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ラガルドECB総裁に抱くイメージ

「とりあえずラガルド」の実現
 欧州中央銀行(ECB)の次期総裁にフランス出身のクリスティーヌ・ラガルド国際通貨基金(IMF)専務理事が指名されてから1週間が経ちました。欧州経済・金融情勢をウォッチしている向きからするとこの指名は本当にサプライズであり、今も驚きが冷めやらぬという印象です。これまでも欧州で高級ポストが空くたびにラガルド氏の名は挙がってきました。ECB総裁はもちろん、EUトップである欧州委員長の候補とも言われていたし、先のフランス大統領選挙でも候補に挙がっていました。「ラガルド説」はビッグネームゆえにとりあえず挙がってくる「定番の噂」であり、それだからこそ本気で取り合う向きは常に少数という印象があったのです。「とりあえずラガルド」、そんな感じも漂っていました。

3つの論点
1週間が経過したところで本件の論点を整理してみましょう。筆者は主に3つの注目点があると考えています:

(1) 初の女性総裁であること
世界的な潮流ですが高級ポストに女性を選任する流れは根強いものがあります。ECBについては正副総裁2人と4人の理事からなる執行部に1人の女性(ドイツ人のラウテンシュレーガー氏)が存在しましたが、これで6人中2人(33%)が女性となる。欧州議会はECBの高官ポストに女性が少ないことに異論を示していた経緯があり、女性候補が承認されやすいという見立ては元来ありました。例えば、ECBは金融政策だけではなく銀行監督政策も担うが、この初代トップである単一監督メカニズム(SSM)銀行監督委員会の委員長が好例です。2014年11月にSSM初代委員長として就任したのはフランス人で女性のダニエル・ヌイ氏でした。ラガルド総裁誕生となれば、ECB総裁とSSM委員長というECBの2大ポストをフランス人女性が経験したことになります。これは意外に報じられていません。
(2)政治家出身であること
また、明文化されているわけではありませんが、やはりECB高官ポストに政治家出身の人物が就くことには議論があります。2018年6月1日にECB副総裁に就任したデギンドス氏はスペインの経済・産業・競争力相であり、これも政治家出身であることが物議を醸しました。これでECBの正副総裁がともに政治家出身ということになるという点は、思いのほか重要な事実でしょう。今回の人選にはマクロン仏大統領の意向が大きく作用したと言われています。フランスはECBの政策運営について緩和路線にあることを支持しています。ゆえに、「仏政府の意向もありラガルドECB体制は(金融緩和に積極的な)ハト派色が強いはず」という解説も見られており、それが事実かどうかはさておきますが、このような状況があまり褒められた事態ではないことは確かでしょう。ラガルド氏の知名度や危機対応能力や調整能力に議論の余地はありません。欧州債務危機のピークを経験したその手腕は稀有なものがあるはずです。ですが、その出自と選出過程に疑義が指摘されているという事実には勿体なさを感じます。2018年4月には、ドラギECB総裁がトランプ米大統領の米連邦準備制度理事会(FRB)への政治介入に懸念を示すということがあっただけに、ECBとしては若干の「気まずさ」を覚える部分もあるのではないかと邪推してしまいます。過去のECB総裁は全てEU各国の中銀総裁出身であったため、このような心配は無用でした。
(3) 金融政策の専門家ではないこと
もともとラガルド氏は弁護士です。その後転身して仏財務相などの要職を経験した重量級の政治家ですが、中央銀行業務の経験はありません。2011年6月という欧州債務危機の真っ最中に仏財務相からIMF専務理事へ就任しているため、有事対応の経験という意味では傑出した能力があると思われますが、実務の塊でもある平時の金融政策については周囲のサポートを要する部分も大きいと思われます。この点、2019年6月に就任したばかりのチーフエコノミストでもあるレーン理事の寄与が期待されそうで、そうであるならば過度にハト派的な政策発想にはならない、という安心感もあります。しかし同時に、就任早々から市場の思惑を上手く操ったドラギ総裁のような派手なコミュニケーションは期待しかねるという問題もありそうです。
なお、パウエルFRB議長も弁護士であり、黒田東彦日銀総裁も司法試験に合格している。これで日米欧の中銀トップが法律の専門家という構図になる。伝来的な経済・金融理論の専門家ではなく、政治との距離感を上手く取り、調整能力を発揮できる能力の方が、先進国中銀を切り盛りする上では重要になっているのかもしれません。「中銀総裁に経済学の教育は不要」というのは何だか少し寂しい気もします。

ドラギ氏ばり「マジック」は期待薄、調整型に移行か
中銀総裁が代わったからと言って、できることが増えるわけではありません。仏政府(≒マクロン大統領)に配慮しようとしまいと、ユーロ圏が輸出主導型の成長スタイルを主としている以上、域内金利を低め誘導してユーロ安を促す、というのが基本戦術になるしかないでしょう。あとはそれを「どう上手く見せるか」という手腕にかかっています。


この点、繰り返しになりますが、ラガルド新総裁の下では、イタリア出身のドラギ総裁の「マジック」とも称される派手な運営ではなく、堅実でバランスの取れた動きが中心になる可能性が高いと思われます。ドラギ総裁は就任初回の理事会から利下げなどで市場期待をけん引しましたが、同様の動きは難しいと思われます。あえて言えば、売りである「調整能力の高さ」が徐々に発揮されていけば、意思決定が早まっていくなどの変化はあり得るかもしれません。ドラギ体制では重要決定の前の理事会で「内部の専門委員会に検討を指示した」といった「振り」が入ることが多かったのが特徴です。だが、あのような一種の「予告ホームラン」のようなコミュニケーションは「市場との対話」という意味ではあまり得策ではありません。得てして市場の期待は先走りますから、空振りに終わるリスクが大きいと言わざるを得ないのです。ドラギ総裁は果断に多数決で突破するタイプであったため、ある程度は検討の時間を内部的に設ける必要があったのでしょう。一方、前任でフランス出身のトリシェ氏はあくまでコンセンサスとしての意思決定を示すことにこだわり、理事会の票が割れるというイメージはなかった。


あくまで現時点では想像に過ぎませんが、調整能力の高さに定評のあるラガルド氏はドラギ型よりトリシェ型に近いのではないでしょうか。いずれにせよデビュー戦となる2019年12月12日の理事会は、年の瀬の大きなイベントとして注目されることになります。

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