会社にうまくはまるのか解らない場合は、そこから議論を始めるべきでしょう。そうすれば少なくとも、既存の文化を何も考えずに押し付ける、という事態は避けることができます。

異なる価値体系・文化を、横並びにして「管理する」というのは、監視をして締め付けるということでは決してありません。部下の管理・マネージメントと同様に、それぞれが持つ力を最大限発揮できるようお膳立てをする、ということです。そのために何が必要なのか? という答えを持ち合わせてなく恐縮ですが、ここもまず出発点は、「価値体系・文化のポートフォリオを管理する」という視点を持つことではないでしょうか。

ユーチューブを買収したグーグルや、インスタグラムを買収したフェイスブックは、当初両社の独自の文化を尊重していました。その後、創業者が去るなどし、ゆるやかに本体との同化を進めています。これはアマゾン、ディズニーがザッポス、ピクサーを扱う方法とは少し異なります。文化のポートフォリオ管理にマニュアル的な解決策なし、ということでしょう。だとすると、まずはそうした視点を持ち、試行錯誤を繰り返すほかないのかもしれません。

「新しいぶどう酒は新しい革袋に」。

もとい「新しい事業は、新しい価値体系に」。

これがトランスフォーメーションを急ぐ企業の福音になることを祈ります。

おわり

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